【返還10周年】思い出話(14) *旧ブログ

【1997年3月19日】
◇特区準備委員会が香港の各団体に対して、98年6月の第1回立法会の選挙方法について意見提出求める。一般有権者による直接選挙枠について民主党、民協(いずれも民主派)は小選挙区制を、自由党(元親英派)、協進連(親中派)は中選挙区制を、民建連(親中派)は比例代表制を主張
◇流動小販(移動屋台)について市政評議会が98年中に営業許可を全面的に取り消すことを決定
◇マシューズ司法長官が「英国女王の打倒」を叫んだり、侮辱する文章を発表しても、暴力行為の扇動や公安秩序の破壊を意図しない限り扇動罪にはあたらないと発表

【3月20日】
◇返還後の香港特区旅券に対し、カナダ政府がビザなし渡航を認めると発表
◇初代行政長官に就任する董建華(C.H.トン)氏が、次期行政長官選挙への不出馬表明
台湾政府が「中国国内の地方政府代表として扱われることを避けたく」、返還式典に政府代表団を派遣せず、と発表
◇『明報』元社長の于品海氏が衛星テレビ局「傳訊電視」の社長を辞任。台湾の辜振甫氏が経営権掌握

移動屋台の廃止により、「臭豆腐」や「謎の臓物煮込み」などの異臭が街から消えたのはよいのですが、小腹が減ったときは、ちと、不便を感じたりもしました。たしかに衛生状態は劣悪で、いま考えたらよく腹を壊さなかったものだと。
董建華氏、結局2期目の途中降板でした。
マシューズ長官の発言は2月23日、「打倒李鵬」に関する梁愛詩(エルシー・リョン)氏(返還後の司法長官)発言への英国側回答&見解ということでしょう。
特区政府のパスポートは当初、日本をはじめとする西側のビザなしで渡航できる国が少なく、BNO(英国海外属土旅券)を継続申請する人が圧倒多数でしたが、いまでは特区パスポートのビザなし渡航先が増え、日本じゅうの観光地で広東語を耳にする機会が増えました。


コメントを残す