先週末は、悪天候だろうと、天気予報やニュースはわーわー言ってたけど、大阪上空では、まだ低気圧が発達途上だったのか、あるいは前線活動が弱いポイントにあったのか、言うほどに荒れた天気にならず。
とは言え、時折、雨がザザーーンっと降ったり、ビュワ~ンって音立てながら、風が吹き抜けたりと、そこはそれ、それなりに。
そんな中、仁徳天皇御陵のお向かい、堺市立博物館へお出かけの午後であった。
現在、同博物館では、今世紀最大の特別展示として、人々の心に長く記憶されるであろう、
特別企画展 南海ホークス ―市民の暮らしとスポーツ―
を、堺市と我が母校、関西大学の主催で絶賛開催中なのだョ!
今年は、ホークス球団が「南海軍」としてスタートして75周年に当たる記念の年。今月19日からの対バファローズ3連戦は、記念の年にふさわしく「OSAKA CLASSIC 大阪で一番強いんはどっちや?」として、京セラドームで開催。この試合では、我が軍は南海時代の復刻ユニフォームを、敵方は近鉄時代のそれを着用して戦う。すなわち、「近鉄vs南海」の復活である。
そして、この堺市博物館でも、「南海ファン」を喜ばせてくれるこの企画展…。
百舌鳥(もず)古墳群などから多数出土された古代の品々や、千利休ゆかりの品などとともに、我が南海ホークスの「遺品」「記憶」の数々が、展示されている様は、正直なところ、とても複雑な気がした。
「南海ホークス」が、すでに「文化遺産」になってしまっているという現実は、実に寂しいし、悲しすぎるものだった。
とは言え、我々南海ファンにとっては、古代の土器と同様に大事な大事な「宝物」の数々を、堺市と関西大学がきちんと蒐集、調査して展示するというのは、 ファンとしても関大OBとしても、大変喜ばしいこと。
この日は、『南海ホークスがあったころ』の共著者のひとり、永井良和・関西大学教授と同館学芸員さんによるギャラリートーク(と言っても、展示品の紹介だが)付き。
アタシはまさか、博物館の学芸員さんの口から「タカちゃん人形」とか、「OBCの南海ナイター出演の南海太郎さんが…」などの「専門用語」が飛び出す時代が来て、その場面に自分が遭遇するなんて夢にも思ってなかったョ(笑)。
展示物の大半は、選手やその家族、堺市民を中心とした個人の提供物。「こんな貴重な物をよくぞ今までお持ち下さいました!」と、感謝の思いでいっぱいだった。
そうやってみれば、我が家にも色んな「遺品」がある、いや、あった。
いわゆる「南海ホークスグッズ」のほとんどは、まさか後の時代に、これほどまでの「文化的価値」の高い品物になるとは思ってもおらず、捨ててしまったり誰かに譲ってしまったわけで、そりゃもう今思うと、実に残念無念極まりなし。
一方で、「おお、お前、残っていてくれたのか、ありがとう!」みたいな「遺品」もわずかではあるがまだ所有しており、家じゅうひっくり返せば、そこそこ「南海ホークス遺品展」が開催できそうでもある。ただ、その発掘作業は困難を極めること必至であるため、本格的作業はやらないョ(笑)。
実際、自分の所有品で、この企画展に展示されていたものも多かった。それらを鑑賞者の皆さん、慈しみのまなざしで眺めていたのが、ジ~ンと…ね。
あらためて、5歳のときから始まる「南海ホークス」との思い出を、大事に大事に残しておいていこうと誓ったのである、まあ、大袈裟ではあるけども(笑)。
もし、自分があの世へ逝くようなことになったとしたら、これらは、正真正銘の「遺品」として、堺市なり関大なりに寄贈できるような手立てだけは整えておかねばならないなとも思った次第。(遺産はゼロだが、遺品はあるというタチの悪い死に方やな~w)
次のエントリでは、少しではあるが、そんな具合に手元にある「遺品」のうちの数点を御披露しておきたいと思うんで、見てやってください(FB見た人は一部重複しますが御了承を)。
ボクはやっぱり、野村監督が四番正捕手だった時代が、一番懐かしい…
在大阪香港永久居民。
頑張らなくていい日々を模索して生きています。
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