【上方芸能な日々 文楽】平成25年4月公演その1 *旧ブログ

人形浄瑠璃文楽
公益財団法人文楽協会創立50周年記念
竹本義太夫三百回忌
平成二十五年四月公演 第1部

例年なら、4月公演の前半に文楽劇場へ行くと、劇場前の桜が満開なのだけど、今年はすでに葉桜模様。桜花爛漫の時は、すでに過ぎ去りしある春の日の文楽観劇でありまする。

4月公演公演に二つの「サブタイトル」が付いた、節目の4月公演でありますが、とりあえず「文楽協会云々」のサブタイトルは置いておきましょう(笑)。ま、50年経過して、さあ、協会は今後、どういう方向を向いて動いてゆくのか? この点については、我々ファンも、「天敵」の市長と同様に、厳しい眼を向けて行く必要もありましょう…。

ウザい話題は置いておき、お芝居を楽しみましょう!
例によって素人浄瑠璃好きの好き勝手な感想文ですがね(笑)。

 

伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)

■作者:松貫四、吉田角丸、高橋武兵衛合作
■初演:天明5年(1785)江戸結城座
*歌舞伎「伽羅先代萩」「伊達競阿国戯場」の影響を受けて作られし作。歌舞伎、文楽が相互に影響を与えあっている
*17世紀半ば、仙台伊達家に起きし「伊達騒動」が題材


「先代萩」を見たのは何年振りかな…。ずいぶん久しぶりな気がします。とにかくいい作品です。前回見た時は、近くの席の外人さんがボロボロ泣いてましたよ。グッときたんでしょうな。

竹の間の段 
掛け合いがGOODでございます!
政岡を松香はん、八汐を津國はん、沖の井を南都はん、小巻に始、鶴喜代に咲寿、千松に小住、忍びの者と腰元を亘。三味線は清友はん。
咲寿は、非常によく声が出ていて、一歩ステップアップした感あり。とにかく大きな声で精一杯語っている姿勢は好感度抜群。千松の小住も同様。他のベテラン陣では、松香が政岡の人となりを表す、抑え気味の語りが印象的。

御殿の段
あれこれ言うまでもなく、寛治師匠の三味線が劇場を支配。
それに引っ張られ、と言うと失礼なのかもしれませんが、津駒はんも奮闘。先だっての阪急百貨店でのPR公演では、お茶目な一面も見せてくれた津駒はんですが、やはり本公演。風格ある語りに胸打たれます。
ストーリー展開としては、この作品のキーパーソンである二人の子供、鶴喜代君と千松の言葉の一つ一つが、客席の心に響くわけで、小生が先代萩で一番好きな場面であります。

政岡忠義の段
人形では、栄御前(文雀)はワルながらさすがの風格。忠義の政岡(和生)ともども、手摺が引き締まりまする。
はい、ここで、呂勢です。1年くらい前までは、結構この人にいちゃもんつけることもありましたが、ここんところは、安心と信頼の太夫になりつつあります。政岡は目前で我が子の千松を八汐にズサっと殺されてしまうという、実に凄惨極まりないシーンを必要以上に高ぶらず語ることで、政岡のクドキが引き立つ、そんな「根回しの良い」(あ、すごくいい意味でですョ)語り具合が、印象的でした。
一方で、「切っ先」の清治師匠の三味線が、なんだかまろやかな気がしたが…。やはり「切っ先」だけで攻めまくる段ではない、ということからかな? とすれば、この段は大当たりなのかそれとも、太夫の力量に合わせた結果ということなのか…。紙一重…。

床下の段
あの大ネズミ、かなり敏捷な人がやってるなあと…。一体誰なんでしょうかね?
「平成25年の文楽は、こうやるんだ」という手法の床下。こういう主張が嬉しいのですよ、文楽好きの皆さんは! ドロンですよ、ドロン!!

お昼休憩挟んで、

新版歌祭文(しんぱんうたざいもん)

■作者:近松半二
■初演:安永9年(1780)大坂竹本座


いわゆる「お染・久松」モンですな。
切り場を源大夫と住大夫で分担して語らせるってのがウリだったけど、残念ながら源大夫が病気休演。代演に英大夫。

野崎村の段
端場は文字久はんと清志郎。文字久についても、これまでかなり冷酷に言ってきた拙ブログですが、どうやら一歩前に、いや二歩くらい進んだようで、何も文句は言いません(笑)。良い流れで切へつないでいってました。

切前半で英、藤蔵。藤蔵の三味線は相変わらずで、非常に聴き応えあり。英も好きな太夫ではあるけど、どうしても声量にやや難があるのか、藤蔵の三味線に負けたのか…。「もういっぺん、そこ聴かせて~な~」と言いたい場面がいくつか。

切後半に住さん登場で、この日最高の拍手。出てきただけでもう…。公演前には「まだ呂律が回りまへんねん」と言っていたそうだが、それでも野崎の切後半を語ってやるぞという心意気が嬉しいし、この人が上方の芸界にいてくれることの幸福を感じる。

確かに言うように、後半の三味線ツレ弾きの場面での声量は、昔日のものではなく、ちょっと寂しさを感じてしまったが、それでも住大夫は住大夫。圧倒的な存在感が劇場全体を支配し、空気が引き締まったのを感じた。

この御大にここまでのことをやってもらわねばならぬ現在の太夫陣、それをさせてしまう興行側である国立劇場・文楽劇場。この現状はやはり、深刻に受け止めなければならないと思う。

釣女(つりおんな)

狂言「釣針」から発する作品で、文楽初演は昭和11年というから、古典芸能の世界では「ごく最近」の作品ということか(な?)。
「先代萩」、「野崎」と、重厚作、人気作が続いたところで、お帰り間際にちょっと息抜きして下さいよ的な位置付けと言っちゃうと、演じ手には失礼かもしれないが、結果的にそうなっているから。客席にもそれなりに受けてはいた。

ま、今回もわかったようなわかってないような、見てるような見てないような、聴きこんでいるような聴きこんでないような(笑)。
近々には第2部のことについても。





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