<アイキャッチ画像:25年前、返還カウントダウンを待つ人たちで埋め尽くされた尖沙咀プロムナードは、25周年を祝う飾りで埋め尽くされた(お友達撮影)>
香港が英国から中華人民共和国に祖国復帰し、香港特別行政区としてスタートしてから25年となった。「50年不変」の尺度から見れば、折り返し点を迎えたことになる。拙ブログで度々訴えてきたが、この「不変」も「高度自治」の「高度」も「港人治港」の「港人」もあくまで「一国両制度」の「一国」すなわち中国のひくラインでの解釈であって、諸外国が口をはさんで勝手にライン引きをしていいというハナシではない。あくまで決めるのは「一国」すなわち中国でなのである。
2019年の逃亡犯条例への反発に端を発し、暴力破壊行動にまで発展した騒動では、西側自由主義陣営は一斉に勝手な線引きをして、中国への批判を強めた。日本も同様で、暴力破壊集団に同情的な報道が跋扈し、中国はおろか香港へすら行ったことがない人までもが「あの自由だった香港が懐かしい😢」なんて言い出す始末で、その様は滑稽の一言に尽きた。
事程左様に、「香港返還」というものがよくわかっていない人がまりにも多く、なんか香港は英国から中国に強奪されたように思っている人の多さに、驚いたもんである。もうそこまでくると「ええから、あんたは黙ってなさい」と(笑)。
「一国両制度」の「両制度=二制度」は、《社会主義と民主主義》ではなく《社会主義と資本主義》である。どこでだれがどう間違えたのか、いまだに前者と思っている人が多く、だから話はこんがらがってしまう。学校でもそこはちゃんと教えましょ(笑)。
ま、講釈と愚痴はこれくらいにして…。
いやまあ、25年の早いのなんの。思い起こせば小生はまだ30歳代の青二才だったんだなぁ…。返還の瞬間は尖沙咀(Tsim Sha Tsui)のプロムナードでワーワーと声を上げていたのだが、あっちでもこっちでも勝手にカウントダウンが始まって、どれがどれやらわからんうちに、時計の針は0時0分を過ぎてしまっていたという、トホホな瞬間だった(笑)。とは言え、英領植民地時代と「中国香港」を一香港市民として「跨越97」ができて、ええ経験させてもらいました、ってハナシだわな。いや、ホンマに。
あの時、香港に来たのが江沢民国家主席(当時)。今回の25周年には習近平国家主席が来港した。
深圳から陸路香港入りした習近平国家主席。COVID-19禍によって2020年1月30日からずっと運休していたが、久しぶりに動いた廣深港高速鐵路で香港西九龍駅に夫人を伴って降り立った。COVID-19禍において初めて本土を出た。林鄭月娥(キャリー・ラム)行政長官も旦那とともに恭しく出迎え。この人もこの日でその任から解放される。
前回、習主席が訪港したのは回帰20周年のとき。その時に行政長官に就任したのが林鄭長官だった。英領香港政庁時代からキャリアを積み上げ、2012年に特区政府ナンバー2の政務官に任命され、諸々の問題やデモなどで巻き起こった市民の声をくみ上げて対応にあたり、そこそこ市民の支持も高かった。行政長官就任当初も市民は比較的好意的ではあったが、2019年以降は苦難の連続だった。
別にこの人が悪いわけではないのに、逃亡犯条例の騒ぎなんかは気が付いたら極悪人のような扱いを受けていたんだから、たまったもんじゃない。メディアが逃亡犯条例を捻じ曲げて解釈してあることないこと書き立てたためなんだが、この巧妙に仕掛けられた香港人のシンパシーに訴える「歪曲報道」の数々には、日ごろは斜に構えて香港を見ている小生までもが、一瞬ながらも、ころっと騙されてしまったのは、失態だった(笑)。そんなフェイクニュースを垂れ流す悪辣なメディは、結局は葬り去られてしまったわけだ。便乗して民衆を扇動した集団も同時に葬り去られた。こうして香港は民主派が火をつけた騒動が発端となって、見事に「浄化」されたのだ。皮肉なもんである。これがここ数年の香港。
さて、西九龍駅のホームやコンコースでは市民や小学生が五星紅旗、特区旗、花束を振って、普通話で「歓迎歓迎!、熱烈歓迎!」と習主席夫妻を出迎えた。その数、約100人。この瞬間のために何日も前からPCR検査を繰り返してきた「選ばれし」者たちというところだろう。多分、コロナ禍でなくても、こういう感じの出迎えになっていたんじゃなかな? ほかにも獅子舞だの警察銀楽隊のパフォーマンスだのが行われ、賑々しいお出迎えである。
用意周到なことに、駅構内には到着演説用のバックボードが設置されていて、さっそく演説。「過去の一時期、香港は厳しい試練を受け、その挑戦に打ち勝った。雨風の時を経て香港は生まれ変わった。そして新たな活力を得た」とか「一国両制は強大な生命力を備えている。それは事実が証明している。我々が揺らぐことなく一国両制を堅持することで、香港の未来はさらに良くなり、香港は中華民族の復興に貢献できるのだ」とか、とか…。2019年の暴乱のことが最初に出た。香港を生まれ変わらせたのは、国安法という「新たな活力」ってところだろう。香港が中華民族の復興に貢献できるのかどうかは、これからの25年次第。と言うか「中華民族の復興」とは何のことなのか?復興しなくちゃいけないほど荒廃しているのか? やたら言ってるよね、この人。「中華民族の復興」ってフレーズ(笑)。
この後、夫妻は個別行動。
まず習主席は林鄭行政長官に伴われ伴て、灣仔(Wan Chai)の香港會議展覽中心(Hong Kong Convention and Exhibition Centre)に移動し、香港の行政、立法、司法、財界、紀律部隊、中央駐港機構、主要中資企業の代表者らと記念撮影。スケジュール詰まってるからか、ありがたいご高話は無し。それでも皆さん、顔を紅潮させて感激の面持ち。同じフレームに収まるってのが嬉しいんでしょうな。可愛らしいですな、どなたさんも(笑)。
その後、新界の香港科學園(Hong Kong Science Park)の視察に向かった。オープンして20年ということだが、小生は存在すら知らなかった。「何かあるんやろな~」程度の認識はあったが…。そう言えば、小生が住んでいた香港仔(Aberdeen)の西側に、似たような數碼港(Cyberport)ってのがある。総体的にイマイチな感じだったが、今は少し盛り返しているのかな?
一行は「InnoHK(イノベーション香港)R&Dプラットフォーム」のR&D研究所「香港神經退行性疾病中心(香港神経変性疾患センター)」も訪問した。
あちこち動いて香港を視察していただくのはいいのだが、その都度、大々的な交通規制が布かれて大渋滞が発生する。この近くに住むお友達から、「大渋滞で大変!」とLINEにボヤキが舞い込んできた。ま、今日だけは辛抱したれや(笑)。COVID-19の感染が始まってからこの3年、一度も本土の外へ出てなかったんやから、はしゃがせたれや(笑)。
一方、夫人は中聯辦副主任の盧新寧らとともに西九文化區戲曲中心(西九龍文化区戯曲センター)を訪問。「你好!(ねいほう)」と若手技芸員に広東語で挨拶するなど、ご機嫌。有名な声楽家であり、中国の声楽研究の第一人者でもある彭麗媛夫人は、著名な文学史研究家の鄭振鐸が編集した『古本戲曲叢刊』を同センターに寄贈した。
今回の習主席の訪港に関しては、その行動スケジュールは一切公表されておらず、「どこそこへ行った」「誰彼と会った」「これこれをしゃべった」などは、香港特区政府の広報部門である香港政府新聞處の発表によるものだという。また、到着時のスピーチではメディアは15メートル以上の距離をとっての取材、取材時にはKN95マスクの装着が義務付けられた。警備面だけでなく感染対策も厳重。
夜には禮賓府で林鄭行政長官と旦那が主催したパーティーに招かれたらしいが、あくまで林鄭長官夫妻の私的パーティーということか、その様子も一切伝わってこなかった。何喰ったかくらい教えてくれてもいいと思うけど(笑)。
禮賓府でのパーティー終了後、午後10時過ぎには習主席夫妻は再び高鐵に乗車して宿泊先の深圳に戻った。今回の訪港では警備面や感染防止対策を考慮してか香港での滞在時間を極力短くするため、「即日來回形式」が採用された。そのため、習主席夫妻は翌7月1日、再び高鐵で来港し「香港回歸祖國25周年大會暨香港特別行政區第六屆政府就職典禮(回帰25周年記念式典及び特区政府第6期閣僚就任式)」に出席。朝イチの国旗、特区旗掲揚式典には出席しない。また、20周年で訪港した際には、「文藝晩會(=歌舞音曲の宴)」にも出席したが、今回は式典終了後にはさっさと帰ってしまった。COVID-19の感染拡大が続く中、仕方ないか。
習近平国家主席、5年ぶりの訪港の第1日目は終わった。台風接近で「三號風球」発令。暴風雨となる「八號風球」を出すのかどうか、天文台も悩ましいところだろが、出るとしたら習主席の離港以降だろうと思っていたら、案の定(笑)。
ここらで、回帰25年を祝う街の様子などを。
『網内人』 陳 浩基 (著), 玉田 誠 (翻訳) 文藝春秋
ネットいじめを苦に女子中学生が自殺。姉のアイはハイテク専門の探偵アニエの力を借りて、妹の死の真相に迫る―。『13・67』の著者がいま現在の香港を描き切った傑作ミステリー。著しい貧困の格差、痴漢冤罪、ダークウェブ、そして復讐と贖罪。高度情報化社会を生きる現代人の善と悪を問う。
在大阪香港永久居民。
頑張らなくていい日々を模索して生きています。