10年前の返還を振り返るシリーズ19回目。
【1997年4月5日】
◇空前の大ブーム「たまごっち」について、香港教育専業人協会の張文光会長が「人間関係の疎外を反映しており、子供たちが長期的に夢中になれば心理的な不均衡をもたらす」と教員や父兄に注意
【4月5日】
◇立法評議会を監察するキリスト教系団体の立法評議会議員の発言分析
・民協(民主派):民主派から特区準備委の協力者になった
・民建連(親中派):庶民の味方から財界の擁護者になった
・民主党(民主派):「転向」していなが、董建華(C.H.トン=返還後の初代行政長官)氏の選出に対抗出来なかった
・前線(民主派):香港人の立場に立ち弱者の心を理解
【4月7日】
◇第1回立法会(返還1年後から発足する特区政府議会)の選出方について、行政会議の鍾士元氏が、特区準備委は基本的な原則だけ決め、具体的な選出方は特区政府に決定させるよう求める
【4月8日】
◇返還後の活動資金を集めるため、北米を遊説していた民主党の司徒華氏帰港。総額HK$230万(当時レートで約3740万円)集める。返還後は香港の政治団体が海外からの資金援助を禁止されることについて、「団体がダメでも個人で集める!」
◇董建華(C.H.トン)初代行政長官の月給はパッテン総督と同額のHK$31万(約504万円)
◇香港における台湾政府出先機関「中華旅行社」が、華僑身分証明書を申請する香港人の数が3月は870人で普段の7-8倍だったことを明らかに。同社では「華僑身分証では台湾に定住はできないが、返還後に取得できるかどうか不明なので保険感覚で取得したのだろう」と分析
「たまごっち=他媽哥池、電子雞」が日本と同時進行で大ブームに。思えば、この頃から日本の流行りモノは瞬時に香港でもブームとなり、それまでの2-3カ月あるいは半年くらいのタイムラグがなくなったきっかけが「たまごっち」だったのかも。
当然、ニセモノ、パチもんの類が横行し、任天堂では再三にわたり「ニセモノ注意」の全面広告を各紙に掲載していました。
ちなみに。
「たまごっちは有問題!」と言ってる張文光は民主派議員であり、徹底した反日人士。教員協会も香港最大といっていい反日団体。発言にそんな背景もチラチラと見え隠れします。
「返還3ヶ月前、揺れる香港市民の本音」みたいなことを期待して、国内からは根掘り葉掘り質問が寄せられましたが、みんな「たまごっち」に夢中で「返還なんて知ったこっちゃない」みたいな空気でした。
在大阪香港永久居民。
頑張らなくていい日々を模索して生きています。