【毒書の時間】『女の樹林 上巻』 黒岩重吾


久々の投稿。

まあ、なんとも目まぐるしかった。父の退院、在宅介護、嚥下障害による食事の拒否、肺炎により再びの救急搬送からの入院、胃ろうの処置、転院…。ぶらっと映画でも、というわけにいかない日々が続いた。「俺の介護の仕方に問題があったのか…」と、自責の念に駆られるのだが、周囲の皆さんは、優しいねぇ。「そんなわけないし、そんなこと思ったらダメです!」とおっしゃる。どうなんでしょうねぇ、実際のところ…。なので、ブログどころではなかった。

本も読めてなかったけど、それもよくないと思うので…。久々の黒岩重吾。例の、「昔読んだ黒岩本を押し入れの奥底や、倉庫のガラクタ山積みの中から引っ張り出す作業」で、発掘した一冊というか二冊。『女の樹林』というタイトルが黒岩重吾を感じさせてくれる。今作は上下二巻ということで、どっぷりと女のなんとやらに浸らせていただくことに。

『女の樹林 上巻』 黒岩重吾

角川文庫 ¥420
昭和50年4月15日 初刷発行
昭和54年11月15日 15版発行
令和7年11月3日読了
※価格は昭和54年11月15日15版発売時

初版からわずか4年で15版。よう売れたんですな。前回読んだ『女の熱帯』でも触れたように、「角川文庫30周年記念」に伴うリニューアルによるものか、昭和54年の秋の発行になっている。で、例により、昔の小生はことごとく帯を捨てている。帯には発売時の様々な情報が込められているのだが、そんなことに気が回らなかったんやろ、当時のアホな小生は(笑)。今作もカバー画は川井輝雄。独特のタッチだが、「角川文庫の黒岩作品」とくれば、これ!

舞台は芦屋。中小企業以上、大企業未満の家庭の姉妹が主人公。二人とも芦屋のお嬢さんで、ブラブラしてても不自由なく暮らしていける。うらやましいねぇ、ほんと。性格は丸っきり違う二人、姉妹のどちらにも共感できるものはないが、特に妹の梨江は恐ろしいお嬢だなと思う。それもこれも、母親の死後、父が秘書と再婚したことが原因。「父と後妻の間に男の子ができて、この家も会社も継ぐことになったら…」と思うと、後妻が憎くてたまらない。このあたりは、亡き母が梨江に乗り憑ってるんじゃないかとさえ思える。だからだろうか、梨江の言葉の端々から、亡き母の人物像もなんとなく浮かんでくる。

一方の姉の須磨子は、自由奔放に日々を送っている。カバー画にカメラが描かれているが、冒頭の高能との邂逅を象徴しているわけだ。高能はプロのカメラマンなのだ。高能と出会ったことで、須磨子はこの後、色んな場面で救われることになる。須磨子は自由を謳歌しているようだが、実際はかなり梨江に振り回されている。継母の存在が一因であるのは言うまでもないが子供のころから振り回されていたようである。でありながらも、最後まで自分を保とうとする姿に、どこか「生きることの正直さ」を感じる。

「振り回される」と小生は書いているんだが、これは上の子(長男とか長女)のものの見方なのかもしれない。下の子からすれば、妹の梨江の言い分の方が理解できる、と申されるかもしれない。

こんな感じで、姉の須磨子は自由奔放に生きながらも他者を思いやる強さを持ち、妹の梨江はとにかく継母憎さに徹底し、どこか冷たく計算高い。同じ環境に育ちながら、まったく違う方向へと生きていく対照が、この物語の軸となっている。

「継母にこの家や会社を乗っ取られてなるものか!」の一心から、梨江は父の会社の若手有望株の社員と結婚し、養子に来てもらい家も会社も継いでもらおうと画策する。相手を試すように生きる彼女は、読むほどに苛立たしい。すっごいねじれてるし、まるで姉への復讐劇みたいで「ひえぇ~、怖わぁぁぁ~」ってもんだ。

こんな感じで、姉の須磨子は自由奔放に生きながらも他者を思いやる強さを持ち、妹の梨江はとにかく継母憎さに徹底し、どこか冷たく計算高い。何の不自由もない同じ環境に育ちながら、まったく違う方向へと生きていく。その対照が、この物語の軸である。

大阪の風景描写や「サイケバー」で踊るのが「ゴーゴー」などから察するに、昭和45年の大阪万博のチョイ前の話じゃないかなと察するが、どうだろう。

ところで、『女の樹林』というタイトルの「樹林」だが、女たちの心が一本一本の木のように複雑に枝を伸ばし、絡み合っている様のことだろうか…。下巻ではさらに樹林の奥に踏み込んでいくことになるのだろうけど、富士山の樹海みたいに迷い込んだら出てこれない、みたいなことになりそうで、怖いなぁ(笑)。

 

 

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