<俺と長毛(笑)。棺桶を担いで参加する社民連の代表・長毛こと梁國雄は、民主派デモの名物だった。一度、下から棺桶を覗いたことがある。空っぽだった(笑)。長毛も「空っぽやでww」と笑っていた。のどかな時代だった (筆者撮影)>
「国安法」施行以来、民主派とされる政党や政治グループが、次々と「店じまい」していく中で、「もう民主派も残ってないよな」と思っていたら…。すっかり存在を忘れていたのが「社會民主連線(社民連)」。そう言えばまだ「解散宣言」してなかったよな…。党の顔たる長毛こと梁國雄が獄中の人となって以来、社民連もすっかり存在感を失ってしまったわけだ。そしてついに「その日」を迎えることとなった。

祖国回帰日を1週間後に控えた6月25日、多くの香港メディアが「19年前に結党された社民連が解散を計画しており、今年7月1日までに正式に解散する可能性がある」と報じた。各メディアは、社民連は今年に入って3度、「7月1日までに解散しなければ深刻な結果を招く」と「警告」されたと報じた。党内協議を経て、党は今月29日に解散を正式に発表する予定だ。社民連主席の陳寶瑩(チャン・ポーイン)はメディアに対し、社民連の解散を懸念する人々への感謝の意を表しつつ、当面は何もコメントできないと述べた。周嘉發(ディクソン・チャウ)副主席も、当面はコメントできないと述べていたが…。
27日午後、社民連は報道各社に「日曜日(29日)に『解散記者会見』を行う」との通知を送った。内容は「来年は社会民主同盟設立20周年だが、この日を乗り越えることはできないので、解散を発表する」というものだった。
しかし、民主党解散発表の時もそうだったが、「(ある筋から)解散を要請されて、解散に至る」というストーリー。一体、それはどこの誰よ? とまあ詮索するわけだが、そりゃあれよ…。わかるわな、そこは。ここまで「闘争」してきた「激進民主派」の社民連が「はい!わかりました!解散します!」とあっさり解散するんだから、その筋って相当怖い筋なんでしょうな、知らんけど…。

社民連創設者にして初代主席である黃毓民(レイモンド・ウォン)は26日、インターネットラジオ局に出演し、「社民連は過去19年間、繼續抗爭無停過=一貫して休むことなく闘い続けてきた」と述べ、解散は「為す術無し」のため、むしろ残念には思わないと述べた。しかし、「社民連の社会運動への貢献は消し去ることはできない」と強調した。最後に、現主席の陳寶瑩に謝意を述べ、刑務所にいる長毛(梁國雄=陳寶瑩の夫)に面会する際には、よろしく伝えてほしいと述べた。
立法会民主派第三党となり、過激な議会抗議を連発
社民連は2006年10月に設立された。党のスローガンは「擔當旗幟鮮明的反對派,推動香港民主運動(旗幟鮮明な野党としての行動と香港の民主化運動の促進)」、「沒有抗爭,哪有改變、濟弱扶傾,義無反顧(闘争なくして変化なし、ためらうことなく弱者と貧困者を支援する)」。黃毓民(レイモンド・ウォン)が初代主席を務め、勞永樂(ロー・ウィンロック)、麥國風(マイケル・マク)、陶君行(アンドリュー・トー)、曾健成(阿牛=牛クン)、劉山青(ラウ・サンチン)らが設立メンバーに名を連ねた。
長毛・梁國雄や曾健成は、一方では名うての反日人士でもあり、度々、尖閣諸島への上陸を試みたり、尖閣問題をはじめとする反日活動で、先頭に立ってきた人物でもある。面白いのは、拙ブログでも再三申し上げてきたが、こうした筋金入りの反日人士の多くが民主派のリーダー的存在でもあるという点。極端な話、「天安門抗議デモ」や「普通選挙」を要求するデモで先頭に立って拳を振り上げている人たちが、翌日の反日デモでも「打倒日本軍国主義!」と叫んでいるという図式なのだ。なので、小生は香港の「民主派」をまったく信用していない。それはさておき…。

2008年の立法会選挙では、黃毓民、梁國雄、陳偉業(アルバート・チャン)の3名が立法会議員に選出され、3議席を獲得し、民主派第三党となった。2008年の立法会選挙当選後、黃毓民、梁國雄、陳偉業の3氏は立法会で過激な抗議活動を行い、何度も議場から追い出されている。黃毓民は、通称・生果金(フルーツマネー)すなわち高齡津貼(Old Age Allowance=高齢者手当)において、所得・資産審査の導入を検討していることに抗議し、当時の行政長官、曾蔭權(ドナルド・ツァン)にバナナを投げつけたことさえある。有名な掟蕉事件(バナナ投げつけ事件)である。

2009年、社民連と公民党は「五區公投,變相公投(5選挙区住民投票、偽装住民投票)」を発動し、議員辞職を利用して立法会補欠選挙を実施することで、「真の普通選挙権」を求める闘いについて市民に意見を求めた。しかし民主派最大政党の民主党や建制派(親中派を含む親政府派)は反対し、「辞めた奴が復活しただけ」というシラケた結果に終わった。

69歳の長毛ら多数のメンバーが服役中
2019年の「逃亡犯条例改正反対運動=反送中」のデモでも、積極的に参画したが、結果として、長毛、吳文遠(アヴェリー・ン)、黃浩銘(ラファエル・ウォン)、岑子杰(ジミー・シャム)、陳皓桓(フィゴ・チャン)、曾健成(阿牛、牛クン)など、社民連の主要メンバーが拘留された。
「反送中」は、100万人以上の市民が街頭に繰り出す大きなうねりとなった。社民連自体は、このデモを動かしていたわけでなく、当時、日の出の勢いだった「デモ屋」の「民間人陣權線(民陣)」がコントロールしていた。社民連メンバーでもある岑子杰が代表を務め、陳皓桓はその参謀格だった。問題視されるべきは、民陣が市民参加の反対デモを平和裏に実行しても、必ず、終了後に過激分子が警察と衝突を起こした点である。暴力と破壊の限りで社会を混乱させた光景は実に忌まわしい記憶となっている。こうした暴力破壊行為を誘発してしまう大型デモを実施したことが、後に民主派の運命を決定づける「国安法」の施行につながるのだから、何のための「民主化要求」だったのかというハナシである…。日本のメディアって、こういう視点がまったくないよね、ホンマ。

2020年9月の立法会選挙を前に、梁國雄と岑子杰が「香港立法會選舉民主派初選(民主派による立法会予備選挙)」に参加したが、「串謀顛覆國家政權(国家政権転覆の陰謀)」に当たるとして、「国安法」違反に問われ、他の45人とともに有罪とされた。いわゆる「香港47人案」である。偶然にも47人で、まるで「四十七士」みたいで「忠臣蔵かい!」ってところだが(笑)。まあそれはそれとして、長毛は禁錮6年9ヶ月、岑子杰は同4年3ヶ月の判決を受けた。岑子杰は先日刑期を終えて娑婆の空気を吸ったが、69歳の長毛は現在も服役中である。

国安法施行後も、街頭での抗議活動継続
2021年、長毛の妻、陳柏瑩が社民連の主席に就任し、周嘉發、余煒彬が副主席に就任した。国安法の施行後も、社民連は5月1日の労働節(メーデ)や施政方針演説及び財政予算案発表の前日など、街頭抗議活動を継続したが、厳重な監視下に置かれていた。
2023年、社民連のHSBCとPayPalの口座は取消され、一部のメンバーは、個人の銀行口座も停止された。複数のメンバーとボランティアが「公共の場での無許可の寄付活動」と「許可なくポスターなどを掲示した」として起訴された。2023年の六四34周年の日には、追悼を表す黄色のバラを手にした陳柏瑩が、銅鑼灣(Causeway Bay)でパトカーに連行される一幕もあった。

国安法施行5年。民主派政党、メディアは一網打尽にされた。恐るべき破壊力である。そんな状況下、限られたマンパワーでやれるだけのことをやってきた社民連は、民主派にとっては「最後の砦」のような存在だった。それだけに「解散」を選択せざるを得なくなった、陳柏瑩をはじめとするメンバーの心中やいかに…。29日の記者会見では、それぞれ何を語るのだろうか…。
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在大阪香港永久居民。
頑張らなくていい日々を模索して生きています。