【毒書の時間】『外道の細道』 町田康

(photo AC)


年に何冊かは読みたくなる町田康今回は16年前に単行本で読んだ『真説・外道の潮騒』が、ようやく文庫化されたというので、「再読」。単行本で読んだ作品の文庫版は、まず手にしないのだが、それをホイホイと購入して読むというのは、こりゃもう「マーチダ中毒」なのかもしれないね(笑)。

『外道の細道』 町田康

河出文庫 ¥1,320
(単行本)2008年10月 角川書店(現KADOKAWA)刊行『真説・外道の潮騒』
2025年2月10日 初版印刷
2025年2月20日 初版発行
令和7年6月24日読了
※価格は令和7年6月25日時点税込

単行本『真説・外道の潮騒』で読んだのが、2009年1月と「読書メーター」に記録されていた。で、これを読もうと思ったのは、前段と言っていいかどうか微妙ではあるが、『実録・外道の条件』があまりにも面白うて、ゲラゲラ笑いながら読んだからだ。

表紙カバーの町田の写真がめっさカッコよろしい。アラーキーこと荒木経惟の撮影。この文庫版は2004年1月の発行で、単行本は2000年10月発行。町田はこの年『きれぎれ』で芥川賞を受賞している。

読書メーターの感想には、「この短編集の根底に貫かれているのは、どう考えても、三代目春団治師匠十八番のひとつ『代書屋』である。 そして最後の一篇『紐育外道の小島』のオチは『ちりとてちん』である。」などと、40代の小生は記している。だから続編と思しき『真説・外道の潮騒』も「そりゃおもろいやろ!」とすかさず購入したという塩梅であった。なお、『真説・外道の潮騒』単行本は、香港から撤収する際、在住時に購入した本のほとんどを日本人向けの古本屋に売ったので、手元にはない…。

思い出話がダラダラと長引いてしまった…。

今回読んだ『外道の細道』の主人公、「マーチダ」は『実録・外道の条件』のマーチダと同一人物かどうかは定かではないが、

『実録・外道の条件』から五年の歳月を経て、彼はそんな子供騙しにはひっからない。

斯様な一文が見受けられたから、同一人物なのかな。とすれば、彼の周りには何故かくのごとく、メディア業界の「外道」どもが寄って来るんだろうか。それおかしいやろ! と突っ込みながらも、本作もしっかりと『代書屋』してて、マーチダは振り回される。「河合浅治郎」に囲まれてしまうのである。――『代書屋』と連呼したが、知ってる人だけわかればいいです、河合浅治郎も(笑)。

マーチダ氏は、かの孟子による「長幼の序」を重んじる人間である。そこへ業界の大先輩から「お前、海外旅行のテレビに出ろ」とのお達し。そういうのは避けていたマーチダだが、なんせ「長幼の序」を重んじる性格ゆえ、断れず…。

やがて、プロデューサー・蟇目ヒシャゴ、ディレクター・稲村チャルベが「自分の精神の旅」なる企画を持って現れる。いやもう、名前がナニですな。蟇目ヒシャゴ…。蟇目亮とアチャコを混ぜたような名前(笑)。え?どっちも知らない?そりゃ人生損してますな。調べてください(笑)。そして稲村チャルベ。鶴瓶ちゃんかえ、と思ったら、実際に若いころのアフロヘアの鶴瓶ちゃんに似てるとある。が、決定的に違うのは、ホンモノが眼光鋭く表情が厳しいのに対し、チャルベは弛緩していると(笑)。この二人、とりわけチャルベという外道に、マーチダは振り回されるのである。この展開をマーチダは「烏滸の沙汰」と表現したが、ああもう、ピッタリよね。「烏滸の沙汰」は『徒然草』155段に詳し。

撮影カメラマンは紺谷タカオ…って、おい!『紺屋高尾』かい!って。つとに有名な落語の演題の一つで、上方では『幾代餅』として高座にかかることが多いが、いっやー、マーチダ、趣味が合うねぇ、なんて思ってしまう登場人物のネーミングである。おまけに、紺谷タカオのアシスタントが秋田エースケ。これまた上方漫才隆盛期の人気コンビ、秋田Aスケ・Bスケそのまんまではないか!マーチダというか町田康、ホンマご趣味がおよろしい(笑)。

乗り気のないマーチダにチャルベが提案したのは「ブコウスキーの足跡をたどる旅」だった…。チャールズ・ブコウスキー。アメリカの作家、詩人。知ってる人は知ってる。有名と言えば有名。マーチダ、実はブコウスキーを敬愛している。マーチダ=町田康として見るならば、さもありなん。その名を出されて一気に心は動くのだが、チャルベの出す企画はことごとく陳腐極まりなく、その度に指摘するのだが、再度提出された企画も何ら進歩無く…。そうこうするうちにマーチダ一行はLAに到着した。ヒシャゴは「打ち合わせ」を繰り返すがマーチダとヒシャゴ&チャルベの思いは全く合致せず、ぶっつけ本番で撮影に入る。そのやり取りは読み手である小生を「きぃぃぃーー」という心理状態に陥れる。このイライラの極致は町田康ならでは。

マーチダ自身が何度も言うように、「マーチダの『精神の旅』」ではなく、「チャルベの『精神の旅』」の押し付け企画なのである。こんなもん、発注元の天下のエヌエイチケーがOKするわけはなく…。

カバーの作品紹介に「最高にくだらなく、オフビートな実録ロード小説」とあるからには、町田康の経験をもとにした作品ってことなんだろうか。と、すれば、番組制作を請け負うプロダクションというのは、相当「痛い」連中なんだというのがよくわかるが、こんなんで商売が成り立つほど、テレビの視聴者ってチョロいもんだという裏返しでもある。ってことは、その視聴者である我々も、やはり「痛い」人種なんだろうね(笑)。

かくのごとく、振り回される状態について、マネージャー代行としてマーチダに同行したミュージシャンのナウ橋君は「ぼくら、日本のテレビのシステムの被害者って感じですよね」と言う。そうそう小生もそれを強く感じたし、それを言いたいがために町田康は文庫版で368ページ(単行本350ページ)にも及ぶ、かくも長ったらしい小説を書いたんかぇ?と思うと、実にアホらしい試みをしたもんだと、それを読んだにもかかわらず「ちょっとアホとちゃいますか」と思う次第(笑)。

しかし、なんで『真説・外道の潮騒』が『外道の細道』に改題されたんやろ。えっらい趣が違うやんけ。

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