【毒書の時間】『大阪』 岸政彦、柴崎友香

<京セラドームからの帰り道、夕陽がきれいだったのでパチッと収めた一枚。岩松橋から環状線岩崎運河橋梁を望む。柴崎友香が言うところの「なすびのへた」の部分。彼女にとっては日常の光景。岩崎運河橋梁については「元鉄オタ」として色々書きたいことがあるが、ぞれはまたいずれ… 平成26年5月14日撮影>


この前、津村喜久子が小生と「調子が合う、リズム感が似ている」と記したが、さらにその上を行くのが柴崎友香である。

調子、リズム感はもちろん、「記憶、生活」について「せやな」「それ、ホンマやな」と同調することが多すぎるのである。なんででしょうね? 彼女の書く「大阪」は彼女が生まれ育った大正区でさらに彼女の周辺のことで、同じ大阪市内でも、もっと東の方で生まれ育った小生にはまったくの「未知の世界」であるにもかかわらず。

今作『大阪』も基本はそこら辺のことだけど、帯にあるように“大阪を出た人”の視点からも、興味深い文章が見つけられる。

一方の岸政彦。この人は最近『大阪の生活史』っていう「広辞苑かえ!」ってくらい、ごっつい本出した人。あれ、パラパラと立ち読みしたけどおもろいね。ああいうのの「自分版」ということかな、この本は。

なんか色々面白そうで、単行本が出た時から気になってたけど、例のごとく、気が付いたら文庫化されていたという、いつものパターン(笑)。

『大阪』 岸政彦、柴崎友香

河出文庫 ¥924
二〇二四年四月十日 初版印刷
二〇二四年四月二十日 初版発行
令和6年5月30日読了
※価格は令和6年6月2日時点税込

「大阪」へ来た人、岸政彦「大阪」を出た人、柴崎友香による共著エッセイである。この二人だからこそ成り立つんだろうな、こういう一冊の本に…。

便宜上、本稿では岸の書いたエッセイを「岸パート」、柴崎の書いたエッセイを「柴崎パート」と呼ぶ。

岸政彦は、小生よりちょっとだけ年下で、小生が関西大学を卒業した年に、入れ替わるようにして大阪以外の土地から、関西大学に入学した。「な~んや、わいの後輩かい!」と、ちょっと親しみを感じる。まあしかし、そこはやっぱり社会学者さんなんで「あんた、偉い人やねんなぁ」という尊敬の気持ちもあったりする。だからかどうか、ちょっとばかり「あんたの書く『大阪』は、俺の知ってる『大阪』とは、なんか違うんやけど…」ってのを、終始感じながら、岸パートをずっと読んでいた。「ほー、そういう見え方があるねんや!」と、逆発見のようなものを岸パートのあちこちに感じた。

とは言え、「お、それそれ!」「やっぱりそうやろ、そやんなあ」と頷く文章もあり、「よう見てはるわ、この人」と感心もする。『あそこらへん、あれやろ』というタイトルの文章があったが、これなんてもう、タイトルだけでピピっと来る。多分、何の悪気もなく使ってると思う、このフレーズ。これ以上、説明のしようがないフレーズ。「あそこらへん」「あれ」、タクシーの運転手が言った「普通の人が行くとこちゃいますよ」…。「あれ」というのは、実に便利な言葉で、昨今であるならどっかの監督が言う「優勝」を指す代名詞であるが、この場合の「あれ」はもちろん、そんな晴れがましい意味ではない。

さて一方の柴崎パートだが、こちらは「大阪を出た人」ではあるが、大阪市生まれの大阪市育ち。ただし、小生が生まれ育った大阪市とは全く違う風景の中で。ただそこは、度々拙ブログの香港を語る稿で言う「集體回憶=集団の記憶」というのがあって、たとえば「4時ですよ~だ」や深夜の「CINEMAだいすき!」、女性漫才コンビ「メンバメイコボルスミ11」、土曜の夕方、中島らもなんかが出てた「なげやり倶楽部」、桂枝雀の出演していた映画『ドグラ・マグラ』…。書き出したら枚挙にいとまがないのだ。「あんた俺より10歳下やのに、気が合うやんか」と肩の一つもパーンとたたきたくなる、まさに「集體回憶」というやつだろう。

都構想や大阪・関西万博に投げかける懐疑の目線も同じで、「大阪生まれ、大阪育ちなら、そう思うやんなぁ!」。現在は東京住まいの柴崎は言う。

…これからどこか別の街に住んでも、プロフィールには「大阪」と入れて生きるだろう。
 なぜそうなのかは、やっぱり、大阪の街がずっと自分を助けてくれたからだ。
 大阪の街と友だちが、わたしを生かしてくれたからだ。(317ページ)

この部分、とてもいいなぁ。小生も「大阪を出て」香港で暮らす中で、そう感じることが何度もあった。それは決して望郷の念でないことは、この本を読めばわかると思う。彼女の作品で特に小生が好きな2冊『あの街の今は』『わたしがいなかった街で』を読めば、なおさらだと思う。

さて。二人の文章を読んで「はた」と気づいたのは、これ「大阪」を「香港」に置き換えた時、小生は岸政彦の側なのであるということ。岸の「大阪」への視線、愛着、時に嫌悪は小生の香港に対するそれと共通する部分が非常に多いなと。さりとて、柴崎のような「出た人」の感覚もまた持ち合わせていることにも、気付く。今は「香港を出た人」だから。

一つの都市を街を土地を、複眼的に見ることの面白さが、この一冊に詰まっている。大阪が好きな人はもちろん、嫌いな人も、ぜひとも読んでほしい。

圧巻1200ページを超える「150人が語り、150人が聞いた大阪の人生」。欲しい本だが、置く場所が…(笑)。

 


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