【香港の学生活動に関して】そもそもOccupy Central/佔中って何なのか

香港雨傘
そもそもOccupy Central/佔中って何なのか

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ほとんど戦場と化した9月28日、金鐘(Admiralty)。催涙弾の数は87発に及んだ by “RTHK”

見えてくるものは”悲観的なゴール”のみ

Occupy Central(佔中=セントラルを占拠せよ)」は、10月15日未明に行政長官弁公室付近で、佔中側と警察の間で激しい衝突が起き、逮捕者続出、警察側は胡椒スプレー(催涙スプレー)のみならず、過度の暴力でデモ隊の強制排除に乗り出している。
『人民日報』で一連の佔中を「動乱」と位置づける論評が出たあたりから、共産党政権が本腰でデモの排除に乗り出すのは時間の問題だろうと思っていたが、案の定、警察はかなりの強気で出てきた。ある意味、催涙弾87発が放たれた9月末の対峙よりも、レベルアップした排除に出てきたと言えるかもしれない。

さて、事ここに及んで、佔中の主体たる学生活動グループ側は、この事態をどう着地させようとしているのか? そもそも着地させる気はあるのか? 「2017年の行政長官選挙の完全普通選挙」を着地の条件として、どうしても譲らないと言い続けるのであれば、もはや着地はありえず、香港全体として極めて悲観的なゴールしか見えてこない。

こんなことを言うと、
「お前は親中派か!」とか、
「香港にあれだけ世話になったクセに、香港の民主を勝ち取ろうという気はないのか!」
なんて言われるんだが、これまでにも散々言ってきたけど、小生は「親中派」でもないし「民主派」でもない。どちらかと言えば「反民主派」であると思う。それは今も何ら変わらない。今回の佔中も極めてクールに見ているつもりだ。であるからこそ、佔中一派はこの騒動をどこに持って行きたいのか? という疑問が、「学生がんばれ!」を遥かに上回るのである。もちろん、解放軍の介入などもってのほかだけど、そこに至らない方策を佔中一派は練る必要があるはずだ。佔中一派が意固地になればなるほど、ますます泥沼化していくのは火を見るより明らかなのだ。

Hong Kong sees second day of mass protests for Occupy Hong Kong
催涙弾攻撃に抗議!金鐘の幹線道路を数万の市民が埋め尽くす。美しく壮観な光景であるが、こんな香港は見たくない by “RTHK”

これが最初ではないOccupy Central

さて、ここまでの流れをざっと振り返りたいと思ったのだけど、どうも「Occupy Central(佔中=セントラルを占拠せよ)」が、今回のデモで起きたうねりのように思われているので、そこの誤解をちょっとだけ解いてみることにした。

そもそも由来は2011年9月、米国で起きた「Occupy Wall Street(ウォール街を占拠せよ)」にある。08年のリーマン・ショックによって巻き起った世界同時不況が引き金となり、11年9月、主にネットで動員された数千人が、ニューヨークのウォール街付近の公園で長期の座り込みを開始し、金融機関と政府に抗議の声を上げたという、反格差デモである。

香港もこの流れに乗って、「Occupy Central」が11年10月に始まる。「金融覇権」「地産覇権」さらには「政財癒着」に抗議の声を上げた市民が、まさに金融都市香港の象徴である中環(Central)の香港上海銀行(HSBC)本社ビル下を占拠し、テント生活を開始した。この活動は、長期化するに従い内部分裂が発生し、最終的には数人規模に縮小するも、翌12年9月まで及ぶ。
これが香港におけるOccupyの最初である。

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2011年10月15日、HSBC本社の開放スペースで始まった「第1次佔中」は、11カ月継続された「反格差デモ」だった

その後、返還後の香港民主化が遅々として進まない情況にあたり、法学者の戴耀廷(ベニー・タイ)香港大学教授らによる新たな「Occupy=佔中」が提唱される。今のデモの主体のひとつ、「讓愛與和平佔領中環(Occupy Central with Love and Peace=愛と平和でセントラルを占拠せよ)」の始まりである。

戴教授は、これまでのデモや集会などでは、北京の譲歩を引き出せないとして、1万人超の動員で、中環などの香港の政治・経済の中心地帯で長期の座り込みを行うという、新しい「佔領中環」を提案。現在のこれは香港政府や中央政府が今回も繰り返し指摘しているように「違法行為」であるため、早くから、「状況次第では中央政府に解放軍を出動させることになる」と警告する声も、政府内には少なくはなかった。今回、すでにその一線が見えようという状態にある…。

そもそも法学者という穏健であるべき立場の人物から、こういう提案が持ち上がったということが、返還後の香港の「民主活動」の無力感を象徴している。

常に民主党を核とした「汎民主派」とされる議員グループが、民主活動をリードしてきたわけだが、中央との対し方を巡って、民主派は離合集散を繰り返し、中央の絶大なるパワーの前には何ひとつ実効的な手を打つことができずに、返還から17年が経過してしまった。小生が民主派を批判するのは、まさにこの点に尽きる。

こういう状況で、市民の民主派離れは着実に進み、じわじわと親中派の台頭を許しているという具合で、「完全なる民主化」も同時に次第に遠ざかっているという始末だった。既成の政党に頼らず、さらによほどのインパクトのある行動を起こさなければ、中央とまともに対することはできない、という発想である。

混乱の責任は民主派にあり

その流れに、先日18歳になったばかりの黄之鋒(ジョシュア・ウォン) らが率いる中高生中心の「學民思潮(Scholarism)」や、大学生による民主化グループ「香港專上學生聯會(學聯)」が加わり、いま日本など海外の報道で言われている「Occupy Central(佔中=セントラルを占拠せよ)」の流れとなっている。

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学生とホワイトカラーがデモ者の大半を占める香港島の金鐘とは違い、多種多層な人たちが集まっていた九龍半島の旺角(Mong Kok)の占拠エリアは、いつの間にか暴力と怒号の場となっていた by “RTHK”

従来の民主派に失望している」という点では三者は共通しているが、「愛と平和~」と学生二派の最大の相違点は「天安門事件当時にこの世にいたか、いないか」である。市民の間には「学生を支援はしているが、本当の共産党(の怖さ)を知らない彼らが心配でならない」という声が、案外多い ようだ。言うまでもなく、天安門事件の再来を危惧しているのだ。

そんな「共産党の本当の怖さ」を知らない世代である学生たちも、現在のところはかなり追い込まれてしまっているのが実情。さりとて引き返せない…。ここまで彼らを追い詰めてしまった最大の犯人は、小生に言わせると、無能な香港政府でもなければ中共でもなく、暴力的な「反佔中人士(黒社会がらみだろう)」でもない。ここまで、「香港の民主獲得」ということでは中共に対して何も実績を示すことができなかった「汎民主派」の大人たちである。

今後も、ブログでこのデモを取り上げる際は、この視点から見て行きたいと思っている。

な~んて偉そうに言っても、今も香港に住んでいたら、多分1回くらいは学生たちに飲み物をペットボトル30本くらい(ケチですw)は差し入れしてたとは、思うな、俺(笑)。

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18歳の誕生日を前に、弱冠17歳で『TIME』誌の表紙を飾った、スカラリズムの黄之鋒(ジョシュア・ウォン) は、今世界中が注目している大学1回生。*入学と同時に全大学の授業ボイコットが始まったので、まだ1回も「通学」してないらしい。「飛び級」で17歳で進学できたのにね…


 


8件のコメント

  1. ご無沙汰しております。昨日香港から戻りました。
    戴耀廷氏、中大の陳健民副教授へは事前に会見申し入れていましたが、先方が金鐘、銅鑼湾、旺角を駆け回っていたので差しで話せず、金鐘でちょこっとでした。「熱血公民」の黄洋達さんらと民主黨主席の劉慧卿議員、單仲偕議員とは一時間近く話せました。
    私も基本認識は貴殿に近いですが、民主黨さんも黄洋達さんもこの点では反省を口にしていました。もう遅いのかも知れませんが、議会内での闘争も選択肢のひとつなので彼らに頑張ってもらわないと。
    ところで、やっと香港エントリーを出して頂けて嬉しいです!

    1. たいへんご無沙汰しております!
      そうですか、民主派の連中は反省していましたか…。わかってはいるんですね。エミリーは元気にしてましたか?ま、元気じゃないでしょうね、この状況では。彼女は普段はツーショットで写真におさまってくれたりして、わりと好感を持ってはいるんですが、こと政治となると…。
      イザからこっちに移って、1年以上経過しますが、もう香港から撤退して5年が過ぎましたので、実際に見てもないことをあれこれ言えませんので、香港ネタはすっかり減ってしまいました(苦笑)。もう少し、増やしたいところではあるんですが、日々のあれこれに追われるとどうしても…。

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