【六四35周年】

<銅鑼灣(Causewy Bay)のそごう前で目を光らせる装甲車。すでに前夜から警察は厳戒態勢 (香港01)>


毎年、同じようなことをほざいているが、今年もほざく。「早いもんで、天安門事件(六四)から35年か…」

もう5月最終週日曜の抗議デモも、6月4日の追悼集会も開かれなくなって4年になるので、特段、ここであれこれ記録しておくようなネタもないんだが、一応、今年は「23条立法化以降、最初の六四」ということなので、「こんな感じだったみたいですね」ということくらいは、残しておくとする。

前夜から、「わざと捕まりに来た」としか思えない人たちが、わさわさと湧き出る。自称・藝術家の三木(陳式森)もその一人。昨年もこの人、湧き出てきてき「希望通りに」連行されたが、今年も同様にやって来た。

懲りない自称「藝術家」の三木 ©明報

6月3日午後9時ごろ、銅鑼灣(Causewy Bay)の駱克道(Lockhart Road)に姿を現した三木は、終始無言で、ワイングラスを上げたり、指を空に上げたりするなど、さまざまなジェスチャーをした。「8964(1989年6月4日=天安門事件が起きた日)」に似た言葉もジェスチャーした。直ちに警察官に包囲され、所持品検査後、警察車両に連行された。

雨の中、そごう前で厳重警戒の反恐特勤隊(反テロ部隊)

この日は銅鑼灣地区に100人以上の警察官が配備され、ビクトリア公園に通じる主要交差点にも警察官が配備された。そごう周辺には約50人の警察官が配置され、完全装備の反恐特勤隊(反テロ部隊)と装甲車「劍齒虎(サーベルタイガー)」も配備された。ビクトリア公園にも少なくとも50人の警察官が3~4人のグループに分かれ、銅鑼灣と天后(Tin Hau)の出入り口に配置され、巡回した。かつては6月4日の追悼集会が開催されたサッカーコートは、昨年同様に本土各地の名産を集めた「家鄉市集嘉年華(ふるさとマーケットカーニバル)」が1日より開催されており、会場内にも警察官が配備された。

初日から出足好調だった家鄉市集嘉年華だが…

この日は午後から雨が降り続き、カーニバル出店者からは人出が大幅に減り、営業に影響が出ているとの声が聞かれた。実際、初日の6月1日からの入場者数は昨年より多く、好調だったが、午後からの雨で入場者数は約60%減ったという。カーニバルは5日まで開催される。

3日目は雨でさっぱり ©獨立時報

そして6月4日。基本法第23条の「維護國家安全條例草案(=国家安全維持条例)」可決後、初めての「六四」の日を迎えた。

李家超(ジョン・リー)行政長官は会見で、天安門事件の追悼に言及。香港警察は最近、扇動的意図でSNS投稿した多くの人物を逮捕した際、政府の新聞稿(プレスリリース)では六四当日を「個別日子(個別な日)」と表現していた。記者から「6月4日はタブーになっており言及できないのか? 市民が六四について話すことは違法か? 今夜誰かがビクトリア公園でキャンドルを灯したら、警察はそれを取り締まるのか?」と質問した。

「個別の日」について会見する李家超(ジョン・リー)行政長官 ©香港01

李長官は「個別の日に関する政府の立場は明確であり、いかなる公的活動も法律に従わなければならない」と答えた。また李長官は「香港の法律も非常に明確だ。公安条例、国安法、国家安全維持条例など、誰もが知ることができるように公布されている。すべての活動は関連する法律および規制の対象となり、あらゆる活動は法律に従わなければならない」と続けた。

さらに2019年の「暴力破壊行動」にも触れ、「悲劇的な経験」と表現し、「国家安全保障上のリスクは突然に生じることを思い出してもらいたい。香港の安定と国家の安全を損なおうとする勢力が依然として存在しているという事実に警戒すべきである。この問題を利用して事を起こす人々に注意してほしい」と述べた。「警戒を怠るな!」と喚起したんだろうけど、もはや何も起こらない。起きないように国安法と国家安全維持条例で挟み撃ちしているんだから。もし、19年のようなことが起きたら、よっぽど間抜けな法律だったということになる(笑)。

市民は最新鋭装甲車に興味津々

さて、この日も銅鑼灣一帯は厳戒態勢。再び装甲車「劍齒虎(サーベルタイガー)」も引き続き配備され、警官の数も増強。この光景に四川省成都からの3人家族の旅行客は、「今日香港に到着したばかりで、最初の目的地が銅鑼灣だった」と言い、6月4日が何の日か知らず、なぜこんなに警察官が多いのかも分からないと話した。しかし、彼らは警察を「クール」だと思っており、「警察官がたくさんいるのは非常に安全ですね」と地元メディアの取材に答えた。この温度差よ!

そりゃこんなにも反テロ部隊までもいたら安全ですわw

そしてこの日も「わざと捕まりに来た」人たちが続々と出現。

午後3時過ぎ、英国旗を振ってデモや暴力破壊行動に参加する姿がおなじみの「王婆婆(王おばあさん)」こと、王鳳瑤が花を持って銅鑼灣の怡和街(Yee Wo Street)の麥當勞(マクド)あたりに出現し、「追究屠城責任、結束一黨專政、釋放民運人士」など、六四抗議デモや追悼集会等で叫ばれたシュプレヒコールを声高らかに叫び始めた。すぐさま警察官に包囲されたが、王婆婆はその場に座り込んで動くこうとせず、23条の「扇動意図に関連」した罪状で警察官約20人に警察車両へ連行された。

毎度おなじみ、王婆婆。ちなみに68歳。「おばあさん」と呼ばれるのはちょいとかわいそうかな(笑) 端傳媒
警察車両に連行される「王婆婆」。なんかドラマのシーンみたいですな (有線電視画面より)

同じころ、銅鑼湾のそごうの外で、老人が2枚の紙を持って立った。 「89年を思い、6月4日を悼む」「あの頃、ヴィクトリア公園のキャンドルの灯りは火の海のようだった!でも今は人々はいない!キャンドルの火は消えた!」などと書かれていた。通行人は誰も話しかけないかったが、間もなく大勢の警察官が到着し、老人を取り囲み、紙をしまうように警告した。彼は抵抗することなくバックパックに紙を入れると、警察車両に連行された。

今の香港としては、かなり「ヤバい」文言が並ぶ。勇気あるな!

午後6時10分ごろには、ビクトリア公園で開催中の「家鄉市集嘉年華(ふるさとマーケットカーニバル)」会場で、チェ・ゲバラの肖像画をあしらった黒いTシャツを着た男が「社會主義核心價值觀」「自由」「公義」「和平」等と書かれたA4の紙を掲げた。男はかけつけた会場警備員に囲まれ、出店業者らが傘を広げ、男を隠した。その後、男は抱えられ、公園の銅鑼灣側入り口近くのテントに運ばれ、警察の取り調べを受けた。男は約10分後にテントから連れ出され、警察車両に乗せられた。「傘で隠す」なんてのは、2019年の暴力破壊集団と同じ手法やな。傘の中で何が起きていたかは、隠された本人と隠した一団しか知らない…。

ゲバラの黒Tなんて、長毛こと梁國雄を彷彿とさせる。この男が長毛ばりのトロツキストかどうかは知らないけど…。そもそも何者? 初めて見る顔だけど

午後9時近く、裁判の傍聴席でおなじみの「姨婆」と呼ばれる女性が、国安法の解説書『香港國家安全法解讀(香港国家安全法の解釈)』を手にし、周囲の人たちと記念撮影を撮っていた。その後、警察官が、彼女の行為は公共の場での秩序を乱す行為であり、逮捕されると可能性があると言い、警察車両に連行した。その混乱のさなか、「姨甥」と呼ばれている男性も警察と小競り合いとなり、連行された。

連行され、警察車両に乗せられる「姨婆」。それにしても迫力あるマスクですなw
「Ⅷ Ⅸ Ⅵ Ⅳ=8964」とローマ数字がプリントされた黒Tの女性が連行された。あかんに決まってるやん。警察、政府、さらにはその先の中央をも挑発するかのようで、ええ根性してるな!と感心する

警務處副處長(國家安全)の簡啟恩(アンドリュー・カン)と國家安全處處長の江學禮(ケルビン・ゴン)は午後5時50分ごろ、ビクトリア公園を視察した。 2人は立ち会った警察官に警備の状況を聞きなどした後、10分も経たないうちに現場から去った。上述のゲバラ黒Tの男は、そのおよそ10分後に出現した。

警務處副處長(國家安全)の簡啟恩(アンドリュー・カン)

夜になると、ビクトリア公園での警戒はさらに強化され、猫の子一匹逃さないという状況になったが、通行人を手当たり次第に職質してきたここ数年とは違い、「怪しい」人物のみに絞った。多分、騒ぎを起こす可能性のある活動家の多くが「娑婆にいない」からだろうけど。それでも、個人的に六四に思いを馳せる市民がぞろぞろと現れる。

こんなビール見たことないなあ。それにしても警察は色々と細かいところまで見てるんやな…

午後9時20分ごろ、ビクトリア公園のベンチで、中学生の制服を着た少年がビールを飲んでいたところを職務質問された。フォーム5の18歳の学生、周君は「1664ビール」と白いキャンドルを持ってきて、ベンチに静かに座っていたが、大勢の警察官が周君を取り囲み、所持品を調べ、身分証明書を記録し、違法行為をした場合は逮捕すると警告した。その後も周君は、ビールと火の消えた白いろうそくを傍らに置き続け、「フォーム3以来3年連続で6月4日のにビクトリア公園にいる」と語った。 

日本でも「日本人も拘束される!」と、大ごとのように報じられていたが…。実態はこうだった。自称・作家の飯村幸雄さん(43)は、ビクトリア公園で「南無阿弥陀仏」と書かれた団扇太鼓をたたき、読経していた。もちろん警察が飛んで来るわけで、連行され、3分間近く職務質問された。警察はバックパックの中の本、食料、所持品をすべて調べた。同氏によると、警察はパスポートを確認しなかったが、宿泊先ホテルは登録した。ただし、警告も控訴も受けなかったと言う。

同氏によると、6月4日にビクトリア公園を訪れるのは今年で2回目で、今は中国の歴史についての小説を書こうとしていると語った。彼は、今年が第 23 条施行後初めての 六四であることを知っており、「言論の自由を破壊すれば、そこに未来はない」と語った。

ま、この人も「わざと捕まりに来た」みたいなもんだな。スレスレのことわかってやってるんだから、「やれやれ、まったく…」ってところだ。

窓辺に追悼のろうそくを並べた在香港米国咀領事館。EUの香港マカオ事務所でもろうそくが並べられた。さらに複数の欧米、日本の香港総領事や代表者がビクトリア公園を訪れた
オレンジ色の規制線を張り、不審者の取り調べを行う警察官の一群 ©端傳媒

警察報道官は、午後11時30分までに灣仔(Wan Chai)と北角(North Point)の両警察署管内で、23歳から69歳の男性2名と女性2名を逮捕したと回答した。警察は、68歳の女性が怡和街(Yee Wo Street)の公共の場所でスローガンを唱えた「扇動目的に関連する犯罪」の「国家安全維持条例」第24条違反で逮捕されたと発表した。また、怡和街で24歳の男と69歳の女が不審な行動をとり、男は警察官2人を暴行した疑いで逮捕された。このほか、興發街(Hing Fat Street)の公園で、23歳の男が警備員2人を襲撃した疑いがあり、暴行容疑で逮捕された。

これは「王婆婆」、「姨婆」、「姨甥」、ゲバラの黒T野郎の4人のことだな、明らかに。そりゃ「わざと捕まりに来た」人たちやもん、連れて行かれても仕方ない。

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今年の6月4日を見てみた。冒頭で述べたように、もはや「何も起きない」のがあたりまで、早晩、拙ブログでも六四を扱うことがなくなる年も来るだろう。こうして香港人の「集體回憶=集団の記憶」から「六四」は消し去っていかれるんだろう。いまは、その過程を見ている時期なのかもしれない。しかし一方で、「集體回憶」とは、そう簡単に消せるものでもないと思う。それ故に、実に厄介なものでもあるのだ。

2019年6月4日、ビクトリア公園での「最後の六四」。主催者の支連会発表で過去5年間で最高の18万人が参加した。香港人にとって6月4日の「集體回憶」は、天安門広場に集まったの学生たちよりも、この光景である ©端傳媒

面白そうな本が出るようです。広東語を知ることで、見えてくる香港があるかも!

 


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