【返還10周年】思い出話(39) *旧ブログ

【1997年5月28日】
◇中英共同連絡小委員会が返還前最後の会議を開始。返還後の役割について英国側が「『中英共同声明』が実施されているかの監視機関だ」と強調したが中共側は「単なる連絡機関だ」と強調
◇董建華(C.H.トン)氏が現在の住居のあるマンションを官邸とすることを正式発表。執務室は将来的には政府合同庁舎内に置き、現在の総督府は迎賓館や博物館として利用することに

【5月29日】
◇総督府を官邸としないことについて董氏は「統治者でないので、庶民的生活をするため」
◇本土の人権と自由を実現するためのモニュメント「国殤之柱」を沙田中央公園で展示したいという香港市民支援愛国民主運動連合会=支連会の申請を区域市政評議会(返還前の新界地区の市役所のようなもの)が却下

【5月30日】
◇中英共同連絡小委員会が返還前最後の会議を終了。返還式典に招待する各国政府からの来賓や式典の進行について合意したものの、懸案の居住権やベトナム人ボートピープルの送還、香港政庁の資産や公務員の個人データの引渡しについては合意ならず
◇人民解放軍第3次先遣部隊90人が香港到着

【5月31日】-英国領香港、あと1カ月で終焉
◇海外の英国大使館が香港のビザの受付停止。6月は香港の人民入境事務処、7月以降は中国大使館が対応

【6月1日】-返還まで1カ月
◇返還前最後の「六四」デモ
【返還10周年】思い出話(35)「六四 その1」 (参照)

【6月2日】
◇『ニューズウィーク』が陳方安生(アンソン・チャン)行政長官(香港政庁No.2)を「香港の鉄の女」と紹介。陳方氏はインタビューで「中国の指導者が香港の自治に干渉するとは思ってはいないが、香港の一部の人たちが私利私欲のために中国に介入を求めることが心配だ」「返還後に両親に背くような政策を弁護し続けるようなことになれば、辞任も考える」と語る
◇天安門事件について董建華氏が「歴史的な返還を迎えるこの時期こそ、平穏な祖国回帰という大局的見地から『六四』のわだかまりを捨てるように」と市民に呼びかける
◇7月1日未明の特区政府成立式典について、特区行政長官事務室が具体的スケジュールを発表

【6月3日】
◇翌日に「六四」追悼集会が行われるビクトリア公園へ「国殤之柱」が搬入される
◇衛生署が98年春から夏にかけてはしかの流行がピークを迎えると指摘。19歳以下の120万人を対象に7月末から無料で予防接種を実施

【6月4日】
◇返還前最後の「六四」追悼集会。支連会は「最後」の噂を否定
【返還10周年】思い出話(37)「六四その2」 (参照)
◇集中豪雨のため「紅色暴雨警報」発令。土砂崩れ34カ所、浸水51カ所、死者1人

*いよいよ返還まで1カ月を切り、カウントダウン態勢に突入。返還式典などのスケジュールも次々と発表されます。一般市民参加型のもの多く、どれに行こうか…など我々在住外国人もソワソワし始めてきます。が、しか~し。当の香港市民の皆さん方は「せっかく5連休なんだから海外旅行へ!」って方も多く。

*陳方安生(アンソン・チャン)の発言が4年後の2001年春、現実のこととなるとは。

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