【私家版『二流文楽論』 その5】*旧ブログ

 懲りもせず、私家版『二流文楽論』、再開いたしまする。

何某の市長と技芸員の面会が、近々実現しそうな様子である。しかし、文楽の方は「非公開」を言い、何某は「公開」を条件とすると頑なである。つくづく、人品骨柄下劣なお人だと、どこをどうすればこういう人間になれるのか、こちらが市長に面会を申し入れたいほどである。つまり、ここでまた文楽が「非公開」を押し、市長の言う「公開」は呑めないと主張すれば、当然再び「補助費全面カット」を振りかざしてくるのだろう。卑怯者もここに極まれりと思うは小生だけではないだろう。どういう展開を見せるのか、依然として目が離せない。

 

 さて、何某の市長と文楽の軋轢の観察、雑誌『上方芸能』への苦言提言はこの辺にしておき、織田作之助の『二流文楽論』そのものについて触れておかねばなるまい。

 『二流文楽論』は、昭和2110月、『改造』に初出の評論である。文楽に言及しつつ日本文学をズバッと斬るもので、後の『可能性の文学』のプロローグ的な存在にもなっている。

 

「一流」の真似事をしている日本の文学は「二流」でしかないのだから、「二流」文学に徹するべきだと主張する。(岩波文庫『六白金星・可能性の文学』《解説》可能性の「織田作」 佐藤秀明)

 

 「文楽論」と名付けられているからには、当然、当時の文楽に関する評論も多く、その内容は言うまでもなく非常に興味深いものとなっている。結論を言えば、終戦直後の文楽界と現在の文楽界に、さほどの大きな違いは無いということである。。

 まず、オダサクは文楽をどうとらえていたか。興味深い一文がある。

 

かつて文楽は流行した。万葉ばやり法隆寺ばやりお能ばやりと同じ現象が、この落日の最後のあえかな明りのような、大阪の町人芸術に、文化への仲間入りを許したのである。この国では、文化人というものは猫でなければ杓子である。非文化人だけが食わず嫌いなのだ。文化人は食わぬ前から好いているのだ。見ぬ前から、「文楽」のよさを認めているのだ。

人形浄瑠璃芝居とは元来が大阪の庶民と一部の好事家相手の町人芸術であったのだ。

 

 この見方に恐らく間違いはないだろう。今から40数年前でもその名残はあった。それは当時、母方の祖母がたびたび「今日は“にんぎょじょろり”(多分、古い大阪の人は人形浄瑠璃をこのように発音したのだろう)行ってきた」と言って、なまめかしい目つきの女の人形の写真を見せてくれたりしていた。すなわち、文化人には程遠い、どちらかと言えば「非文化人」に近い、こういうごく普通の大阪の人たちにとって文楽は決して「文化」ではなく、オダサクが言うような単なる「庶民相手の町人芸術=にんぎょじょろり」だった。祖母にとって「にんぎょじょろりの見物」は、年に何度かのお楽しみだった。

今はどうか? その起源から300有余年経過した今に至って、こうした「庶民と一部好事家相手の町人芸術」だった文楽をなぜ多くの「文化人」が行政に対して「守れ!」と声を上げているのか。次の文にその答えが見え隠れしてはいないか? オダサクは続ける。「文化人」はかくの如く、町人芸術の「文化」への仲間入りを許したと。

 

(人形浄瑠璃芝居は)けっして文化人の肌に合うものではなかった。それが突然文化人の興味――というよりは畏敬の対象になったのは、スタンダールのいわゆる結晶作用が起こったためではあるまいか。ただの人形浄瑠璃芝居が「文楽」という観念のヴェールをかぶったのである。はじめに、観念があったわけだ。「文楽」というこの観念のおかげで、人形浄瑠璃芝居は美化され理想化されたのである。新興宗教が奇蹟によって信者を獲得するように、文楽は「文楽」という最上級の観念によって信者を獲得した。

 

 非常に分かりやすい論理だと思う。すでにこの時代に、何某の市長が標的の一つとする「文化人」が現れ、文楽はそれら文化人の畏敬の対象になっていたのである。この現象は文楽の悲劇なのかもしれない。文楽はこのように「美化され理想化された人形浄瑠璃芝居」として信者をどんどん獲得してゆく一方で、前述の祖母のような人たちを遠ざけていっていたのではないか? 恐らくそれは文楽が好んだ道ではないだろうが…。文楽の敷居を高くしてしまったという点では、「文化人」の罪は問われてもよいのではないのか? 前回、批判した『上方芸能』でメッセージを発した人たちの中にも、「文楽教の信者」が多くいるのではないか? そしてまた、小生のような「二流の見物人」も時として、この観念から文楽を語ってしまうことがあるのだ。まさに「美化され理想化された人形浄瑠璃芝居」の信者の状態に陥ってしまうのである。「文化」という言葉の持つ魔力なのかもしれない。

 奇妙なことに、何某の市長がこれに似たようなことを言っている。

―「補助の継続によって文楽を守れ」と言うだけの「文化人」も、私からすれば同罪です。なぜ、口に苦いクレームや批判を行い、文楽の振興にむけた建設的で具体的な提案を行わないのでしょうか。(文楽協会への補助金について)

まさか何某が『二流文楽論』を読んでいたとは思わないが(読んでおれば、こういう騒動にはなっていないはず)、ここで意見がちょっとばかり一致してしまうとは、なんとも皮肉な話である。

ただ、言えることは、「痛いところ」を衝いているにもかかわらず、何某は文楽を最上級の観念で語る「文化人」でもなく、オダサクのような二流論者でもなく、またごくありふれた文楽好きな「大阪の庶民と一部の好事家」でもないということだ。彼が何を言っても「詭弁だ」と批判される故はそこにあるのだろう。もし、何某が我々のような「二流の見物人」であれば、いや、せめて「三流」程度でさえあれば、この発言も「あんた、割と見るところ見てるね」と首肯もできるというものだが、いかんせん一度見たきりで「もう一度見たいとは思わない」と宣言してしまった人物である。

もう一度見る見ない、好き嫌いは個人の勝手で、知ったことではないのだが、そのわずか一回きりで「文楽の努力不足」、「文楽が終わってしまうという危機感すら持っている」などと「文化人」顔負けの分析をし、市の補助金削減の模索をしようとするのだから、ある意味、相当な「文楽愛護精神」に満ち溢れた御仁なのだろう(と、皮肉をこめて“評価”しておく)。

左様な次第であるから、何某がいくら「私は、文楽が大阪発祥の重要な伝統文化であることは、十分に理解していますし、好き嫌いや無理解から、補助金を見直そうとしているのではありません」(文楽協会への補助金について)と一見カッコよく言ったところで、中身のないカスカスの発言にしか聞こえないのである。以前にも言ったが、その施策には評価する点が非常に多いだけに、文楽に対するこれらの発言は、その評価ポイントを著しく下げてしまうもので、残念で仕方ないのである。

 

 またもや長くなってしまったので、ここまでたびたび多用してきた「二流」或いは「一流」の指すところが何なのかについての解釈は次回にて。

<第5章 おわり>


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