【ノスタルジア南海ホークス・番外編】近鉄バファローズの巻*旧ブログ

「ノスタルジア南海ホークス番外編」は近鉄バファローズの巻。
阪急のところでも書いたのですが、南海、阪急、近鉄と在阪パリーグ三球団でしたから、自然と阪急、近鉄との試合を見ることが多くなってしまい、決して好きだったわけじゃないんですが、勝手に知識が入ってきてしまいます。また、阪急が南海と同じ年に球団移譲、近鉄が大阪球場での南海最後の試合相手と、この3球団の因果の糸は絡み合っております…。こんな絡み方、うれしくもなんともないんですけどね。それが因果というものなんでしょうな…。そしてこの3球団は今、3つとも存在していないという悲劇。
いつの頃からか、南海は近鉄をすごく苦手にしておりまして、近鉄戦を見に行くのが嫌になってましたが、日程上、そうもいかないことが多くてねぇ、困ったもんでしたよ、まったく(笑)。
かつてはお荷物球団だった近鉄も、昭和40年代中ごろには、たまに阪急を脅かすようになり、50年代には阪急とプレーオフを争い、そして初優勝するなど、三原監督以降は、ようやくお荷物ではなくなりました。

94b8k0cfいまだにどこかの「たこ焼き屋」か「焼肉屋」の看板に見える…

<先発オーダー>( )内は控え
1 二 大石大二郎
(安井智規、クリス・アーノルド)
2 中 小川亨(平野光泰、阿部成宏)
3 右 佐々木恭介(島本講平、鈴木貴久)
4 指 チャーリー・マニエル(ベン・オグリビー、クラレンス・ジョーンズ)
5 左 ラルフ・ブライアント(栗橋茂、土井正博)
6 一 伊勢孝夫(ディック・デービス、新井宏昌)
7 三 羽田耕一(服部敏和、金村義明)
8 遊 石渡茂(吹石徳一、村上隆行)
9 捕 梨田昌孝(辻佳紀、有田修三)

打順とメンバーはあくまで、南海ファンである小生が「こうだったらいいなぁ、おもろいなぁ」とか「あの選手がよかったわぁ」なんていう基準で選んでますから、近鉄ファンの人、気にしないでね。
ライオンズ編で断ったように、本来なら不動の4番に土井といきたいところでしたが、ライオンズのあまりにも手薄な戦力に免じて、近鉄の先発メンバーからははずれて、ライオンズの先発に入ってもらってます。まあ、土井がいなくても、マニエル、ブライアント、栗橋、佐々木と4番の人材は豊富です。「いてまえ打線」の本領でありましょう。
も~やんこと小川を一塁に持ってきて、平野や栗橋をラインナップにということは十分考えられたのですが、やっぱり一塁は「伊勢大明神」に尽きるでありましょう。なんという近鉄らしい、そして霊験あらたかなお名前でありましょうか!
捕手は有田でもよいのですが、打撃フォームがおもしろいので梨田で。ただそれだけの理由です(笑)。それ以外のメンバーは順当なところじゃないでしょうか。
阪急やロッテほどじゃないですが、このチームも途切れることなくいい人材が入団しており、なかなか層の厚い布陣が組めます。
余談ながら、阿倍野近鉄の地下食品売り場で見たブライアントは強烈でした!が、なぜにあのような外国人主砲が百貨店の食品売り場にいたのでしょうか?謎です…。
余談その2。南河内郡河南町という河内の田舎に在住していた小川のも~やんは、祭りのときには先頭になってだんじりを引っ張っているという噂があり、さもありなん、と半ば信じておりましたが、果たして真相やいかに…。

1750656ロッテ・八木沢に顔面に死球喰らって、こんなフェイスガードつけて復活したマニエルおじさん。
で、なぜに「おじさん」だったのだろう…

<代打専科> 永淵洋三
小生の年代なら永淵も先発ラインナップに入れておきたいところでしたが、まあ、このお方には「あぶさん」のようにバットに酒しぶきを吹きかけて、ここぞの打席に向かってもらいたく、代打をお願いするとします。
<代走専科> 藤瀬史朗
スペシャリストとはこの選手のことでしょう。実働7年間で117盗塁。盗塁失敗は7年間で28、盗塁成功率は実に80.7%。そのうち代走で決めたものが105で、通算代走盗塁数のプロ野球記録保持者であります。中でも、昭和54年は盗塁成功27で盗塁死はわずか3で、成功率90%という脅威的な数字を残しています。こういう選手を試合終盤のここというときに使えるのは強みですよね。

<先発15勝以上経験者

鈴木啓示-左 昭和43年・21勝・最多奪三振、44年・24勝・最多勝利・最多奪三振、45年・21勝・最多奪三振、(47年、49年・最多奪三振)、50年・22勝・最高勝率、51年・18勝、52年・20勝・最多勝利、53年・25勝・最優秀防御率・最多奪三振、59年・16勝

清俊彦-右 昭和44年・18勝・最高勝率、46年・15勝、47年・19勝

佐々木宏一郎-右 昭和44年・15勝、45年・17勝・最高勝率

井本-右 昭和54年・15勝1S、60年・15勝1S

阿波野秀幸-左 昭和62年・15勝

このメンバーのうち、佐々木は低迷期の南海の貴重な中継ぎなので、悪いけど、近鉄の先発メンバーからははずれていただきます(笑)。となると、意外と15勝以上の投手が少ないのですが、10勝以上の投手や中継ぎ陣が豊富で、うまくそのへんの投手力を使いこなしていたんでしょうね。ま、何と言っても鈴木の大奮闘に尽きますがね。
阿波野はここから先の活躍になるので、小生の気持ちの中では、対南海という思い出がほとんどありません。それは後述の小野、山崎、吉井も同様ですね。もっと言えば、近鉄らしい土着性というかイモっぽさ(笑。すんませんねぇ)がまったく感じられないんですよね、従来の近鉄ナインにはないスマートな雰囲気…、そりゃもう小川のも~やんや永淵あたりとはまったく別世界の選手ってところですな。

1750672まあ、このおっさんもよう投げてましたわな
ところが、阪急の山田のような「絶対的信頼性」が無かったような気もしますが、どうですかね?

<準先発10勝以上経験者
板東里視-右 昭和43年・12勝、49年・10勝3S
神部年男-左 昭和46年・10勝、47年・13勝、49年・12勝1S、50年・10勝1S
太田幸司-右 昭和49年10勝2S、50年・12勝1S、52年・10勝1S
柳田豊-右 昭和53年・13勝2S、54年・11勝4S、55年・13勝7S、56年・10勝4S、59年・10勝
村田辰巳-左 昭和54年・12勝2S、61年・14勝、63年・10勝
谷宏明-右 昭和57年・11勝
久保康生-右 昭和57年・12勝1S
小野和義-左 昭和61年・14勝、62年・11勝、63年・10勝
山崎慎太郎-右 昭和63年・13勝
このクラスの投手が豊富で、結構優勝に貢献してるんですよね。で、5人ほど選んでみるとすると、板東、神部、こーちゃん、柳田、小野あたりでしょうか。特に、板東、神部は南海が非常に手こずった覚えがありますね。こーちゃんのお母さんは、藤井寺球場のネット裏でよく観戦されていて、平日の消化試合(前期優勝が早々と阪急に決まったときとかw)を観戦してると、お見受けすることが多かったですね。野球をよく理解されているなあと感じるお話を聞くことができたものです。

<中継ぎ中継ぎ登板20試合以上

佐々木宏一郎-右 昭和43年

川内野州男-右 昭和43年

小野坂清-左 昭和43年

芝池博明-右 昭和46年、47年

神部年男-左 昭和46年

水谷宏-右 昭和48年

井本隆-右 昭和49年

橘健治-右 昭和49年

加藤英夫-右 昭和49年

住友一哉-右 昭和58年、昭和60年、昭和62年

久保康生-右 昭和60年

鈴木康二朗-右 昭和60年

依田政彦-左 昭和61年

加藤哲郎-右 昭和62年

石本貴昭-左 昭和62年

木下文信-左 昭和63年

絶対的な中継ぎという投手がいませんが、時代でしょう。そういう意味では南海の上田卓三は先進的なポジションだったと言えましょう。
そういう中で中継ぎと言えば、芝池と住友ですね。芝池もまた南海は苦労した相手です。ときに先発もしてましたが、上述の板東、神部に加え、先発陣の鈴木、井本と、本当に野村時代の南海の苦手とする投手が近鉄に集中していましたね。もちろん、阪急にくっついていくには、眼前の敵・南海をやっつけることがまずは大事だったわけですから、そりゃそうなんでしょうけど。それにまんまとやられて、南海は阪急との差が詰められなかったという悪循環…。だから近鉄戦見に行くのイヤだったんですよね(笑)。

<抑え完了試合40以上
鈴木康二朗-右 昭和59年
石本貴昭-左 昭和60年・19勝7S・最高勝率・最優秀救援投手(19救援勝利+7S)、61年・最優秀救援投手(8救援勝利+32S)
吉井理人-右 昭和63年
ここはもう、石本一人でまかえるでしょう。1968年~88年の区切りの最後に吉井が登場するわけですが、あんまり記憶がありませんねぇ…。
高校が南河内のど真ん中にあったため、野球好きの9割以上が近鉄ファンという環境でして、南海ファンはもちろん、阪神ファンや巨人ファンさえもマイノリティに属する空間でした(笑)。帰り道によく藤井寺球場へ寄り道したものです。

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南海の大阪球場での最終戦の翌日は、藤井寺球場で同じく近鉄戦がありました。前日は外野席で外野のおなじみさんらと最後の南海を見届け、翌日の藤井寺では内野席で内野のおなじみさんらと、まさしく大阪で最後の南海の試合を見届けました。鳴り物禁止の藤井寺でしたが、レフトスタンドでは鷹狂会のメンバーたちが制止を振り切ってトランペットを鳴らしていました。内野から僕らも「最後やねん、やらしたってくれ~!」と声を上げていました。みんな涙目でした。これが僕にとって、正真正銘「最後の南海ホークス」でした。観客は前日の半数にも満たなかったのが寂しい「最後の南海ホークス」でした…。


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