【返還10周年】思い出話(47) *旧ブログ

驚きのアクセス数を記録した尖閣モードは解除!
再び、10年前の今日この頃を振り返ります。
参照文献は当時発行されていた日本語月刊誌『香港通信』。

【1997年6月13日】
◇池田外相(当時)、7月1日の臨時立法会就任式への出席表明。米英はボイコット
◇旺角(Mong Kok)で風俗店看板の大規模撤去

【6月14日】
◇英国政府、最後の勲章授与名簿発表。曽蔭権(ドナルド・ツァン)財政長官(当時、現行政長官)のKBE(爵位級司令勲章)など199人受章は過去最高

【6月15日】
◇政庁が返還式典に台湾から60人以上を私人として招待していると発表。ただしすべて出欠の確認は取れていない
◇返還前最後の競馬開催。3T(トリプルトリオ)で賞金総額7億香港㌦超えるも3レース的中出ず

【6月16日】
◇沙田白石のボートピープル収容所閉鎖

【6月17日】
◇政庁が返還式典は北京語と英語で行い、広東語は使わないと発表。北京語・英語が苦手な人は「テレビの字幕を見なさい」とのこと

【6月19日】
◇パッテン総督、立法評議会で最後の答弁。在任中に共産党の地下活動を取り締まらなかったことについて、共産党の活動に政治弾圧を加えても香港人の利益にはならないと説明。「時には見てみぬフリも香港の安定につながる」

【6月20日】
◇ハンセン指数市場最高の1万5154ポイント

*旺角の風俗店看板撤去。「黄色い看板」はその筋の店である目印でした。看板撤去や売春婦摘発は年に数回行われます。しかし、この手の商売、結局、「手っ取り早い金儲けをしたい」ヤツと「手っ取り早くイイ気持ちになりたい」ヤツがいる限り、永遠に続くのであります。
*英領最後の競馬での3Tには興奮しましたが。。。
*パッテン総督「最後の」答弁などなど、何でもかんでも「最後、最後、…」でした。小生も営業中もカメラを持ち歩いてました。「最後」を撮る為に。でも、7月2日以降もまったく変わりなし。当たり前のことですが。


コメントを残す