【上方芸能な日々 文楽】平成26年初春公演・第1部

人形浄瑠璃文楽
平成二十六年初春公演 第一部

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これまた美しい。こちらは梅川さんでござんすね

世は「センター試験」だとか。アタシの頃は「共通一次試験」が始まって間もないころ。どこがどう違うのかはよく存じませぬが。もっとも、私学一本槍だった親不孝者ですから、共通一次とは全く無縁でしたがね。

て言うか、アタシの通っていた高校で「国公立受験」なんて、とてもおこがましいことのように思えたわけで(笑)。結局一浪して、まあ親も納得するような私学へは進んだわけですが…。

思えば、文楽との出会い、そして劇場通いはそんな高校生時代に始まるのだから、こりゃもう、随分な歳月。30年以上かぁ…。そのわりには、何もわかっていないという、この悲劇(笑)。

劇場に到着して、「あっちゃ~!」。暢気に喫茶店で「モーニングセット」食べてる場合やなかったな~と。券売前は大変な行列で、劇場職員が「最後尾はこちら」ってなプラカード掲げて、行列をコントロールしておるじゃないかえ!

開演時間まで20分ほどあったので、なんとか開演までには席に着けるも、幕開き三番叟には間に合わず、目論んでいた「床」の真下の席も完売、それでもなんとか床に近いところをと、上手の桟敷をゲット。客席はざっくりと超満員。およそ95%の入り。上述の高校生の頃の常打ち小屋だった「朝日座」の日常的光景からは想像もつかない「別世界」でありましたな。ド平日の朝っぱらからこの入りは、まことに結構なことでございます。

二人禿(ににんかむろ)

■作詞・作曲 野澤松之輔、振り付け 山村若菜
■初演 昭和16年(1941)4月、大阪四ツ橋文楽座

「禿」は「ハゲ」じゃないよ、「かむろ」だよ(笑)。

遊郭で行儀見習いとして花魁に仕えてる女の子のこと。この舞踊は、上方の花街が舞台。禿の人形は、紋臣と簑紫郎。舞踊のセンスは紋臣に一日の長を感じるけど簑紫郎も悪くはない。第二部の『面売り』のようなご陽気さはないけど、新春舞台を華やかにという点では、むしろこちらの方に「春」を感じさせるものがある。

源平布引滝(げんぺいぬのびきのたき)

■作者 並木千柳、三好松洛
■初演 寛永2年(1749)11月、大坂竹本座
*『源平盛衰記』を題材にした時代物
*悪役の瀬尾十郎が「善心」に立ちかえるモドリの趣向も見もののひとつ


「九郎助住家の段」
太郎吉という子は、いくつ何やろ? 七つか八つかそんなもんやろ?。そんな子が実の祖父を刺し殺すなんてまあ、大変な物語であるが、そこはそれ文楽の世界。その背景を思えばもうそりゃ、「天晴れ!」な出来事なのである。

中:睦大夫、喜一朗にて。可も無く不可も無く。と言っては、怒られるかもわからんけど、それ以外の言葉が出て来ませぬ。ということは、悪くは無かったということでご勘弁を。

次:千歳大夫、團七。千歳大夫は出色の出来で、ここ数公演で聴いた中では一番かも。一時期、休演が続き心配したが、千歳の復活は嬉しい次第。瀬尾の悪役具合も良く、その悪役ぶりが物語のクライマックスで「わぁ~、ありゃ~、まぁ~」と思わせる伏線でもあるかと思うので、出来が大事なんじゃないかなと。その点で観れば、GJ!。

切:咲さん、燕三。「千歳がよかったな~」なんて余韻に浸る間もなく、咲さんは遥かその上を行くからもう凄いなあと。まあ、それにしても太郎吉の言葉一つ一つが胸を突く。

「ヤイ侍。よう母様(かかさん)を殺したな」「母様呼んでこの手をば、骸へ接いで下され」「コレなう母様拝みます。無理も言ふまい、言ふ事聞こかう、物言ふて下され。祖父様詫び言して下され」

などなど…、こうキーボードで打っていても、あの子の顔が目に浮かんで鼻の奥がツンとしてくる…。

敵方・平家側の人物ではあるが、元はと言えば源氏の家臣たる斎藤実盛の分別わきまえた人物像、葵御前、九郎助夫婦。それぞれの言葉がずしんと伝わる語りは、なるほどそれが「切場語り」というものか!との説得力に満ちていたね~。

後:呂勢大夫、清治。あの咲さんの後ではやりにくいかな?と思ったけど、呂勢は呂勢で聴かせていたので、奮闘したんやなと。千歳が「悪役ぶり」をお客にきっちりイメージ付けした瀬尾の「モドリ」が生きてくる。太郎吉の

母の譲りの九寸五分抜くより早く瀬尾が脇腹、ぐつと突いたる小腕の力~~~~
「よう母様の死骸をば、踏んだな蹴つたな」とゑぐりくるくる

とか
瀬尾の最期

「なんと葵御前。これで太郎吉は駒王殿の、ご家来にならうがや。………成人を待たずともの、コレ召し使はれて下さりませ。…(小まんが自分が捨てた実の娘であり、太郎吉は孫だと告白し)…。サア瀬尾が首取つて、初(うい)奉公の手柄にせよ」

で、「瀬尾、いさぎよいヤツやんか!」となるわけで。
木曾義仲が忠臣の一人、手塚太郎光盛、ここに誕生!というシーン。

けどなあ、実盛って分別あるオトナやねんけど、ちょっとイキってると思うわ…、なんてのはアタシだけの感想かな?(笑)。

お人形は、実盛の玉女はんがカッコいいのは当然として、太郎吉の玉翔も印象的。これは多分に太郎吉という存在に助けられたということかもしれんけど。

 

傾城恋飛脚(けいせいこいびきゃく)

■作者 管専助、若竹笛躬合作
■初演 安永2年(1773)12月、大坂豊竹比吉座
*『冥途の飛脚』(近松作)のスピンアウト作品


「新口村の段」(にのくちむらのだん)
例の「封印切」事件で、梅川と逃避行を続ける亀屋忠兵衛。故郷の新口村に帰って来たが…。

口:靖大夫、龍爾は御簾内にて。最近お目当ての靖大夫の顔が見えないのはちょっと残念だわン。

次:津駒大夫、藤蔵。本来は源大夫~嶋さんのダブル切場でとのことだったが、源さま今公演も休演となってしまい、津駒はん代演。ま、アタシの中では津駒はんはとっくの昔に切場語りになってなあかんお人なんやけどね。節廻しよい語りで、ダブル切場でなくなってしまったことへの「がっかり感」を一切感じさせないのは、さすが。まそりゃそうだわな、だから代演してるんやわな…。

切:嶋さん、富助。いや~、やっぱり嶋さんは素敵だね~、もう超素敵だね~。「嶋さん聴けて今日も幸せ、明日も幸せ」みたいなね。そこへ持ってきて、梅川が簑助師匠でしょ、これもう文楽の醍醐味が凝縮されてますな。

世の譬へにも言ふ通り、盗みする子は憎なうて縄掛ける人が恨めしいとはこのこと。……
来たらば何ぼう不憫でも養子親への義理あれば匿ふことはさて置いて、親が縄掛け出さねばならぬ。アヽどうぞ来てくれねばよいが。……
隠れるように身を持ちなし碌な死もせぬやうにこの親は産み付けぬ。エヽ憎いやつぢや憎いやつぢや憎いやつぢやと思へども、可愛うござる。

あたりを聴くと、もうアタクシ自身の事を親が語っているかの気分になり、いつも涙でボロボロになってしまう(別にアタシが傾城と逃避行してるわけでもなく、お縄にかかるような悪事を犯したってことじゃないんですがね)…。それを大好きな嶋さんに語られ、簑助師匠の梅川が「シエヽ」と涙ながらに聞き、障子の向こうで忠兵衛がぐっと唇をかみしめて聴いているのだから、この光景はアタシのような親不孝もんにはたまったもんじゃない…。

ラストで孫右衛門が、再び逃避行の道を進む二人にかける言葉、

「オヽさうぢやさうぢやその道ぢやぞ。アヽソレその藪をくぐるなら、切株で足突くな」

はもうダメです。それこそまさに「涙々の浮世なり」でござんすよ…。

こうして、親不孝な文楽見物人は日ごろの行いを反省し、これからは孝行いたしまするシエヽ」と涙をこぼすわけだけど、家に帰ったらすっかり忘れてしまうのでありまする…。あきまへんなあ、ホンマ(笑)。

終演後、ふと時計を見れば14時半ちょっと回った頃。
前公演の『伊賀越道中双六』は通し狂言ということもあって、第一部の開演が10時半、終演が15時半ごろ。今公演は、開演が11時で終演が14時35分。休憩をはさんで前者が5時間、後者が3時間半。ちょっとこれ、考え物だな…。たしかに、定式幕が引かれて「え、これで終わりかえ?」と思ったのも事実。お国の決め事なのであれこれ言わないけど、消費税引き上げで4月から5800円の一等席が6000円になる。もちろん交通費もUPするし食事代も上がるだろう。となると、だ。ここは一考あってしかるべきかと思うが…。

(平成26年1月7日 阪神淡路大震災から19年目の日 日本橋国立文楽劇場)


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