【上方芸能な日々 文楽】夏休み特別公演第2部 《名作劇場》

<「頬かむりの中に日本一の顔」と称賛されたのは、『心中天網島』で紙屋治兵衛を演じた初代中村鴈治郎。文楽では「源太」かしらの人形で>


夏休み公演の第二部は「名作劇場」として、丁度頃合いの良い時間に収まる作品がかかる。第一部とは打って変わって、こちらは大人の世界の物語となる。今回は近松門左衛門、晩年の名作『心中天網島』。

人形浄瑠璃文楽
令和4年夏休み文楽特別公演《第2部 名作劇場》

この作品こそ、床直下でしっかりと浄瑠璃を味わいたい

心中天網島

天網恢恢疎にして漏らさず

天網(てんもう)」すなわち天に張り巡らされた網は、「恢恢(かいかい)」すなわち大きくて広い。天が張り巡らせた網の目は「疎(そ)」でも、悪人は誰一人として漏らさない(逃さない)」という意味で、由来は『魏書』に云う「天網恢恢、疏而不漏。」である。

この故事成語をうまくストーリーとタイトルにからませた『心中天網島』は、好きな演目ではあるが、真昼間に心中ものもナニな話ではある…。と言う内容を、この作品がかかる度に記している(笑)。夜の部の締めに心中を見せられ、ちょっとばかり重い気持ちで劇場を後にする、あの感覚が好きなんだけどなぁ…。

「北新地河庄の段」

中 睦 勝平
前 呂勢 清治
後 織 清志郎

これまで何度も観てきたが、「河庄」の切は住さんと決まっていた。住さん引退後の最初となる令和元年(2019)の11月公演では、中を織-清治で、奥を津駒-清治の二人のリレーだったが、今公演では「3人体制」となった。端場の「口三味線」はさておき、切場となるべきところを二人でってのは、どうなんだ?と思う。呂勢も織も語りぬく実力があるにも関わらず、これでいいのか?

「口三味線」、睦はどうにも不安定。面白おかしくやればいいってもんでもない。全体にもう少し余裕も欲しいところ。睦という人は「おおお!」と思うことがあるかと思えば、「えええ??」って首を傾げたくなることもある。「安定せえや」とは言わないが、何かをつかんでもらいたい。このままでは「つかみ損ねた」まんまでずっと安定してしまいかねない。勝平は良き。何もかもわかってはる。

切場前半。マクラの清治師匠の三味線の音が、気持ちを舞台に釘付けにする。この先の展開を暗示するかのような響き。こういう音を聴けるから、文楽通いをやめられないのである。そして呂勢の語りである。切場にふさわしい浄瑠璃が展開されてゆく。治兵衛の「魂抜けてとぼとぼうかうか」感なんぞは、非常にリアルで、玉男さんの治兵衛が一層際立って見える。小春の愛想尽かしもよく伝わった。

後半は織と清志郎。前半同様に行き届いた浄瑠璃で、見事なリレーになっていた。治兵衛の情けなさと言うか、配慮の不足とでも言うか…。そういうのが伝わるのはさすが。ただ、何か足らない気もした。この「何か」が説明できれば、小生も相当な聴き巧者なんだろうけど、まだまだ勉強不足を痛感。でもまあ、そこを目指しているわけじゃないんで、いいでしょ(笑)。

前回、この切場を呂勢が全部やることになっていたんだが、あいにく休演で津駒時代の錣さんが代演した。なぜ今回は分けたのかと思う。前述の通り、通しで呂勢か織のどちらかでやってもらいたかった。もったいないなぁと思った次第。

「天満紙屋内の段」

中 小住(公演前半:咲寿) 寛太郎
切 錣 宗助

公演も終盤だったので、小住で中を聴く。咲寿はどうだったかは知る由もないが、小住について言えば、ドーンと構えた、若手らしからぬ風格を備えてきた。アホの丁稚・三五郎も難なくこなし、商家の空気感も醸し出し、よく聴かせていた。寛太郎もうまく空気を作っていた。

切場はまさしく「おさんの物語」。おさんをいかに描くかが、床、人形ともに腕の見せ所。錣さん、宗助はおさんの心情を余すところなく聴かせた。それに尽くしたというところ。前回は呂&團七で、この二人もよかったが、今回もこのコンビならではの丁寧さを感じた。治兵衛のダメさ具合に対比して、おさんのよくできた御寮人はんというイメージを確立させることに尽くした、というところ。「いつからか着類を質に間を渡し、私が箪笥は皆空殻」なんて、グッと胸に迫るものがあった。和生さんの遣うおさんが観る者を釘付けにする造形を見せた。

「大和屋の段」

切 咲 燕三

厳しい現実ではあるが「咲太夫ワールド全開」というわけではなかった。それでも、咲さんが他の追随を許さない語りを、相も変わらず聴かせてくれる。安心であると同時に、先のことを思うと、危機感すら感じる。

冒頭での「恋情け、こゝを瀬にせん蜆川、流るゝ水も、行き通ふ、人も音せぬ丑三つの、空十五夜の月冴えて、光は暗き門行灯」で、すっかり世界に導き入れてくれる、この安心感。これができるのが咲さん。

近松の詞章もきれいな段。蜆川は今では痕跡すら辿るのが難しいが、番付のカラー見開きページに古地図が掲載されており、おおよその見当をつけることができる。このカラーページは秀逸。番付の一部のページがカラー化されて以降、こうした企画ものが非常に充実しているのは、とてもいいことなので、継続してほしい。大変だとは思うけど…。

すでに意を決している治兵衛と小春の心理描写のような詞章が繰り広げられる。「静寂の美」すら感じる段は、「互いに手に手を取り交はし『北へ行かうか』『南へか』西か東か行く末も早瀬蜆川流るゝ月に逆らひて足を、はかりに」と道行に向かう二人を追う…。

「道行名残の橋づくし」

小春 三輪  治兵衛 
津國、咲寿、文字栄
團七、團吾、清丈、清公、清方

團七師匠の三味線が、三輪さん以上に小春の心情を語っているかのようだったが、決して三輪さんの語りを邪魔するものでなく、一体となって小春になっていたのがさすが。治兵衛は團吾が睦をカバーしている感じが否めなかった。蜆川を流れに逆らって行き、「網島」で最期を遂げる二人。いくつもの意味を込めた題名と詞章の数々…。改めて近松の偉大さを感じる。

人形は小春の勘十郎さん、治兵衛の玉男さんに加え、おさんの和生さん、孫右衛門の玉也さんもよく、それぞれの心情をしっかりと表現していて、舞台に集中させてくれた。

全体を通して、師匠クラスと中堅・若手の力量の差をまざまざと見せつけられた、というところだが、そんな中にあって、小住と寛太郎には明るい未来も感じることができた。

(令和4年7月31日 日本橋国立文楽劇場)


←織太夫が書く「文楽のすゝめ」シリーズ第三弾。「14歳からの~」とあるが、大人が読んでも十分楽しめる内容。織さんの文楽に対する「熱量」もガンガン伝わって来る!

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