【上方芸能な日々 文楽】通し狂言 菅原伝授手習鑑~住大夫引退公演~<第3回目鑑賞・2>

人形浄瑠璃文楽
国立文楽劇場開場三十周年記念 七世竹本住大夫引退公演
通し狂言 菅原伝授手習鑑

第3回目の見物を元に、公演を振り返るの第二弾。

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菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)

「車曳の段」(くるまびきのだん)
以前にも言ったように、この段を高2の時に学校から行った「校外芸能鑑賞」で観たことが、文楽愛好の道への第一歩だった。それだけに好きな幕。まあ、とにかくわかりやすい。

<太夫>
松王丸・英大夫
梅王丸・津駒大夫
桜丸・呂勢大夫
杉王丸・公演前半/咲寿大夫 後半/小住大夫
時平・松香大夫
<三味線>
清治

ダブルキャストの若手二人が杉王丸。どちらもよく声が出ていて、好印象。2回目(4月18日)に聴いた小住が「印象」という点では、3回のうちで一番良かった。英、津駒、呂勢は各人の持ち味が出ていて、そのことで三兄弟の性格やこの場面での境遇が、充分に伝わった感じ。松香の時平も熱演。もちろん、清治師匠がこの掛け合いを見事にリードしてまとめており、浄瑠璃初心者でも十二分に楽しめ、堪能できると思われる安定度抜群の床だった。

「茶筅酒の段」(ちゃせんざけのだん)
千歳大夫團七 初日、「日を追うごとによくなるだろう」と予感した千歳だが、途中、嶋さん休演の代役で大曲「寺子屋」を語ったためか、千秋楽までの体力消耗が激しかったとみる。この日も、團七の三味線が場をまとめていた印象強し。たしか2回目に来た時も、「平淡に感じた」と書いたね、俺。

「喧嘩の段」(けんかのだん)
咲甫大夫、喜一朗 よかった。今公演、咲甫さんは昼の部の「東天紅」ともども、聴き応えがあった

「訴訟の段」(そしょうのだん)
文字久大夫、藤蔵 住さん引退公演最後の登場直前の段とあって、客席の空気が一気に緊張していくのが実によくわかる。そんな「異様な空気」の中で、住さんの露払いとして勤める愛弟子・文字久の心中を思うと、すでに胸いっぱいな気分になる。聴く人が聴くと、もうこれは注文の山になるんだろうけど、そこは三流見物人としては、「文字久さん、きっちり場の空気を作って、師匠にバトンを!」という、祈るような気持ちで聴いていた。藤蔵の三味線がそこを上手にやり回していた。そして盆がゆるやかに回って、住さん登場となる。

IMG.jpgwp引退狂言「桜丸切腹の段」(さくらまるせっぷくのだん)

切:住大夫、錦糸

文字久、藤蔵がまだ完全に隠れていないのに、劇場の外、黒門市場あたりにまでも響き渡ってるんじゃないかという大音量の拍手鳴り止まず。いよいよ住さん、大阪で最後の舞台でありまする。

今公演、ずっとそうだったが、黒子が「東西」に入るタイミングをなかなか見つけられずに、ただもう、拍手が鳴りやむのを待っている状況。ようやく「とぉ~ざぁ~い」と入って、「語りまする太夫ぅ、竹本住大夫ぅ~」でまたもや大音量の拍手と掛け声。「名残を惜しむ」とは、こういうことなんだろう。拍手や掛け声が、わずか数十秒でも長引けば長引く分だけ、住さんと時間を共有できる幸福感を少しでも長く味わえるわけだから…。

そして住さんはいつものように床本をおもむろに押し戴き、表紙をめくる。さきほどの拍手の洪水とは打って変わって、一瞬の静寂があり、三味線がテンと鳴る。

「思うように語れまへんねん」とか「腹に力が入りまへんねん」とか「口がうまいこと開きまへんねん」などと、住さんは病気回復後、常に自分の語りが「とにかく歯がゆい」と言ってきた。もちろんそうだろう。聴く方だって「ああ、住さんも昔はここ、もっと声出てたのにな」と思う場面はしばしばあったのも事実だ。にしてもだ。そんな状態にもかかわらず、「桜丸切腹」という、大曲難曲の浄瑠璃を初日から千秋楽まで語り続けたのだ。それも「あきまへんねんわ」と言う中で、「さすがやなぁ」とご見物を唸らせっぱなし、最高に出来うることを出しつくして。

その一言一句が、聴衆へ向けての「なぁ、浄瑠璃て、エエもんでっしゃろ、文楽はようできてまっしゃろ」という語りかけでもあり、「皆さん、長い間、おおきにありがとうさんでした」の感謝の言葉でもあったと思う。

そして自分自身、最後の最後に、ようやく住さんの浄瑠璃に、心から寄り添えたと思う。もともと悲しい場面でさらに住さんの引退という辛い場面でもあったけど、「住さん、ホンマ浄瑠璃はエエもんですなあ」と言えるようになった自分がいたんじゃないかな…。時間や空気の共有だけでなく、「思い」の共有もできるようになったと言うべきか…。そんなあれやこれやで、終始、涙目だった桜丸切腹。

相三味線の錦糸さんが、以降は誰と組むのかにも、注目したい。

「引退御挨拶」
杓子定規にやれば、いくらでも「古式ゆかしく」できたであろう「引退口上」だけど、恐らくは、こと大阪の舞台ではそれは似合わない。小生自身は桜丸切腹終演後、上手から住さんが定式幕の前にちょっと姿を見せて、客席に向かってちょこっとお辞儀をしてくれる、もうそれだけで充分だと思っていたほどだし。

それが舞台中ほどまで出て来て、きちんと自分の言葉で挨拶してくれたのは、嬉しかったし、簑助師匠が左に一輔をつけて、桜丸を遣っての花束贈呈っていうのも感動した。あのときは、やっぱり住さんも感極まったんやろな、顔くしゃくしゃにしてはった。舞台から退く住さんに、またもや拍手が鳴りやまなかったのは、言うまでもない。

「天拝山の段」(てんぱいざんのだん)
英大夫、清友 これ、初見。なかなかダイナミックなかつ奇想天外な段。そして「日本三大怨霊」たる「天神」の成立を目の前で再現してくれるというわけで、お弁当後で眠くなりがちなご見物衆も大喜び。英、最後は声量不足なのかはたまた、囃子などの音響効果が迫力満点だったのか、正直なところ舞台上の字幕に頼らざるを得なかったけど、清友さんの撥がビシバシ当たっていたことを思えば、そういうようになる場面なんだろう。ファイヤー効果(笑)も、千秋楽は「いつもより余計にファイヤーしております!」で、後半は人形が見せる場面の連続。床の本領は出だしの三下り唄や牛の講釈あたりか。ここはもう、英&清友が自在に客席をリードしていて、文楽好きは「ウフフ」な心持になる。

「寺入りの段」(てらいりのだん)
芳穂大夫、公演前半/清馗、後半/清丈 芳穂はかねがね、もっと色んな場面を長くやらせればいいのに、と思っていたが、師匠・嶋大夫の切場の前を語るという、弟子としては大役にありついたということか、いつにも増して若手実力派の本領を発揮していたと聴こえた。三味線の二人も、もうこのあたりの曲なら、安定感たっぷり。

「寺子屋の段」(てらこやのだん)
住さんの引退狂言「桜丸切腹」と並ぶ愁嘆場を嶋大夫、富助で。こちらも「桜丸切腹」に負けない、長く記憶に残る素晴らしい語りだった。初日の大熱演を目にして、「これ、身体もたんぞ」との心配が当たってしまい、途中数日間休演してしまったが、うれしいことに終盤から復帰。嶋さんは、この段を最高の形で締めくくることで、住さんの送別としたかったんだろう、なんて思うと、これまた涙目になってしまう。

休演中の代役・千歳大夫には悪いが、差は歴然としたものだった。と言うか、まったくの別物だった。とは言え、嶋さんで2回、代演の千歳で1回聴けたことは、自分の浄瑠璃を聴く力を養い、試すということでいくと、これは思わぬ大収穫だった。そしてこの日の嶋さん、やはり初日同様に「倒れまっせ、気ぃつけなはれや」と言いたくなるような、大熱演で客席を制圧していたのであった。富助の三味線も「出るとこは出る、引くとこは引く」という感じで、すばらしい女房役だった。

我が子を菅秀才の首実検の身替わりにすべく、寺子屋の新入生として送り込んだ松王丸が、その最期の様を聞き、

「ナニにつこりと笑ひましたか、アノ笑ひ、アハハハハハハ……アハハハハハハ。出かしおりました。利口な奴、立派な奴、健気な八つや九つで親に代はつて恩送り。お役に立つは孝行者、手柄者とは思ふから、思ひ出だすは桜丸、ご恩送らず先立ちし、さぞや草葉の蔭よりも羨ましかろ。倅が事を思ふにつけ、思ひ出さるる思ひ出さるる」

は、何百回聴いても泣いてしまう所だけど、この日は一層泣かされてしまった。「嶋さん、もうそれ以上何も言わんとって、もうアカン…」てな具合に。

とにかくだ、引退する住さん、そして、この嶋さんに、「命を削る芸」に生きる文楽芸人の凄まじさを、まざまざと見せつけられた。

長くなったので、人形陣に関するコメントは次稿にて。

にしても、3公演を昼夜通しで観たんだけど、これはもう体力との戦いでもありましたな。およそ10時間。これでもまだいくつかの段を省略しているんだから、とてつもない大作。これを開場30周年記念公演の第1段に持って来た国立劇場は、なかなか世間に対して「挑戦的」でありまする。結構なことだと思う。

世の中には、「儲かるか儲からないか」では評価できないことが、いっぱいある。そういうことを大衆に思い出させるのも、古典芸能の大きな役目かと思う。「儲かるか儲からないか」では評価できないことが多ければ多いほど、世の中は楽しいんじゃないかな。

(平成26年4月27日 日本橋国立文楽劇場)





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