【毒書の時間】『肌色の月』 久生十蘭


「何かと堅苦しい世の中やねぇ」と言ってしまうとダメなのかもしれないけど、一つの戦前の小説をこの時代に世に送り出すのに、随分と苦労するもんやな、というのを感じる一冊だった、今回読んだ久生十蘭の中長編集『肌色の月 探偵くらぶ』。編者の日下三蔵による「編者解説」によれば、この本の前に刊行された『黒い手帳 探偵くらぶ』から間を置かずに、2022年のうちに出版予定だったが、大幅に遅れて2023年3月の発行となった。巻頭の『金狼』に「屠殺」という二文字があるがゆえに、光文社側から収録取り止めの要請があったという。結局、巻末にそこそこ長い「断り書き」を載せることで落ち着く。関連団体もその内容を了解してくれたと。

古典芸能でも、しばしば「今日の尺度」では完全にNGワードとなる詞章がたくさん出てくる。これを削除したり作品そのものを封印すると、芸の伝承が立ち行かなくなってしまう…。「遺す」「伝える」ということは、この先、ますます難しいことになってゆくんだろうなと感じた「編者解説」であった。

『肌色の月 探偵くらぶ 久生十蘭 日下三蔵 編

光文社文庫 1,210円
2023年3月20日 初版1刷発行
令和6年3月3日読了
※価格は令和6年3月8日時点税込

既刊の『黒い手帳 探偵くらぶ』よりもさらに分厚い一冊。「読み応え抜群」と言えるし「果てしない読書」でもあったし(笑)。短編から長編まで8作が並び、さらに夫人による『単行本あとがき』、中公文庫出版時の「解説」、そして上述の「編者解説」に「断り書き」まで、「そりゃ分厚くなるよな」という布陣。

本書の「売り」は、何と言っても十蘭が初めて「久生十蘭」のペンネームで書いた『金狼』と絶筆なった『肌色の月』、夫人による『肌色の月』の結末が収録されているという点だろう。

いずれの作品も、縦横無尽に言葉を操り、独特の世界を見せてくれる。5作が戦時色強まる時代の作品だが、そんな世間の空気をよそに、原稿用紙をペンが走り抜けている爽快感さえ感じる。ただ、副題が「探偵くらぶ」と謳っているだけあって、ミステリとかサスペンスとカテゴライズできる作品がほとんどで、作品集としては、やや偏りがあるとも感じる。その分、まとまりのある「一本筋の通った」作品集には仕上がっている。

おしゃれな文体は相も変わらず。漢字の「読ませ方」もこれまた洒落ている。街路を「とおり」、勘定台を「レジスター」、旅人館は「はたご」、下等船客は「デッキパッセンジャー」などなど、枚挙にいとまがない。決して日常に役立つわけじゃないけど(笑)、こういう遊びができれば、拙ブログのアクセス数ももっと増えるかもしれない、なんて思う(笑)。

昭和11年発表の『金狼』は、多様な人物が登場して殺人犯探しをする物語だが、こういう作品にありがちな「伏線まき散らし」からの「終盤の怒涛の回収」というスタイルではなく、好き放題に書いいるのが「十蘭スタイル」。まあ、一応終盤に回収らしきものはあったけど、頭の回転が極めてよろしくない小生には、「ええ?これってどういうことなん、結局」という疑念がさらに渦巻くだけで、ぽかーんとしているうちに幕が引かれたという感じ(笑)。でも、好きですよ、この手法(笑)。

一方の絶筆となった『肌色の月』、こちらは昭和32年『婦人公論』の連載。連載半ばで十蘭は55歳の若さで筆を断つ。作品はもとより、夫人による「あとがき」が非常に読ませる。病魔と闘いながらも書くことへの十蘭の執念がひしひしと伝わる。執念以上に、この人はとことん書くことが好きだったんだろうなと感じる。夫人が後を続けた結末へ向かう「続編」は、生前に聞いていた構想を並べたものだそうだが、夫人もなかなかの筆力だと感じるほどの出来だった。おそらく十蘭本人もこう書いたんじゃないかと思うが、果たして…。

そのほかでは、『妖術』と『予言』が面白い。『予言』を読んでいて、はたと気づく「あれ?この展開は『妖術』で読んだような…」。それもそのはずで『予言』は『妖術』の一部を改めて短編に仕立て直した作品とのこと。この2作は推理系の作品ではなく、小生の好きな十蘭の作風の一つである超常現象もの。催眠トリックを描いた作品だが、小生が催眠術にかかってしまったわけで、十蘭の思う壺である。こういう読者はちょろいもんですな(笑)。

酒の害悪を繞って』という、どこかすっとぼけた感じがする短編ミステリも面白い。これはもうミステリと言うよりも「落語」の世界である。

さっき「やや偏りがある」なんて言ったけど、やっぱりねえ、全部読み終えたら結構バラエティに富んでいたというオチであります(笑)。

「これだから十蘭はたまらない!」というところまでは、至らなかったけど、知らず知らずのうちに十蘭ワールドで弄ばれ、今回はさらに幸子夫人という強敵(笑)も出現し、「読書を楽しむ」ということができていた、という次第ナリ。

次はこれを読んでみようかな…。

 

 


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