<6月3日夜から4日の夜まで、警察は銅鑼灣(Causeway Bay)一帯とビクトリア公園とその周辺で、警備を強化した>
天安門事件、すなわち「六四」から36年。
かつて香港では、6月4日の直近の日曜日に、中国政府への責任追及や犠牲者の名誉回復、さらには中国の民主化を要求する団体「香港市民支援愛國民主運動聯合會(支連会)」が中心となって、中央政府への抗議デモを行っていた。毎年、数百人から数千人が参加していた。そして六四当日には、香港島銅鑼灣(Causeway Bay)のビクトリア公園サッカーコートで数万人規模の追悼集会を行ってきた。COVID-19 の感染拡大で中止された後には「国安法」が施行されたことで、民主派団体はほぼ全滅となり、六四の活動も消滅した。

六四をはじめ、民主派の活動の度に存在感を示してきた激進民主派政党、社會民主連線(社民連)は、逆風吹きまくる中で、民主派政党、政治団体の「最後の砦」となってしまったが、党の顔である長毛こと梁國雄はいまだ服役中。最近は社民連の活動自体、目にすることもほとんどなくなった。六四を前に彼らは何を考えているのだろうか。現地メディアの数少ない情報から追っかけてみると…。

李家超(ジョン・リー)行政長官は「六四」前日の3日、市民がビクトリア公園や銅鑼灣で6月4日を記念するキャンドルを灯したり、スローガンが書かれた服を着たりすることに問題がないかとの質問に対し、「いかなる日であってもすべての活動は合法でなければならない」と改めて強調し、国家の安全を脅かすいかなる行為や活動も法執行機関が捜査すると述べた。また記者団は、昨年6月4日に職務質問を受けた人々が今年、行動歴を尋ねられるのかどうかについても質問した。つまりは、夜間にビクトリア公園周辺に出れば、違法行為に問われるリスクがあるのか、という質問だ。

李長官は、直接の回答は避けるも、「いかなる活動も、いついかなる日であっても、法令を遵守しなければならず、法律に違反してはならない。したがって、いかなる違法行為に対しても、法執行機関は法に基づき断固として厳正に対処する」と重ねて述べた。国家の安全を脅かす行為は重大な犯罪であり、「厳格に遵守・執行されなければならない法律があり、法的責任は最後まで追及される」と強調した。
まあねえ、「六四」だ「国家転覆」だの云々の前に、夜の公園をろうそくに灯をつけてうろちょろしているってのは、どう考えても不審者ではあるわな(笑)。そんな不審者は大いに追及してくれ(笑)。
6月4日の前日、すでに銅鑼灣(Causeway Bay)とヴィクトリア公園では警察官の人員が増備され、一部の市民が連行されたり、職質を受けた。3日午後4時30分、自称・芸術家の陳美彤(キンバリー・チェン)は銅鑼灣のそごうの外に静かに立ち、ガムを噛みながら空を見上げていたところ、警察の職務質問に遭った。警察は彼女のリュックサックを検査し、最終的に彼女をMTR銅鑼灣駅まで連行して強制的に退去させた。

3日夜には、元支連会常務委員の鄧岳君がヴィクトリア公園に姿を現し、六四事件で亡くなった202人の名簿を読み上げ、三鞠躬(三拝)した。鄧氏は、六四事件前夜から翌朝にかけて北京で起きた出来事は忘れられないものであり、「やるべきことはやった」と述べ、この機会に弔問しました。鄧氏はその後、警察官に囲まれ尋問を受けた後、釈放された。
社會民主連線(社民連)の周嘉發(ディクソン・チャウ)副主席を含む一部の活動家が、当日の予定や行動について警察に尋問されたと証言した。周副主席はWEBメディア『端傳媒』の取材に対し、警察の対応は近年と変わらないものの、対象とする人数は以前より増えていると語った。以前は警察から連絡を受けたのは4、5人だけだったが、今年は10人以上に連絡が入り、その中には社民連の党員やボランティア、そして「しばらく活動に参加していない友人」も含まれていたと言う。

彼は、「警察はそのような行動を通じて、まるで出歩く人数を減らすように、言葉で『Big brother is watching you』と注意を促しているようだ」と感じていると語った。
周氏は、6月2日の午後に警察から連絡を受け、その日の夕方に事情聴取を受けたと述べた。警察は彼に6月4日に行動を起こすかどうか尋ねたが、彼は予定はないと答え、警察署を去った。社民連も彼自身も6月4日に行動を起こす予定はないと言う。周氏は、党のアイデンティティに責任を担う身として、自分の考えは複雑で、自分の行動が他者を巻き込むのではないかと懸念していると述べた。「毎年、この問題について何度も自問自答し、熟考してきた。最終決定を下すまでには、かなりの葛藤があった」と語った。
唯一残った民主派政党として、周氏は六四で行動を起こせないことを残念に思っている。彼は、大規模な集会や動員活動をきっかけに政治に興味を持ち始め、自分の声を届けてより多くの力を発揮したいという思いから学生自治会や政党に参加したと言う。「しかし今、行動の自由を失っただけでなく、社会からかつての六四の光景も消えてしまった」と語る。いや~、憂鬱な夏だね、周くん…。
しかし彼は、「香港の人々は非常に順応性が高い。新たな共通言語や皆が関心を持つ問題を見つけるには、しばらく時間がかかるかもしれない」と述べた。

周嘉發が最後に公の場で六四事件を追悼したのは2022年だった。彼は社民連の陳寶瑩(チャン・ポーイン)主席と余煒彬副主席と共に、「×」印の書かれたマスクを装着してそごう前で黙禱していたところにメディアが殺到し、歩行者の往来を著しく妨げたため、警察に連行された。周くんは、「公の場で追悼する自由を失うなんてことに、慣れていないんだよね」と述べたが、「これは他の香港の人々と同じように、感情を変換することを学んでいるとも言える」と述べた。例えば、自宅に電子キャンドルを置く人もいたが、「これはすでに信念を維持する一つの形だ。もちろん、寂しさも感じるけど…」。また、インターネット時代においては、「簡単に消し去れないものもある」と彼は考えている。
う~ん…。前向きともとれる発言ではあるけど、なんか色々思い悩んでないかい? 言葉を重ねれば重ねるほどに、苦しい胸の内が透けて見えるんだが…。何かと憂鬱な夏だね…。
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在大阪香港永久居民。
頑張らなくていい日々を模索して生きています。