【毒書の時間】『久生十蘭ラメール戦記』 久生十蘭


昨年(令和7年、2025年)は、先の大戦終結から80年ということで、関連の書籍が多数出版された。その中で、「これ!」と決め打ちした一冊が『久生十蘭ラメール戦記』。見ての通り、作者は久生十蘭。十蘭が「海軍報道班員」として南方に赴いた際に経験したことを「戦争小説」に仕上げた作品集である。「小説の魔術師」がいかに戦場の有様を書くのか? 興味深いところである。時代的に、職務的に、いかに十蘭とて「戦意高揚」「国威発揚」の、それこそ文章が日の丸の鉢巻き巻いたような作品集になるんじゃないか、そんな十蘭もまた読んでみたいかも…。さてさて、いかが相成りましたか…。

『久生十蘭ラメール戦記』 久生十蘭

河出文庫 ¥990
2025年7月10日 初版印刷
2025年7月20日 初版発行
カバーイラスト/滝沢聖峰、カバーデザイン/隈阪暢件、カバーフォーマット/佐々木暁
解説/川崎賢子
令和8年3月22日読了
※価格は令和8年3月24日時点税込

帯が気合入ってる。戦後80年を「戦争終結80年祈念」とし、そこに久生十蘭を持ってくるってのが、いかにも河出書房新社らしい一手だなと思う。「記念」ではなく、「祈念」なのも河出っぽい表現だなと思っていたら、戦後70年で発行された『内地へよろしく』では「記念」となっていたらしい。この作品も読みたいのだが、古書を探すしかない模様。もっとも、久生十蘭を読みたければ、多くは古書店を漁るしかないんだけど(笑)。

さて、本書のタイトルにある「ラメール」は、てっきり南洋のどこかの地名だと思っていたのだが、検索しても一向にそういう地名には行き当らない…。その謎ときは、まず本書のトビラにあり。気になる人は、購入するしかないね(笑)。

冒頭に記したように、「海軍報道班員」として昭和18年(1943)2月から翌年2月までの1年間、南方に赴いた十蘭の「戦線小説」作品集なのだが、本来、こういうものは「戦意高揚」「国威発揚」の精神に満ち溢れ、銃後の民を奮い立たせるものなんじゃないかと思っていたが、漂うのは「敗色濃厚」な空気感。もちろん、そんなことズバッと書いているわけではないし、「兵隊さんはこんなご苦労をされて、銃後の私たちを守ってくれています!」なストーリーではあるんだが、どうしても全体に漂うのは、「これはもう、ダメやね」な空気。まあ正直な人です(笑)。

「解説」にもあったが、

1.聖戦イデオロギーを掲げる
2.戦意高揚
3.敵愾心の煽動
4.兵隊の辛苦を伝える写実的な描写-ただし物量の不足、日本軍の加害性、軍隊内の暴力などは描かれず、あくまで勝利が近いことをうたう
5.戦地の「報道」を通じて、戦う兵士と内地の銃後のひとびとを媒介し、一体感を盛り上げる

というのが、報道班員に課せられた職務であるとするならば、この作品群は「合格点」すれすれであるとともに、やはり「魔術師」である十蘭の作品群なんだなぁと改めて思うのだ。この時代において、一番やってはいけない「反戦」の言葉や意識や「危うさ」は感じないが、こと「戦争小説」として読むならば、銃後の民が期待していたものは、果たしてこういう作品だったんあだろうか、とも思う。まあ、そのあたりが久生十蘭なんだろうけど…。

「地の霊」、「支那饅頭」は、どちらもごく短い短編ながら、一旦ページを閉じて、考えを巡らせたくなるような一節が散りばめられいる。随所にこの短編集の「ポリシー」のようなものを感じた。面白いのは、中支には昭和16年(1941)10月、『新青年』の要請で従軍したのにもかかわらず、初出は、「地の霊」が『講談雑誌』(1942年1月号)、「支那饅頭」が『譚海』(1942年2月号)となっており、「『新青年』ちゃうんか~い!」というところ(笑)。

それ以降の収録作品の大半は、昭和18年(1943)2月、海軍報道班員として南方に派遣された際の「実録」的な作品である。昭和18年ともなれば、内地では連戦連勝と報じられても実態は連戦連敗に一気に転じていた時期である。よくまあそんな危険な場所へ赴いたもんだなと思うも、十蘭自身も行ってみて初めて「聞くと見るでは大違い」だったのかもしれない。読んでいて、「十蘭危うし!」な場面もあり、かなり危ない経験をしたのだと思う。よく無事で帰国できたものだ。

小生自身、「戦争小説」なるものを読んだことがなく、「こういうものなんだろう」と想像っするしかないのだが、「第〇特務隊」「要務飛行」などは、「これぞ戦争小説」と思える作品で、読ませてくれる。南方の海軍の最前線が、「もはやどうにもならない」状態で敵機と向かい合うしかない極限状態にあることが、十蘭に任すと飄々とした筆運びになっているあたりが、やはり「小説の魔術師」。

カバーの装画がよく物語っている。目視できる距離に敵機が来襲しているというのに、工具を手に自軍機に走って行く。その戦闘機も「これを飛ばすんか!?」「この状態で飛べるのか?」という状態。切なさ、はかなさ、虚しさ、もっと言えば絶望的状況を十蘭が書くと、南の島の物語になってしまう…。あえてそうしたのか、どうしてもそうなるのか…。いずれにしろ、「戦争小説」とはかなり毛色が違うんじゃないか、と思う作品群である。ちなみに、「第〇特務隊」は『新青年』(1944年6月号)、「要務飛行」は『日の出』(1944年10月号~45年3月号)がそれぞれ初出。

むしろ、「雪」「月」「花」というまるでタカラヅカのような題名の三作品に「戦争」を強く感じる。いずれも2ページほどの小編ながら、胸にグッとくるものがある。雪国出身者の部隊に内地から慰問の手紙が届く。「岩国ノ キンタイバシニ ケフ初雪ガフリマシタ 南ノ兵タイサンニ見セタイナ」。雪の好きな兵隊たちが泣き出す…。小生も泣き出す…。こういうタッチの三篇である。空襲が日常となり、本土決戦も現実味を帯びていた昭和20年。これを読んだ本土の読者は、やはり泣いただろうか、それとも戦地におりながら、なんと女々しいと蔑んだであろうか…。それにしても雪、月、花という並び、お見事!

で、つべこべ書き並べてきたが、本書を読んだ感想を一言で言うならば「やっぱりこの人、なんでも書けるんだ」。間違いなく、どの本を読んでも、結局、この感想になっちゃうと思うよ、ほんと…。

もはや中古市場で探すしかないけれど、こちらも併せて読んでおきたい。

 

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