<アイキャッチ画像:朝に見た時は「おお、ええ頃合いやんか」と思ったが、夜に改めて見てみると、結構スケスケになっているた。1日で大分散ったのか、それとも陽の光が満開に見せてくれるのか…。どっちもあり得るな (筆者撮影)>
さて第三部。新たに切語りとなった千歳太夫、ようやくの出番。「日向嶋」を丸々一段語る。これは楽しみ。切語りの太夫なら、こうでなくちゃ。一挙に4人になった切語りの中で一番若いのだから、これからも切場を一人で語り通してもらいたい。
嬢景清八嶋日記
人形浄瑠璃として文楽劇場で上演されるのは、平成22年(2010)の錦秋公演以来。素浄瑠璃での上演はその後も聴いているがもっぱら「日向嶋」のみ。よって「花菱屋」は12年ぶりである。その12年前、「花菱屋」の床は今公演で切場「日向嶋」を勤める千歳太夫(三味線は團七師匠)。年月を感じる。
「花菱屋の段」
藤 團七
人形は黒衣で。主遣いの顔が見えないと不安な人が多いだろうけど、物語の始まりはこれでいいんではないかと。藤太夫が軽妙にさりとてくどすぎることなく、程よい塩梅で遊女屋の情景を語ってゆく。花菱屋女房はああいう首(かしら 悪婆)やからと言って、憎たらしさを際立たせるわけでもなく、そこは人形に任せてって感じで好印象。可愛そうな顛末だが、花菱屋長も佐治太夫もエエ人で、糸滝は運がよかった…。旅立ちまでは…。
「日向嶋の段」
切 千歳 富助
切語りとして初めて挑む舞台は、71分間の長丁場。小生なんぞは古い人間なんで「切語りたるもの、一段丸々一人でやってなんぼのもんよ!」と常々思っているが、なかなか体力気力のいるもの。逆に「体、壊さんようにな」と願ってしまう渾身の日向嶋だった。
旧主・平重盛の命日、位牌に合掌する景清の嘆き…。以前にも記したが、地元の法楽寺はこの重盛公の創建。重盛は他の演目にもちょいちょい登場するので、その度に「ちょ、この人、うちの近所のお寺建てはった人!」と周りに言いたくなる衝動をグッと抑えて…(笑)。
「ヤレ、その子は売るまじ。佐治太夫殿、娘やい……」以下の慟哭、叫びが痛く胸に響き渡る。富助さんの三味線も響き渡る。この演目で小生の一番好きなシーン。それだけにグッと前のめりになって聴く。糸滝にこの後、どんな日々が待っているのだろうか…。
人形は何と言っても玉男さんの景清。最後、重盛の位牌を海中に落とす(落ちた?)ことで、景清がひとつけじめをつけたということを教えてくれる。もしかしたら、この父娘は再会するのかな…。佐治太夫の玉志さん、花菱屋女房の文司さんも印象深い。
契情倭荘子
「これ初めてかな?」と、過去の観劇記録をパラパラとめくっていたら、前回の文楽劇場での上演は平成24年(2012)の夏休み公演。この時はスルーしている。平成4年(1992)の夏休み公演で観ているが、記録にあるだけで記憶にはない。小巻を嶋さん、助国を松香さん。貴、呂勢、始が脇を固めている。今いるのは呂勢だけか…。人形は助国を文吾師匠、小巻を一暢師匠だった。
「蝶の道行」
助国 織
小巻 芳穂
亘 聖 薫
藤蔵 團吾 清丈 友之助 錦吾 燕二郎
六挺五枚の華やかな床。小生好みのなかなかよいメンバーを揃えている。人形、助国が玉助、小巻が一輔。奇しくも、小巻は小生が前回観た時と親子での出演になったわけで、時間の経過を感じる。
物語、というほどのもんでもないが、「蝶よ花よ」ともてはやされる季節もやがて地獄の苦しみに変ってゆくというもの。まあ、追い出しの景事としては程よい時間で終わるんだが、なんか少し後味の悪い演目ではあったかな。
■「嬢景清八嶋日記」 日向嶋の段 【平成2(1990)年1月 国立文楽劇場で収録/同年2月12日NHK教育で放送】
竹本住太夫・鶴澤燕三(5代)
景清/吉田玉男(初代)、左治太夫/吉田文雀、糸滝/桐竹紋壽 ほか
在大阪香港永久居民。
頑張らなくていい日々を模索して生きています。