【香港民主派へ】いまこそ「民主」の声を!*旧ブログ
1989年6月4日の「六四=天安門事件」。 香港はまさに「全港全民」が抗議の拳を突き上げた。 新聞各紙は『文匯報』などの左派紙に至るまで「断筆」による抗議を行い、市民は連日、数十万規模の抗議活動を展開した。 このとき、活…
続きを読む →1989年6月4日の「六四=天安門事件」。 香港はまさに「全港全民」が抗議の拳を突き上げた。 新聞各紙は『文匯報』などの左派紙に至るまで「断筆」による抗議を行い、市民は連日、数十万規模の抗議活動を展開した。 このとき、活…
続きを読む →【1997年5月28日】 ◇中英共同連絡小委員会が返還前最後の会議を開始。返還後の役割について英国側が「『中英共同声明』が実施されているかの監視機関だ」と強調したが中共側は「単なる連絡機関だ」と強調 ◇董建華(C.H.ト…
続きを読む →~続き 【1997年3月12日Vol.2】 ◇天安門事件の責任追及を続ける「香港市民支援愛国民主運動連合会=支連会」による恒例行事「六四(=天安門事件)追悼集会」に対し、市政評議会がビクトリア公園の使用を許可。返還当日に…
続きを読む →1989年の天安門事件以来、香港の民主化活動をリードしてきた民主党も、返還後はいまひとつパッとしません。世の中が中国とうまくやっていったほうが商売上、何かと都合が良いと感づいたからでしょう。市民感情としては、「原則、反共…
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