香港では「定点観測」が趣味の一つでした。
目まぐるしく変わりゆく香港の街並み観察は、異邦人にとっては、楽しいものではありましたが、一方で、慣れ親しんだ風景が大胆な変貌を遂げるのを見るのは、異邦人にとっても寂しさを感じたものです。
ただ、香港人にはそういう気質はあまりなく、「変わるのが当たり前」みたいなところがありました。
そしていよいよその建物なり街並みが取り壊されるという数日前になって、やっと「反対!」とか言って座り込みしたりと、我々にしたら「今さら何言ってるの?」という感じでしたね。
ある晴れた春の日の午後。
用事で天王寺へ。
アベノ再開発の目玉というべき「あべのキューズ・モール」も4月26日のグランドオープンに向けて、一部でテナント店舗の営業も始まっていて、さらに、近鉄ビルの建設も槌音高くと、この数年で一気にアベノ界隈が様変わりしようとしているのが、手に取るようにわかります。
もはや、買い物で難波や梅田へ行く必要はなく、多くの買い物はアベノ・天王寺で済ませられるようになるわけで、えらい時代ですなと、年寄り臭い事のひとつも言いたくなります。それほどの変容のさなかにあります。
まだ大阪市電が走っていたころ、その塗色から市電を「コーヒー電車」と勝手に名付けていた幼少の頃の小生は、折に触れて、「コーヒー電車」を見に連れて行ってもらってました。
そして近鉄百貨店の大食堂で「お子様ランチ」というパターン。
そのころ、百貨店へ行くというのは、一種の「ハレ」の行動であったのでしょうか、よそ行きの服を着せてもらっていたように記憶します。
屋上遊園地も楽しかったですね。きっと今のお子たちは、あの程度のアトラクションではまったく満足しないでしょうが、あのころ(昭和40年代初頭)の子供にとっては、まさに「ハレ」の場であったのは間違いないでしょう。
小生は今も当時も阪和線沿線住まいですから、JR(国鉄)天王寺駅に到着します。JRは天王寺ステーションデパート地上階をターミナル駅舎としており、向かい側の近鉄百貨店へは、地下鉄御堂筋線天王寺駅直結の地下道または、天王寺ステーションデパート2階から近鉄2階へ渡る陸橋を行くことになります。
この陸橋ができたのがいつなのか、さっぱり記憶にありませんが、幼稚園のころにはあったはずですから、40年以上にはなるでしょう。もちろん、今も一部が機能していますが、天王寺駅前の交差点を四ツ橋で囲む形で建っていた歩道橋も、再開発で徐々に撤去が進んでいます。
いずれ、再開発の進捗とともに、新しい歩道橋がまた復活するようですが、当たり前のようにあった阿倍野の歩道橋が、ひとつ、またひとつと撤去されてゆくのは、やはり寂しいものです。
近鉄から上町線「天王寺駅前駅」をまたぎ、旧アベノセンタービルへ渡る橋もなくなろうとしています。手前の灰色のフェンスは近鉄ビルの工事。
「阿倍野歩道橋40年間ごくろうさまでした」との横断幕もかかっていますが、いや、間違いなく40年前にはすでにあったよな…。多分、45年くらい前にはあったと思いますよ。でも、こういう横断幕がかかるのがうれしい。
当たり前の風景が…。
当たり前が、平凡な日常が、実にありがたいことと実感する出来事の数々が、余計に変わりゆく阿倍野橋歩道橋への惜別の思いを掻き立てた、ある晴れた春の日の午後でした。
在大阪香港永久居民。
頑張らなくていい日々を模索して生きています。