【返還10周年】思い出話(3) *旧ブログ

【1997年2月13日】
◇同年7月に初代行政長官に就任する董建華(C.H.トン)氏が、民主党の李柱銘(マーチン・リー)党首が返還後の香港の民主後退を憂い欧米を遊説していることに対し、「海外で香港をけなし、香港全体の長期的利益を損なおうとし ている」と痛烈批判。対する民主党は楊森副党首が董氏を「恐怖の言論警察」「中国のメガホン」「砂に頭を埋めた現実逃避のダチョウ」などと罵倒
◇返還後の暫定議会「臨時立法会」の国際法廷への提訴について、新華社・張浚生副社長が「返還後の香港は内政問題なのに国際法廷が仲裁とは、こいつはお笑い種だ」

【2月14日】
◇英領香港「最後のバレンタインデー」
◇中英外相会談。現香港政庁高官の大部分が返還後も留任で中国同意。銭其琛外相は「臨時立法会」問題を国際法廷の仲裁に委ねることを改めて拒否

【2月16日】
◇リフキンド英外相と董氏が初会談。「外国、とくに米国が香港問題に注目しているのは喜ばしい」とリフキンド外相が語れば、董氏は「建設的な関係こそ望ましい」とけん制合戦。諸問題についての歩みよりはなし

【2月18日】
◇董氏が初の行政会議開催し、返還後の高官人選決定するも機密を理由に公表なし
◇鄧小平氏容体悪化の報に株急落。中共側「容態に変化なし」との発表で持ち直し

中英両国は返還後の暫定議会「臨時立法会」について激しいやり取りを展開していました。中共お気に入り人士による推薦委員会がわざわざ香港を離れ、深圳で 議員を選出した「臨立会」をパッテン総督をはじめとする英側は「自分で自分を選ぶ荒唐無稽な選挙」として厳しく非難しましたが、おかまいなしに列車は動き 始め、返還まで半年あるというのに、行政会議(閣議に相当)、臨時立法会が次々と開催されてゆきます。そう、香港と深圳の境界「羅湖(Lo Wu)」を越えて列車は北へ向かって走り始めていたのです。民主派が主張した「直通列車」方式ではなく…。
そしてこのころから「鄧小平危篤説」が信憑性を帯びてきます。
当時、返還報道最盛期で在港邦人すべてが「フリージャーナリスト」みたいなもんで、日本から取材や問い合わせが相次ぎました。
「多少、株は下がってますが、そんなに驚くような状況じゃないっす」など無難な受け答えをしていましたが…。


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