「ノスタルジア南海ホークス番外編」もいよいよ最終章。今回は東映フライヤーズ、日拓ホームフライヤーズ、日本ハムファイターズの巻。
このチームは最もなじみが無い球団ですね。南海戦を見た回数が一番少ないと思いますね。同じ東京の球団でもロッテは、「首位攻防戦」とかもありましたから、それなりに観戦回数がありましたがねぇ。その割には、後楽園球場や東京ドームには何度か「遠征」してます。どないなん(笑)。
<先発オーダー>( )内は控え
1 中 島田誠(白仁天、猿渡寛茂)
2 二 大下剛(菅野光夫、白井一幸)
3 右 トミー・クルーズ(毒島章一、千藤三樹男)
4 指 張本勲(トニー・ソレイタ、大島康徳)
5 一 大杉勝男(柏原純一、津末英明)
6 左 ボビー・ミッチェル(トニー・ブリューワ、岡持和男)
7 三 古屋英夫(阪本敏三、富田勝)
8 捕 加藤俊夫(高橋博、大宮龍男)
9 遊 田中幸雄(行沢久雄、高代延博)
南海が「1番、センター、広瀬」や「4番、キャッチャー、野村」が「公式」であるように、阪急は「1番、センター、福本」も「公式」であるように、ここは「1番、センター、島田誠」は絶対はずせないですね。また同時に、大下、張本、大杉もはずせませんね。というわけで上記のようなラインナップに。気持ちとしては白仁天も外したくなかったのですが、やはり、島田誠でしょうね、ここは。
“その他のメンバーも割とスムーズにラインナップできました。むしろ、控えの方が小生の好みが出ているかもわかりません。東映からの低迷をそのまま引きずっていたころは、この控えメンバーのうち、猿渡、千藤、高橋博、富田、行沢あたりも先発メンバーに名を連ねることもしばしばでして、特に高橋、富田は南海出身ということもあって、一応、注目はしていましたね。
岡持も印象深いですね。何が印象かというと、ライトの守備についた時、南海ファンのほろ酔いのおっちゃんが、絶妙なタイミングで「お~か~もちぃ~~!」って大向こうの掛け声を発するんですよね(笑)。もちろん、彼の名前は「おかじ」なんですけど。そのタイミングと間延びした掛け声が非常におかしみがあって、外野席の観客、特にチビッ子ファンは腹を抱えて爆笑してました。なんとのどかな日曜の昼下がりだろうと、実にほのぼのしたものです(笑)。
前列左に大下、右に阪本
後列左から、白、張本、大杉
魅力的なメンバー!
<代打専科> <代走専科>
この2項目は、まったく印象がありません。70年代後半の代打なら上垣内誠とか渋谷通とかですか?違うよな…。代打の切り札というわけではなかったと思うけど、中日から移籍してきた井上弘昭はなかなかしぶといバッターだったなあと。代走は思いつかないです…。
<先発(15勝以上経験者)>
森安敏明-右 昭和43年・16勝
金田留広-右 昭和44年・18勝、45年・24勝、46年・15勝、47年・20勝・最多勝利
高橋直樹-右 昭和50年・17勝、52年・17勝、54年・20勝、*58年・最高勝率
木田勇-左 昭和55年・22勝4S・最高勝率・最優秀防御率・最多勝利・最多奪三振・新人王・リーグMVP
間柴茂有-左 昭和56年・15勝・最高勝率
工藤幹夫-右 昭和57年・20勝・最高勝率、最多勝利
西崎幸広-右 昭和62年・15勝、63年・15勝・最多勝利
松浦宏明-右 昭和63年・15勝4S・最多勝利
金田留と高橋直が代表的なエースなんですが、金田留はロッテに移籍後すぐに優勝、日本一に貢献したし、小生自身が東映のエースという印象がないので、好成績ですがはずれてもらい、ロッテの先発陣に加わってもらいますね。
となると、フライヤーズ~ファイターズの真のエースは高橋直ですね、揺るがないですね、この地位は。
森安も例の件がなければ、毎年10勝~15勝は確実に上げていたんだろうから人生、一寸先は闇ですな…。
木田は1年目に投手部門のタイトルを総なめしたわけですが、翌年の優勝への貢献度という点では、少し後れをとった感があります。それ以降、2ケタ勝利はなく、平凡な投手になってしまいます。なかなか「エース」になるというのは難しいもんです。
西崎はかっこよかったですね、その程度の思い出です(笑)。んなわけで、ローテは、金田留を除く皆さんで廻していただきましょうか。
初期の日本ハムのユニフォームがなんとも懐かしい高橋直樹
<準先発(10勝以上経験者)>
高橋善正-右 昭和43年・13勝、47年・10勝
皆川康夫-右 昭和46年・11勝
森中通晴(千香良)-右 昭和47年・11勝
渡辺武秀-右 昭和48年・11勝
新美敏-右 昭和48年・12勝、49年・12勝2S
野村収-右 昭和50年・11勝、51年・13勝2S
高橋一三-左 昭和51年・10勝3S、56年・14勝
佐伯和司-右 昭和53年・13勝、54年・11勝
村上雅則-左 昭和53年12勝10S
杉山知隆-右 昭和54年・11勝
岡部憲章-右 昭和56年・13勝・最優秀防御率
柴田保光-右 昭和60年・11勝1S、61年・14勝4S
津野浩-右 昭和61年・10勝
金沢次男-右 昭和61年・10勝
このあたりの投手は入れ替わりが激しいですね。まあ、それは他球団も同じで、10勝レベルの投手ってのは、常にトレード話の俎上に上るんですね。で、南海がらみの投手が森中と村上。森中については「プロ野球ニュース」の解説者という印象しかありませんが、南海では3年連続二桁勝利、昭和38年には最高勝率を獲得していますから、なかなかの好投手だったんですね。村上の昭和53年の12勝10Sは驚きでした。で、ローテの谷間として4人ほどピックアップしておきましょうか。高橋善、新美、野村、高橋一ですかね、小生の印象に残る投手は。
<中継ぎ(中継ぎ登板20試合以上)>
宮崎昭二-右 昭和43年、44年、45年、47年
松本俊一-右 昭和43年
中原勇-左 昭和46年
山崎武昭-左 昭和48年
村上雅則-左 昭和51年、52年
江田幸一-右 昭和52年
宇田東植-右 昭和54年
川原昭二-右 昭和57年、58年
田中幸雄-右 昭和60年
岡部憲章-右 昭和61年
まあ、このメンバーではっきりと記憶してるのは、マッシー、宇田、川原、田中幸雄ですな。田中幸雄は同姓同名で内野手が同時期にいて、ややこしや~。宮崎って人も、そういえばいたかなぁ…って感じ。まあ昭和40年代なんて、中継ぎがどんどん出てくるチームは投手力の弱いチームって感じだったから、印象に残ってなくて当然だが、こうしてみると、宮崎って人はかなり活躍してたようですな。というわけで、中継ぎ陣は、宮崎、宇田、川原で。マッシーは、南海の貴重な左の先発で!
<抑え(完了試合40以上経験者)>
皆川康夫-右 昭和50年・8勝10S
村上雅則-左 昭和53年・12勝10S
江夏豊-左 昭和56年・3勝25S・最優秀救援投手・リーグMVP、57年・8勝29S・最優秀救援投手、58年・2勝34S
川原昭二-右 昭和59年・4勝14S
ここは江夏で決まり。南海で最多セーブ(昭和52年)を獲得したけど、南海には佐藤道郎という絶対的な抑えがいるので、ファイターズに譲ります(笑)。南海2年目でリリーフエースとして新境地を開いたけど、野村の騒動で広島へ移籍しちゃって、まあ、仕方ないことだったけど…。
結局、ナマで見ることができなかった日拓時代の「曜日別七色のユニフォーム」! 都市対抗みたいですな
フライヤーズ~ファイターズは、冒頭でも言いましたように、南海ホークスの対戦相手でもっとも印象の薄いチームでした。日拓ホーム時代なんて、1年間だけだったこともあるでしょうけど、一度もナマ観戦した覚えがありません。基本的に弱いチームでしたから、わざわざ見に行こうという気にもなりませんしね。まだ東映はナマで見た覚えがかすかにありますが、正確な記憶なのかどうかもあやふやです…。そんな相手ですが、森中、マッシー村上や江夏、高橋博や富田、柏原がいて、青野に江本に佐野、小田義人や三浦政基、杉田久雄が向こうから来てと、比較的人的交流があったチームでしたね。まあなんと言っても、大下、張本、大杉、白仁天に尽きますね、このチームは。小生にとっては、ダルビッシュやハンカチくんよりもずっとずっと印象深いですね。
在大阪香港永久居民。
頑張らなくていい日々を模索して生きています。