【毒書の時間】『エール 夕暮れサウスポー』 朝倉宏景

<何年前かな…。炎天下の甲子園でのタイガースvsホークスの二軍戦。梅雨明け直後で、調子を落として二軍調整する一軍選手が増える時期だけに、両軍ともに「あれ?お前、なんでここにおるねん?」って聞きたくなる名前がチラホラと。本作の主人公はそこまでにも至らずに、プロをクビになってしまった (筆者撮影)>


ちょうど読了日に、NPBでは第2回目となる「現役ドラフト」が開催された。我がホークスからは外野手の水谷瞬がファイターズから指名を受け、移籍することになった。また、同じファイターズの長谷川威展投手を指名して移籍してくる。2年連続で実質上「交換トレード」のような結果となった。水谷は一部では「ロマン砲」扱いだが、正直、外野手が多すぎる我が軍では、今後浮上するのは厳しいランクの選手である。ま、本人は一所懸命に稽古してるんだが、一時はレギュラーだった上林誠知ですら来季の「構想外」となるほどだから、水谷レベルでは…。ねぇ。

最近は「戦力外」という言い方よりも「構想外」と言うのがもっぱら。で、何が違うんかと言えば、何も違わない(笑)。「実際、めっちゃエエ選手ですねんけど、来季のチーム構想図を描いたとき、どうしても外れてしまうんですわ、ほんま勿体ないですけど」という含みもあるからか、特にホークスの「構想外」は、割とスイスイと他球団に拾われてゆく。今回読んだ『エール 夕暮れサウスポー』の主人公は「構想外」と言うよりも、明らかに「戦力外」。他球団からは声がかからなかった。要は「プロとしては使いもんになりまへん!」と宣告されたわけで、これは本人も家族もショックが大きい…。

『エール 夕暮れサウスポー 朝倉宏景

講談社文庫 ¥836

一昨年読んだ『あめつちのうた』がなかなかよかったので、以後、気になる作家の一人となった朝倉宏景。今作も野球が題材の佳作と聞いて、読んでみた。2年前に講談社から単行本として世に出た『エール 名もなき人たちのうた』を文庫化にあたって改題。

年末になると、戦力外通告を受けた選手を追う番組がある。結構な人気番組で、楽しみにしている野球ファンも多い。「楽しむなよ!」と言いたいけどね(笑)。小生も最初のころは興味もあって観ていたが、最近はまず観ない。他人の人生をのぞき見するようで、つくづく無礼な番組だなと思うのだ。と言いつつ、この作品はまさに戦力外通告を受けた選手の1年を追っかけているんだから、「どの口が言うねん!」ってハナシではある(笑)。

主人公の窪塚夏樹は、埼玉のとあるチームを戦力外になり、トライアウトの後にスカウトされた飲食店グループ企業の社会人チームに入団することになる。と言っても、普段は普通に居酒屋など同社が経営する店舗で働く。彼もまた、配属された居酒屋で働きながら、野球を続けることに。

居酒屋勤務初日、いきなり店の常連さんと衝突。店長から「元プロ野球選手のプライドが見え見え」と注意される。「そんなプライド、ここでは何の役にも立たない」と。この店長、牧島というやり手の女店長。実は野球部廃絶派である。なぜか彼女一人だけが、夏樹のことをフルネームで呼ぶ。その理由は最後まで不明(笑)。まあ、そこは物語の本筋ではないんで、ええけど(笑)。

世に「野球バカ」という言葉がある。幼少のころから野球漬けの日々。人がうらやむ名門大学へ入学できたのも「野球が上手いから」で、決して勉強ができたからではない(もちろん、勉強もできる子もいるにはいるが…)。そんな子がプロ野球へ入り、何千万もの契約金をもらい、うまくいけば数年後には億の契約金を手にすることができる。一方で、世間の常識や、もっと言えば、当たり前の礼儀作法も知らない…。

なので最近は、どの球団も入団後にはまず、そういう教育から始めることになる。まあ、この窪塚夏樹もそういうボロがいきなり出てしまったというところか。実際、作中でも夏樹が税金のことも年金のことも何も知らない自分に愕然とする一幕がある。

そりゃねぇ、ついこの前まで二軍とは言え、プロの世界で多少なりともチヤホヤされていたんだから、無理もないっちゃ、無理もない。ただ、世間はそういう人間には一層厳しいし冷たいものだ。小生も50年以上、プロ野球(それも一貫して一球団ww)を見てきたので、そんな選手も人生も色々と見てきたし、本人から聞いたりもしてきたから、よくわかる。作者の朝倉宏景も、何人もの「元プロ野球選手」に話を聞いたんだと思う。

そんな窪塚夏樹が、野球選手として夏樹が「再生」してゆく過程を描いた作品。慣れない接客業に悪戦苦闘しながらも、彼が野球選手としてだけでなく、人間的にも「再生」してゆく様子が描かれている。そう、この作品は「再生」の物語でもある…。いろんな「再生」。中には「再生」が果たせなかったこともあるが、それもまた世の中というものだ…。

そんな中、コロナの感染拡大による緊急事態宣言。飲食業界の苦境や、夏樹に期待していた監督の死、痴呆が進む母親のことなど、野球だけでない1年間も描かれ、作品に厚みをもたらせている。

そして迎えた終盤、都市対抗野球予選。南関東二次予選。試合の展開が脳内で映像化されてゆく。こういうのって、子供のころに野球漫画をよく読んでいたからかもしれない。きっと作者も好きなんだろうな…。実際に野球漫画を読んでいるような緊張感やワクワク感があって、大事に読み進めたいな、という気分にさせてくれた。

夏樹は来年もトライアウトに挑む。思いっきりメンタル強化された彼は、きっとプロの世界に返り咲くだろう。

窪塚夏樹に幸あれ!トクマルホールディングス野球部に幸あれ! まさに「エール」を送りたくなる一冊。

試合のないシーズンオフの寂しさを埋めてくれる、よき作品だった。

(令和5年12月8日 読了)
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