【六四あれやこれや】柴玲の発言に王丹慌てる*旧ブログ

なぜか今回は正字、正假名遣ひでしたためました。用法に間違ひはないと思ひますが…。
1830469上のグラフは、1990年(天安門事件翌年)から今年までの香港における「六四晩會=天安門事件追悼集會」の參加者の推移であります。
主催者發表と警察發表の數に乖離があるのはいづこも同じことで、氣にすることはないでせう。見ておわかりの通り、變動の幅は數字に拘はらず似たやうなものです。

在住中、すなはち95年から09年まで毎年この集會を「定點觀察」してまいりましたが、當方の「目勘定」「皮膚感覺」で數字を上げてみるならば、凡そは警察發表數から5千~1萬引いた位が妥當な線だと感じてをります。以前にも申し上げた通り、東京ドームや甲子園、つま恋の野外ライブなどで3萬~6萬近い觀衆を目にしてゐれば、主催者發表、警察發表ともに相當な水増し發表であることは、まさしく一目瞭然なのであります。よつて、今回の主催者發表18萬人超・警察發表8萬5千人も7萬人くらゐが實態と見ておいて間違ひないでせう。

實はこの日は、大埔地域がガス管事故で1日中ガスが使へなくて、「家で晩飯作れないから六四でも行つて外食するか?」みたいな人たちが大擧參加した、なんて意地惡な見方もできますが(笑)。

ただ、數字はこの際はどうでもいいのです。主催者は當然ながら「前年よりも何萬人増えた!」と言つて、香港では決して「六四=天安門事件」への哀悼の氣持ち、中共政府への憤怒の念は消えてゐないといふことをアピールいたします。そして同時に自らの「自由、民主」を守る決意の程を世界中に知らしめます。そのためには數字の發表は缺かせませんからね。

ただ、重ねて申しますが、數字はどうでもよいのです。六四の度に毎回言ひますやうに、中共政權下で「一國兩制」とはいへ、かうして數萬の人々が集ひ、「平反六四=六四事件の再評價」を訴へる集會が開けるのは、香港とマカオだけであります。とりわけ香港はこの自由を死守する必要があります。それは「返還」によつて香港に課せられた重大な義務なのでありませう。その義務を果たす姿を香港は、これからも集會の參加人數の多少にかかわらず世界中に知らしめしてゆかねばならないのです。

恐らく、香港人のすべてがそれを認識してゐるとは思へませんし、「そんな義務は眞つ平御免、中央とは付かず離れずで仲良くやつていければそれでよし」と考へてゐる人も多數いるのは承知してゐますが、好むと好まざるにかかわらず、「一國兩制、五十年不變、港人治港」が返還の條件である以上は、香港はさういふ命運を背負つてゐるのであります。

1830468例によつて『蘋果日報』はまるで自社イベントの成功を自畫自贊するかのやうな、
例へれば「大阪國際女子マラソン」翌日の産經新聞大阪版のやうな紙面で、大はしやぎであります

しかし不思議です。小生は97年(返還の年)のこの集會が、最も參加者數が多くて參加者の熱氣もあつたと思つてゐたのですが、今年はその3倍以上の數になつてゐます。その間、「見た目では、今年は1萬人もいないだらう」と記者たちと話してゐた年もありましたが、09年に主催者發表で一氣に15萬人に達し、今年は史上最多の18萬人が參加であります。

この背景には、もちろん一向に改善の兆しを見せないどころか、ますます衰頽する一方の本土の人權状況や、香港政府高官への批判(大して六四とは關はりがないと思はれるが…)、なんとか道筋をつけられたものの「民意」は置いてけぼりの香港の選擧制度(これも六四とは關係ないのだが…)、今年で言へば曽蔭權行政長官の疑惑あれこれ、陳光誠事件などと、「六四の枝葉のそのまた枝葉の部分」やら「六四の幹から出てきた新芽」への不滿タラタラがありませう。

主要なメディアは追悼集會の現場で、「次期行政長官・梁振英のもとで、追悼集會の自由度は引き締めが強化されると思ふか」といつた内容のインタビューを行ひ、參加者の半數以上が懸念の聲を上げてゐると報じますが、これは些かアンフェアな聞き取り調査ですね。「懸念」してゐるから集會に來てゐるわけで、懸念してゐない人や興味ない人は多分、現場にはおりませんわな。とは言へ、「共産黨地下工作員」と言はれるやうな梁氏ですから、何かがあるかもわかりませんが…。

とかく海外メディア(特に西側)は、まずは數字の推移に一喜一憂します。増えれば「高まる中央への不信」、減れば「自由度低下する香港」などと。さういふ單純な理由だけでは輕々に判斷できない色々な背景があることを、もう少しよく觀察してほしいものです。返還の時に「返還後の香港を見守つてゆきたい」と大見得切つた以上は。

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さて、背景がどうであれ、盛り上がる一方の香港の「六四」でありますが、時の天安門廣場の學生活動家のリーダー(天安門廣場防衞指導部總指揮)であつた柴玲の發言が波紋を呼んでをります。簡單に言へば、下記の如しであります。

「クリスチャンとして、李鵬らを赦す、毎日彼らのために祈る」と柴玲が言つたのに對して、王丹(北京市學生自治會リーダー)が、それはあくまで彼女個人の意見であり、自分たち六四の民主活動家たちの考へを代表するものではない、と緊急聲明を發表。

といふことであります。
王丹の慌てようが凄くて、すぐさま「緊急声明」なるものが発せられ、それに対してネット上では様々な意見が飛び交っております。

香港の18萬人の追悼集會に水を差すかのやうな柴玲の發言ですが、まあ、彼女ならさもありなんの發言です。

小生の天安門事件當時の彼女の印象は、決して好ましいものではありませんでした。「キャンキャン吠えるスピッツのやうな女」といふ印象があります。それだけです。何故、この吠えまくる女がこのやうな大規模な騷動を卷き起こしたのか。

天安門廣場の學生たちのうねりが、反動行爲とみなされ、虐殺事件に發展したの背景の一つには、中央の「權力鬪爭」があつたのは御承知の通りです。「學生運動=叛亂→鎭壓」を唱へる李鵬ら「社會主義保守派」、「學生たちの愛國的心情を汲まう」とする趙紫陽らの「經濟改革派」の爭ひであります。(このあたりのめまぐるしい動きは、張良による『天安門文書』が非常に生々しく、當然ながら本土では發禁の書であります。)

さうかうしてゐる内に、廣場を埋めた學生らの理解者であつた趙紫陽は失脚せしめられ、後に起きる「血の慘劇」を豫感する知識人も少なくはなく、天安門廣場に集結する學生らに自主的な撤退を求めるに至ります。しかし、先導者であり煽動者であつた柴玲はこれを「非道なる李鵬(政權)打倒!」「絶食抗議突入!」と叫び拒絶します。あとはご存じの通りであります。

この頃には、王丹や吾爾開希(ウアルカイシ=ウルケシ)と云つた、活動當初のリーダーたちの發言權は薄れて、「後から來た女」柴玲らの、小生から見れば「武鬪派」が活動の中心を擔つていくやうになります。

遂には、彼女のこの「スピッツのやうに吠える」煽動が、図らずも絶食抗議集團(ハンストデモ集團)の退路を斷つたといふことです。

すでにこの時、柴玲は引くに引けない状態に追ひ込まれてゐたと思はれます。
絶食宣言直後、柴玲は米國人記者に次のやうに答へてゐます。

「ハンストを決めた日から、結果は出ないと分かつてゐたが、弱みは見せられない。目指すは勝利だと言はなければならないが、心の奧では空しかつた」

「學生はいつも『次は何をする?』と聞く。そのとき私は悲しくなる。目指すは『流血』なんて誰が言へるか? 政府を追ひつめて人民を虐殺させる。廣場が血に染まつて初めて民衆は目覺める。それで初めて一つになれる。これを學生にどう説明する?」

「悲しいのは一部學生が政府のために働いたことだ。運動の崩潰を企んだのだ。私欲にかられて政府と取引し、運動を潰さうとした。政府が事を起こす前に撤退を企んだ。運動の崩潰を許せば、政府は次に運動の指導者全員を潰す。黨や社會の少數の叛亂分子だけでなく、學生たちまで鄧小平は潰す。そんなこと同志の學生にとても言へない。それでも學生は喜んで死ぬだらう、あんなに若いのに」。

すでに結末を悟つてゐたのであります。

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天安門廣場のリーダー3人 右から王丹、吾爾開希(ウアルカイシ=ウルケシ)、柴玲

かうした經緯もあり、柴玲を「虐殺の責任者」とみなす意見も決して少なくはありません。今回の發言についても、發言そのものへの批判もさることながら、彼女が天安門廣場で多くの學生を最惡の事態に追ひ込んでしまつたことを非難する聲も見受けられます。

柴玲は學生たちが疲弊の頂點に達しようとしてゐた5月末に、リーダー(天安門廣場防衞指導部總指揮)の辭任をもう一人のリーダー王丹(北京市學生自治會リーダー)と申し出、新しいリーダーとして封從徳と李録が選出されます。柴玲もまた疲弊の極限状態にあつたのでせう。

上記のインタビューの時點で、ハンストを終へ、學生たちに撤退を促してゐれば、必要以上の命を奪ふやうなことにはなつてゐなかつたのではないか? などなどと、今となつては色んな「たら、れば」に思ひを巡らせることもできるのですが、あの天安門廣場に何10萬人が集結し、それを自分がコントロール=煽動してゐるといふ状況にあつては、それはできない相談だつたのは容易に察せられます。上のインタビューを見ても、多少の理性は殘つてゐたと思はれるのに。

香港の追悼集會に集つた18萬人のうちのどれだけの人たちが、事件の全容を正確に理解してゐるのかはわかりません。六四活動をリードする香港市民支援愛國民主運動聯合會=支連會のオルグ活動の成果もあつてか、若い人たちの活動への參加も徐々に増えてゐます。

彼ら彼女らの中には單に「殺された學生たちがかわいさう」とか「軍事力で民主活動を制壓した中共政府は許せない」といつた情緒的な理由で參加してゐる子もいるでせうし、「中國の民主化を香港の力で!」といつた「純眞純情まつすぐ君」もいるでせう。仕方ないです、天安門事件をリアルに知る世代ではないわけですから。かういふ子たちが後で「な~んだ」とがつかりしないためにも、支連會はオルグ活動するならするで、集會やデモへの參加動員を促すだけでなく、事件の多様な背景もしつかり教育してゆく必要があります。でないと、この世代は昨年もこの時期に書きましたが、オリンピックなんかの國際大會ではいとも簡單に五星紅旗を身にまとい「我是中國人!」になつちやふ民族意識も持ち合はせてゐますので、その「輕さ」は危險です。これは日本にとつても、危險な存在になりかねません。

18萬人か8萬人か知らないが、とにかく人で一杯のビクトリアパーク ちなみに蝋燭は使ひ慣れてゐないと熱くて耐へられない(笑)

奇しくも、六四23周年に柴玲が波紋を呼ぶ發言をしたので、思ふところをつらつらと書いてみました。

小生とて、もはや香港を離れて3年。皮膚感覺でものを言へなくなつてゐるので、現場の空氣がどうだつたのかを輕率に語ることもできなくなつてきました。また香港人や學識のある「ウォッチャー」からすれば、極めて遺憾で低レベルな「感想文」なのかもわかりませんが、そこは丸15年、定點觀測してゐたのですから、當たらずとも遠からじと言ふところかと思ひますので、何卒、御寛容のほどを。

何にせよ、柴玲が「空氣」に抗しきれなかつた、もしくは「空氣」を讀み違へたやうに、かういふのは「空氣」が左右します。當方の餘計な心配が大きな的外れであり、香港の思ひはさらに鞏固なものになつてをればそれで良し、であります。やつぱり香港が愛おしいですからね(笑)。


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