第1回目の稿でお気づきの通り、橋下徹大阪市長を「何某」とか「何某の市長」と表記しているのは、ささやかな反抗である。そもそも人間国宝の竹本住大夫師を「竹本氏」と表記している人物である。これくらいは反抗させてほしい(笑)。と同時に、アホな小生のPCは「はしもと」と打ち込んでも「橋下」と一発変換してくれない。辞書機能を使えば済む話なのだけど、そいつもまた面倒なので放置状態(笑)。
何某の施策については、小生はすべて「No」というわけではない。大いに評価したいものもある。どちらかと言えば、評価したいものの方が多いだろう。しかし、文化行政の態度がその評価すべての足を引っ張り、総合点でかなりのマイナスになってしまっている。まったくもって残念ではあるが、そこに「卑しい人品骨柄」が見て取れる、つまりは底の浅さが露呈してしまっているのだから、いたしかたない。
何某の市長の挑発的な発言の数々は、文化全般に対する不勉強と尊敬の念が甚だしく欠如したものではあるが、それはまた、「大フィルとも文楽とも一生接することなく生涯を終える」大多数の大阪市民よりは、よっぽどよくいま俎上にある大フィル、文楽、市音を市長の立場として、税を預かり予算を捌く立場として「研究」しているのは感じる。
対する大フィル、文楽、市音はどうだったのか。そこにまで思いは至っていたのかという市民の批判を浴びても仕方ない状況であるが、過去にじわじわと自らの文化を抹殺していった経歴を持つ大阪市民や在阪企業は、この一連の問題に対して反応がすこぶる鈍い。当然の成り行きであろう。実際のところ、市民が待ち望んでいるのは何某が次にどんな挑発的な発言をするのか、である。だから、税がどれだけ投入されてどう使われていようが、あまり関心を抱かない。残念ながら周囲を見回しても、文楽の将来に「危機感」を抱いている人は見当たらない。
ならば文楽側は、とにかく今はもうこの「挑発」に乗らないことである。住大夫師匠がひとり敢然と何某に立ち向かい「文楽の論陣」を張る姿は、文楽ファンとしては頼もしい限りであるが、どう見てもこの両者の溝は埋まることはないのはだれの目にも明らかなのだから、これ以上挑発に乗っていただきたくはない。もちろん、住師匠は挑発に乗って発言されているわけではないのだけろうけど、報道を通じて住師匠の発言を見聞きすると、大方の人にはそう映ってしまうのである。その点はメディアの取り扱い方にも問題があると言える。
かかる状況において、在阪メディアも「維新の市長vs人間国宝」という対立図はおいしいネタであるのはわかるけど、これ以上両者をけしかけないことだろう。けしかけたところで論議にすら発展しない。お互いにお互いの主張をエッジの際立った言葉で繰り返すだけである。この応酬において、解決策は半永久的に見出すことはできないだろう。
文化行政の論議にかかわらず、何某の市長の戦略として見えてくるのは、できるだけ挑発的(ときには暴力的)な発言を並べて、相手を論議の場に引きずりだし、徹底的に論破し、自己の主張の正当性を決定づけるということなのだが、現時点では、多数の市民がこの戦法を支持し、小難しい問題も挑発的な発言と、それにより次第に窮地に追い込まれてゆく相手の「不利」な姿を見て、何も悪いことはしてないのに(とくに今回の「文化」などは)、諸悪の根源でもあるかのように見えてしまい、何某の市長に軍配を上げるわけである。大飯原発再稼働の論争でも見えた「勝ち負け」を鮮明にすることにこだわるこの辺の手法については、ただただ「上手いなあ」と感心せざるをえない。
と、のどかなことを言っている内に、事態は急変しそうな雰囲気である。
6月29日、予算ヒアリングのために面会を申し入れた人間国宝(住大夫師匠のことかな?)から、面会を拒否されたとキレた何某は、25%カットで落ち着こうとしていた補助金の「全面カット」をぶち上げたのである。大阪市は今年度本格予算案に昨年度比25%減の3900万円を計上していたが、すっかり逆上した何某の市長は議会で可決されても執行しないという。
何某は、記者団に「文楽協会に『直接意見交換したい』と言ったが、拒否してきた。会う会わないに関係なく『補助金はもらえるもんだ』と勘違いしている。恐ろしい集団だ」と激しく批判したという。実はこのあたり、報道が錯綜していて、『毎日新聞』のウエブ版では“予算ヒアリングのため申し入れた面会を人間国宝に拒否された”とあるが、手元にある『産経新聞夕刊(大阪版)』の記事では、“市が運営補助を行っている文楽協会が、予算編成にあたって市長から打診された意見交換を拒否したことを明らかにし”とあり、人間国宝から拒否されたとは言っていないと受け取れる。ここ、「文楽協会」に拒否されたのか、「技芸員」である「人間国宝」に拒否されたのか、報道側が明確にしておかないとなぁ…。
いずれにしろ「文楽側」から面会を拒否されたことに激しく怒っており、ここにその「自己愛の塊」である本性を露呈したのである。
しかし、この報道を受け、技芸員で構成する団体『NPO文楽座』はTwitter上で以下のように発言。
「事実と違う報道なので、つぶやきます。橋下市長の勘違いか、取材記者の聞き間違えかわかりませんが、文楽座の人間国宝の師匠方を含め技芸員は市長との面会拒否はしてないと聞いてます。当初から直接面会したいと申し入れていたのは、むしろ住大夫師匠だったんですけどね…。」
また、同じくTwitterの『朝日新聞・橋下番』でも
「文楽協会の事務局に取材しました。協会の担当者は『市側(の担当部局)の予算ヒアリングに応じており、改めて説明することはない。市議会の推移などを見て今後の対応を考える』とのことです。」と伝えている。
一体、真実は? 今の時点ではまったく不明である…。
「文楽側が会えば済む話ではないか」という見方もあろうが、要するに、「ここはひとつ、頭下げに来たらどうか。それなら考えて上げましょう」とでも言っていると受け取られても仕方ない何某の発言が、自治体の長としての人品骨柄を著しく貶めているのは、施策の多くを評価している小生としては、かなり残念だ。「大衆文化が特権になってしまった。こういうところに衰退の原因がある」などと述べているが、何某は何某でまた「特権」と「私憤」を振りかざして予算を左右しようとしている。文楽側を「恐ろしい」と言うのなら何某も同様に「恐ろしい」。この「恐ろしい」事は文楽だけには収まらないだろう。何かにつけてこの理論で進めるのである、何某は。「大阪版文化大革命」である。
挑発の上に逆上。これで市政を運営されては、市民はたまったものではないのだが、それでも多くの市民はこの御仁を支持してやまないし、国政に送り出したいと考える人も多数あり。一方で、一連の件についてはやっぱり「我関せず」だし、他府県のヤジ馬は「もっとやれ!市長!」と面白がるばかりである。
とは言え、文楽はまったくその手に乗る必要はない。仮に何某が何の恨みあってか知らぬが「文楽壊滅」を企んでいたとしても、300有余年の歴史を積み重ねてきた芸を相手に「勝ち負け」を挑んだところで、彼個人には何のメリットもない。益々、卑しい人格をさらけだしてゆくばかりだ。だから最初に書いたように文楽は、「万事において静観し、彼の打ちだした施策なり予算案をよく吟味の上、その数字や取り決め事の中で粛々と文楽の公演や芸の伝承を続けて」ゆけばよいのであり、その動じない姿勢、人形浄瑠璃文楽の矜持を世に示して行くこと、これに尽きる。それを何某の市長に倣って敢えて「勝ち負け」で論じるならば、何某の「負け」なのは明白である。
*追記 橋下氏から補助金の「停止」を突きつけられている文楽協会の件。協会の西口一男事務局長が30日付で退任することになりました。西口氏は理由を「一身上の都合」とのみ説明しています。西口氏は大阪市OBで昨年4月に就任。後任は大阪府OBで現在の事務局次長が就任の予定。(出所:Twitterの『朝日新聞・橋下番』)
―一身上の都合が何を示すのかはいずれ明らかになるだろう。しかし、ここに及んで、「人間国宝」を含む技芸員の知らないところで事が動いている。
<第2章終り>
在大阪香港永久居民。
頑張らなくていい日々を模索して生きています。