【SARS10年を回顧-13】 *旧ブログ

「まだ続くんかい!」
と、そろそろお怒りの声も聞こえてきそうですが…。
懲りもせず、SARS10年の回顧です。
当時、こんな街の噂というか、かなりの人が本気に信じていたことがありました。

「ヤクルトはSARSの特効薬である!」


*写真の人物と本文とは関係はありません

そこで、暇人なアタシは、香港ヤクルトさんへ事の真相を聞きに行ったわけです。

あちらさんも苦笑いで「ホンマに聞きに来ましたか~」ですって(笑)
特効薬云々はもちろん、勝手な噂でありましたが(笑)。

まあ、事の発端と言うか噂の真相は、「こんだけアジア一帯にSARSが蔓延しているのに、日本人に感染者がいないのは、ヤクルトを飲んでいるからだ」ということでしたが、1億人全員が欠かさずヤクルトを飲んでいるわけじゃないですしね(笑)。~ちなみにアタシは、香港でも毎日ヤクルト飲んでましたw。
まあ、SARS初期のころの「白酢買い占め騒動」にも通じるものがありますね。

さて、これまでにも触れて来ましたが、SARS騒動では、観光・飲食業界がかなり深刻な状況に追い込まれていました。観光で成り立つ香港ですからね、観光客が来ないってのは、香港そのものの死活問題ですわな。

2003年は、4月18日から復活祭=イースターの4連休が始まりました。例年なら、多くの人たちが海外旅行へ旅立ちますが、この年は、海外へ行く人は前年の半分にも及びませんでした。(ただし、広東省各地のおねーちゃんに会いに行く人は、それなりの数がいましたがw)

香港人に大人気の日本路線も、運休・減便が相次ぎ、行きたくても行けないし、行っても受け入れてもらえないし…ってところですね。

あるエアラインの日本路線担当者は、メディアのインタビューに、「1便当たり、搭乗客は20人おればいい方ですョ~、こんな状況が4月上旬から続いてます。これから先、どうなることやら」と、頭を抱えていました。同社は、03年3月末から、イラク戦争の影響で減便傾向にあったのですが、追い討ちをかけるようにSARSが蔓延。本来、戦争終結と同時に元のダイヤに戻す予定も、これで当面は復活の見込みがないと。

当地のキャセイ航空は、経営危機に見舞われていました。すでに全路線の半分近くが再開の見込み無しの運休措置をとっており、客室乗務員には「無給休暇」を奨励すなど、徹底した締め付けを展開していました。

当時、本社での地上勤務にあたっていた知り合いのローカルスタッフによれば、「ウチは、いまかなり危ないですよ」とのことでした。
「エレベーターは半分しか使えないし、給湯室からお茶やらコーヒーが消えました。コピー用紙も買い足しは無く、損紙とかチラシの裏を使ってます」。機内食も「香港一流シェフの味」などはとうの昔になくなり、軽食程度だとか。そして、ここの日本路線も、平均搭乗客数約20人。「5月には全便運休か?」とのロイターのすっぱ抜き報道を慌てて否定したキャセイでしたが、火の無いところに何とやらで、その噂も現実味を帯びてきていました。

次はいつかもわからぬ「出番」を待つキャセイの飛行機たち

飛行機がこんな状況と言うことは、観光客やビジネス客がほとんど来ていなかったと言うことです。

香港のホテルは、クラスや時期にもよりますが、この当時は年間平均して70%前後の客室稼働率だったと思います。それが3月末から一気に減って、4月中旬には10%程度にまで落ち込んでいました。聞いたところでは、人気のペニンシュラでも、4月中旬の平均客室稼働率は7~8%。要するに、お客が限りなく「ゼロ」だったのです。

一方で、日常生活で頻繁に利用するサービス業も、それぞれが存亡の危機に瀕していました。

「茶餐庁(ちゃーちゃんてん)」は、在住者なら1日1回は利用する便利な存在。喫茶店と大衆食堂を一緒にした店で、大体、50㍍おきくらいの割合で存在しています。従来から、こうした店の衛生状況は、「?????」って感じが多く、概ねよろしくない。そんなこともあってか、SARS騒ぎで、どの茶餐庁も大打撃を受けていました。

SARSは食べ物から感染する病気ではありませんが、茶餐庁の衛生状況と店員の清潔意識の低さが、客足を遠のかせていたのは、明らかでした。「にわか潔癖症」の香港人たちは、初めて、茶餐庁の衛生に感づいたようです。タバコをくわえて料理を運ぶ店員なんかは当たり前で、雑巾は布巾かの区別も怪しく、「厠所=WC」の不潔さは筆舌に尽くし難い、などなど、上げればキリがありませんからね。

ただ、アタシもそうでしたが、人それぞれにお気に入りの茶餐庁があって、そこが経営不振に陥って閉店なんてなっちゃうと困るので、適当に足を運んだり、料理の持ち帰りなどで、お気に入りの茶餐庁を支援してはいました。

観光客や接待客などを相手にしている高級店は、茶餐庁よりもかなり厳しい状態にありました。当面の休業を打ち出した有名レストランも少なくはなく、ローカル紙の調査で、4月末までに約3000の飲食店が休業に追い込まれるだろうという予測もありました。SARS蔓延にあたって、外出を控える傾向が強まったことで、自ずと外食の機会も減ってはいましたが、3000店休業により、2万人近くが失業すると言うから、事は深刻でした。

多くの病院でSARS患者の治療によってICUが「爆満」状態だと言うこともあって、病人の足が病院から遠ざかります。病院での感染を恐れているためです。

これは大病院に限ったことではありませんでした。

アタシが腰痛や頸の痛みでよくお世話になっていた鍼灸院も同様でした。
日本人の先生が開業されているので、在住邦人にはよく知られており、このころは確か土日も治療されていたと記憶します。それが3月末ごろから、ほとんど患者さんが来なくなったと、嘆いてましたね。「この状況、ホンマきついですよ~」と。患者の大多数を占めていた日本人主婦層がほとんど「疎開」してしまったことに加え、香港人も何分「にわか潔癖症」に陥っていましたから、見ず知らずの人と枕を並べて鍼治療なんて!と考えるのも、まあ無理もないことでした…。

「隔離・強制移住」から「釈放」されて、 集団発生の淘大花園(アモイガーデン)に帰還した人たち

さて、ここまでは香港の状況と香港政府のドジ具合などをご紹介して来ましたが、少し、日本政府のことにも触れておきます。

なにせ、人類が初めて遭遇した未知なるウィルスとの戦いですから、対応が後手になったりするのは、アタシはある程度は仕方ないことだったと思っています。ただ、そうは言っても、命にかかわる問題ですし、渦中にいる香港在住邦人に対しては、目に見える形で、耳に聞こえる声での政府の対応を、わずかながら期待はしていたんですがねぇ…。

一言で言えば、
「日本政府は当てにならならなかった」
ということです。

以前にも少し触れましたが、3月末、香港の感染状況が一挙に悪化したとき、外務省は香港および広東省の在住邦人にマスク1万個(香港9千個、広東省1千個)を送ると同時に、現地に外務省医務官を派遣し、邦人向けのSARS説明会と健康相談を開催すると発表しました。

だが、そこから先がねぇ。

そのころの在住邦人の間では香港に割り当てられた9千個のマスクの行方が、話題になっていました。そもそも、香港だけで日本人は2万3千人いると領事館は常日頃言っているのに、そこへたった9千個。一体、だれにどう配布するのか、長い間謎に包まれていました。はっきりしたのは、発表から半月以上が経過した4月15日のことです。

実は、小生は4月11日の夜半に、某筋から「15日から領事館では、マスクの配布を行うので、香港印刷の朝日、日経、讀賣の明日付けの紙面に記事を書いてもらうにはどうしたらいいですかね?」なんていう相談を受けましてね。

「あいにく3紙の編集紙面は東京本社で制作しているので、記事はできない相談だと思うけど、広告と言う形なら紙面を用意してくれるかもですよ」と、返しましたが、制作費や掲載料の決済には時間がかかるし、明日の告知じゃなけりゃダメなんだ、云々…。なぜ、突如マスクの配布が決定したか?

推察するに、その2日前、外務省から派遣された医務官による「SARS説明会」が開催されました。予想をはるかに上回るのべ600人の邦人が参加しましたが、その内容は大方の期待を裏切るものであり、外務省や領事館への風あたりが強まったことついては、以前にも触れたとおりです。

そんな経緯から、ここでマスクを配っておかねば、となったんじゃないかなぁと思いましたが、どうでしょう…。

しかし、時すでに遅し。各企業では日本本社などから、3月の時点で大量のマスクを取り寄せていましたし、邦人家庭でも、実家や友人知人からマスクが届けられていました。それ以上に、すでに香港社会はマスクの供給過多が始まっていましたし。

こんな状況で、「パスポート持参の上、領事館もしくは日本人学校(3校)まで自分で来てください、ただし、ひとり5個まで、昼休みは対応できかねます」なんて言っても、誰が行くものですか、ねぇ~。

そもそも説明会で医務官は「マスクを外せ」と言ったではないですか! どっちなんですか? 結局は何もかも、外務省の対在港邦人向けのポーズでしょ? ね。

こうしたお国元の諸事情に、その都度、怒りの矢面に立つことになる領事館も大変だなぁと、ちょいと同情もしましたがね。

もうひとつ、決定的に在港邦人を怒らせたのは、小泉首相の発言でしたね。

北京での感染者隠しが発覚した直後、首相は「中国に120万US㌦相当のマスクと医療用防護服を送る」と表明。

ちょっと待ってぇ~な~。香港が早々に深刻な状況になったときに、たった9千個のマスクを送って、しばらく「寝かせておいて」から、今度は「早い者勝ち」で受け取りに来いと言い、中国には120万㌦? そりゃないでしょ…。在港邦人も随分、ナメられたものだなあと思いました。防護服だって、3月に香港に送ってくれていたら、少なくとも、医療関係者の院内2次感染はもっと防げていたと思うんですよ。防護服が徹底的に不足していたんですから、実際に。周囲には怒りのあまり、首相官邸だったか外務省だったか忘れましたが、日本政府のしかるべき機関へ抗議のメールを送った人も結構いらっしゃいましたねぇ。

中国政府は嘘つきだし、香港政府はドジだし、日本政府はナメたマネするし…。そりゃもう、ひたすら祈るしかありませんわな! 毎週のようにお寺さんたちが香港中をオープントップバスで回ってくれていました。

なんか思い出したら、腹立ってきたので今日はここらで。

ではまた。


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