【御朱印男子 19】葛井寺 本尊千手観音像御開帳

アイキャッチ画像:やっぱり見ごろはまだもう少し先の話だったかな…。とにかく花鳥風月には疎いので、いつが見ごろなのかさっぱりわかりませぬ(笑)>


御朱印男子
紫雲山葛井寺 本尊千手観音御開帳

 「藤の花が見ごろになってきましたよ!」「恒例の『藤まつり』4月16日〜24日開催です」などと、何かで見かけたので、「え?藤って5月の花じゃなかった?」との疑問を抱きつつ、ちょうど毎月18日がご本尊の「千手観音像」の御開帳でもあるし、「藤まつり」ってのも気になるしってことで、令和7年(2025)、ご本尊千手観音の開創1300年を迎える葛井寺へ。

自宅最寄り駅から、近鉄南大阪線の普通電車で20分チョイでお寺の最寄り駅・藤井寺に到着。どこの駅で降りても悠久の歴史を感じることができる、これぞ南大阪線沿線住まいの最大のメリット。

以前にも何度か記しているが、ここは通っていた高校に近い所であり、かつては駅前の藤井寺球場へもしょっちゅう来ていたので、葛井寺にも何度も訪れている。なのに「藤まつり」なんてのはまったく気に留めていなかった…。いかに花鳥風月に疎いかがよくわかるってもんだ(笑)。でも、もういい大人なんで、「藤まつり」とやらも1回くらいは行っておこうってことで、ご本尊の千手観音御開帳の御朱印をいただきに。

なるほど、よう咲いてます。「5月の花ちゃうの?」なんて思い込んでいた自分が恥ずかしいです(笑)

【御朱印File 20】聖武天皇勅願寺 紫雲山葛井寺

さて、毎月18日のご本尊の御開帳。言うまでもなく、葛井寺のご本尊は千手観音。国宝である。ひょいっと電車で20分、毎月18日にこの国宝「千手観音坐像」を見せていただけるのだから、なんとも太っ腹なお寺さんである。500円の拝観料など安いもんだ(笑)。葛井寺の公式サイトによれば、

文字通り“千の手”と“千の目”を持つ千手観音様です。頭上に十一面をいただき、錫杖や宝輪、数珠などをもつ「大手」に、孔雀のように拡がる1001本の「小手」、そして正面の合掌手を合わせ「1041本」の手を持ちます。 さらに、掌にはそれぞれ眼が描かれております。日本では、千手観音は四十二手とされるのが一般的で、実際に千手をあらわすのは我国では唯一と言える遺例のひとつです。 端正な顔つきに、のびやかな肢体、そして千手という超人的な姿を自然な調和をもってあらわした像容は天平彫刻の粋を集めた観音像です。<引用:葛井寺公式サイト

ということだが、小生もこれまで色んなお寺で千手観音像を拝してきたが、ここまで見事に「千の手を持つ」観音像に出会ったことはない。現存最古の千手観音像にして大阪府下唯一の天平仏である。上の解説文の通り、普通は「四十二手」なのだが、ここの千手観音さんは千四十一手。正式には「十一面千手千眼観音菩薩」と言い、まさに名は体を表すというお姿に圧倒される。当然ながら撮影禁止なので、お姿を拝みたい人は、上記公式サイトのトップページをお参りすると、お姿を拝むことができるので、ぜひご仏縁を結んでいただきたい。

重文「四脚門」から境内に入ると、さっそく藤棚があり、その向こうに千手観音さんのおはします本堂

高校時代、よくこの近辺の友人宅へ遊びに行ったり、バイトや野球観戦の帰りにうろうろしていたころは、「商店街側の通用門」程度にしか思ってなかった、実は重要文化財の「四脚門」をくぐり、境内に足を踏み入れると藤棚があって、多くの参拝者が、さっそくスマホで写真を撮っている。この日は平日、それも月曜日だというのに、なんという人の多さ!皆さん、お暇なんですね(笑)。「そういうお前もな!」と言われるかもしれないが、残念ですね~、小生はお休みだったのよ(笑)。御開帳の日に休みとは、やっぱり縁を感じますな…。

藤棚は境内のあちこちにあり、この藤棚の向こうには南大門。よく見れば、きれいに朱が塗り替えられている。兵乱や地震で度々失われたため、現在のものは寛政2年(1790)に手斧初め(ちょうなはじめ)、約10年がかりで建てられた。この南大門、朱が剥げてボロボロだったんだわな、かつては。「なんとかしはったらええのに」とその度に思っていたんだが、「令和の大改修事業」の一環として、建立以来初めての耐震補強、約50年ぶりの朱塗り替えが行われた。いや~、やっぱり塗り替えした朱はきれいやな。世界遺産「百舌鳥・古市古墳群」の玄関口の一つ。きれいなのはいいことだ。

こういう藤の花もあるのね

藤と一言に言っても、いろんな種類があって、一般的に知られる藤以外の藤棚もここにはある。盛りを過ぎたのか、はたまたこれからなのかよくわからんかったが、「白藤」というのもここにはあって、どういうものなのか見てみたいが、白いだけなんでしょ?と、つれないことを言う小生ではあるが(笑)、上に載せた写真のような穂が短いのもあるんやな~と、この日知る。

桜の季節は過ぎ去ったけど、まだ八重桜が頑張っていて、幸運なことに八重桜と藤のコラボを見ることができた。背後の足場は享保16年(1731)の建立とされる阿弥陀二十五菩薩堂の解体修復工事現場。これに伴い、二十七体の仏像は寺内の工房へ移し、屋根・壁・柱は全て解体され、耐震性を強化し、今後の指定文化財としての価値を高めて新たに納骨堂を備えた御堂に生まれ変わるという。二十七体の仏像はかつて拝観したことがある。下記をご参照の程を。

《御朱印》

 

【墨書】
・右上 奉拝
・右下 令和四年四月十八日
・中央 蓮華王 *千手観音を指す
・左下 葛井寺

【朱印】
・右上 日本最古千手観音菩薩
・中央 千手観音の手をあしらった宝珠 中に千手観音の梵字「キリーク」
・左下 西国五番札所 葛井寺 *葛井寺の上の文字が見えない…

こちらも生存確認。ただ、見るたびにイニングの数字やラインが薄くなっている。とは言え、こういうのは修復せず朽ちて行くに任せておくのがいいだろう。仏像や堂宇とは違う。やがて、支柱も錆が回ってしまい、折れてしまう日が来るだろう。それでも何らかの形で保存するかしないかは、葛井寺さんの判断に任せるしかない。勝手な希望を言えば、藤井寺市民、古くからのパ・リーグファンの「集団の記憶」として、朽ち果てた後も、記録にだけは残しておいていただければ…。葛井寺さん、よろしぃ頼んます!

<ところ>大阪府藤井寺市1-16-21 <あし>近鉄南大阪線藤井寺駅から徒歩5分

(令和4年4月18日 参拝)


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-仕様-
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【ページ構成】聖観世音菩薩、33寺、番外3寺、予備20ページ分
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