香港雨傘
香港デモ、10年後の彼ら
当初の目的は、2017年に実施される香港特区政府行政長官選挙について、「中共政府が提示した、民主派人士を排除するやり方ではなく、万人が立候補できるシステムにすべき」という主張を中共政府に届け、その意を汲んでもらおうというものだった。そしてその 音頭をとってきたのは、大学生を中心とした「香港專上學生聯會=學聯」と、中高生らの団体「學民思潮」、さらには学生2団体の動きに乗ったにすぎない「讓愛與和平佔領中環=Occupy Central with Love and Peace」だった。
民主活動は「若者vs警察」の対立、衝突に変容
しかし現在、香港で繰り広げられている光景は、軽微な武装で警察と衝突する、若者を中心とした群衆、というものにすっかり変容してしまった。もちろん、こうなったのは、初期段階で警察がデモ隊に催涙弾を放ったり、その後も大なり小なり暴力的な手段でデモ隊の排除活動を行ってきたことへの反感もあってのことだろう。しかし、そこへ段ボール製とはいえ楯を構え、ゴーグルやヘルメットを装着したいでたちで、道路を占拠して往来を妨害するのは、あらかじめ衝突を企図したものととらえられ、逮捕の対象とみなされてもしかたない。
民主派や学生に好意的なメディアは、警察の暴行を次々と紙面やネットに掲載し、それを批判するが、それは極めて限られたメディアであり、一番多く市民の目に触れる地上波のテレビニュースでは、そういう場面はあまり放映されていないという。これを見てデモ派らは「中共に魂を売ったXXTV」とか、「XX新聞は人民日報になったのか」と怒るが、元々メディアは、報道は、「ウソは伝えないが、情報の取捨選択はする」ものだから、それに一々怒っているのは、あまり賢い人のやることではないと思う。
今日の時点では、この情況がいつまで続くかはわからないが、學聯などがまずは当初のデモの目的に立ち返ることだと思う。それでもその立ち返りを「軟弱姿勢」とみなす群衆は、警察への反抗を繰り返すだろうけど、いまや街場の警官隊のみならず、空港のテロ対策部隊や「飛虎隊」と呼ばれる特殊部隊まで出動しているのだから、そう長続きはしないだろう。
雨傘の若野たち、10年後の未来予想図
さて。この10年後、すなわち2024年、デモの主役だった若者たちはどんな日々を送っているのだろうか? すでに「前科者」となってしまった者も多いし、今回のデモに加担したことで就職の道を絶たれてしまった者も多数出たことだろう。勝手ながら、彼らの10年後を想像してみた。
<1>A君(当時大学3回生、学生団体幹部)
2015年、正式に大学を退学。その後は2014年デモを支援した新聞社に入社、政治部記者として活動。2017年、14年に中共が決定したとおりの形で行政長官選挙が行われるにあたって、連日、徹底した批判記事を書き、反対デモを紙面で提唱。しかし、14年のデモに懲り懲りしていた市民の反応は極めて薄く、デモは開催できずに終わる。選挙後、A君は「国家安全条例」にのっとり、度重なる政府批判記事やデモによって国家転覆を企図したとして逮捕。現在、服役中。刑期は25年に及ぶ。
<2>B君(当時大学1回生、中高生団体幹部)
入学したばかりだった大学には、新年度スタート(香港は9月)と同時にデモが始まったため、一度も通学することなく2015年旧正月前に退学。以降は自ら民主活動団体を設立し、主に愛国教育の導入阻止や真の普通選挙実現に向けて奔走する。20年夏、マカオでの民主活動に参加するため現地へ赴いた際、デモ隊を取り締まっていた中国の武装警察に身柄を拘束される。すでにマカオでは解放軍や武装警察が治安維持に当たっており、国家転覆を企図したと思われる場合は、国内への身柄の移送が認められるようになっており、それに従い、B君も国内へ移送。厳しい拷問の末、無期懲役を科せられる。罪は2012年に香港で愛国教育導入阻止の活動を行った時点にまで遡っていた。
<3>C君(当時大学2回生 学生団体幹部)
2014年のデモが一段落すると同時に、活動から手を引き学業に戻る。1年留年の後、首席で卒業。外資系証券会社に入社。業務で本土との往来も幾度。18年に結婚し現在二児のよき父親である。14年のデモについてはあまり語りたくないとしながらも、「若い時には一度は通ってもいい道」と言う。仲間のその後については、「気にはなるけど、14年のデモ後はまったく連絡を取りあっていない」。親中派(いまや死語になった)の若き精鋭として、中国の南シナ海海洋開発プロジェクト、近々に行われる解放軍尖閣諸島奪還1周年記念行事の香港特区の重要メンバーでもある。未来の行政長官として嘱望されている。
<4>D教授(当時佔中活動提唱者のひとり)
2014年12月5日、佔中扇動で自首。罰金HK$150,000。その後は学究の道一筋で政治活動とは一線を画す。2016年、H大学学長。当時を振り返り「自分が佔中前倒しで開始宣言したため、社会を大きな混乱に陥れてしまったのが、悔やまれる」と言う。「これからの若い人たちには、本土と反目はせずに、協調してよりよい中国共産党国家の繁栄を目指してほしい」とも言う。いまや香港の大学生の中でその意見に異を唱える者は、ほぼゼロだろう。現在立法会全議席の95%を占めるかつての親中派政党のアドバイザリースタッフでもあり、北京の信頼も厚い。
<5>E君(当時21歳アルバイター、MK仔=旺角地区の「チーマー」のひとり)
現在は、従業員15人の茶餐廰店主。そのほとんどが当時、旺角で警察と衝突した仲間。「民主が何か、選挙制度が何か、まったくわからないまま、ただ警察と対決したいだけで騒ぎに加わっていた」と振り返る。學聯など学生団体に関しては「そもそも連中の主張が何だったのか知らない。ただ俺たちの旺角で勝手なことするな警察ども!って気持ちだけだった」と笑う。「もしまた、旺角があんなことになったら、店の連中と暴れに行くよ。民主も選挙制度も関係ない、この町を守る!」と勇ましい。「世の中はすっかり中国万歳な空気になったけど、中国は大嫌い!」と言う三児の父親。
以上、あくまで小生が勝手に思い描いた「未来予想図」です。香港にとっては、あるいは日本など周辺諸国にとっては、好ましくない予想図かもしれないけど、中国共産党の一党独裁が多少の波があったとしても継続されているとすれば、こんなこともあるかもしれない…、ってところでしょうか? ちょっと過激すぎたかな? そんなわけで、鵜呑みにしないでね! 暇人の妄想ってことで、そこはよろしくひとつ。
在大阪香港永久居民。
頑張らなくていい日々を模索して生きています。
うわ
ほとんど今、彼等ではなくてもほとんど同じような事になっている人達がいると思います。
コメントありがとうございます。2019年を経て、そんな感じになりました。