陳浩源在殘奧會輪椅羽毛球男單取得銅牌
羽毛球SH6級男單,朱文佳為港隊增添一面銀牌
9月25日、東京パラリンピックが閉幕した。最終日の香港隊は、バドミントン男子シングルスWH2(車いす)で、陳浩源が3位決定戦に出場し、韓国の金京勳(キム・ギョンフン)を破り、銅メダルを獲得。男子シングルスSH6(立位・低身長) 決勝では、朱文佳がインドのナガル・クリシュナに敗れるも、堂々の銀メダルに。今大会の最後にメダル二つを新競技のバドミントンで獲得し、有終の美を飾った。
今大会は、香港では初めてパラリンピックがテレビ生中継された記念すべき大会となった。
WH2(車いす)で銅メダルを獲得した陳浩源は会見でまず、「朝8時に起きて私の試合を観ていただいた香港市民の皆さんに感謝します」と述べ、休日に早起きしてテレビの前で応援してくれた香港市民に感謝した。ワールドカップ、アジアパラゲームなどで戦ってきた歴戦のつわものも、バドミントンが正式競技となった今大会は、予想以上のプレッシャーがあったと言い、「選手村に入ってからプレッシャーはさらに大きくなった」と振り返る。また、COVID-19禍に大病を患った母親のことに話が及ぶと、13年前に交通事故で左足を失ってからの母親の献身に、思わず涙があふれる。
1996年のアトランタ大会以降、金メダル獲得を続けた香港を代表する障碍者陸上選手、蘇樺偉の母子の物語を描いた、香港で大ヒット中の映画『媽媽的神奇小子』になぞらえたのかどうかは知らないが、「自分は神奇(マジカル)な子じゃないです。母こそ神奇(マジカル)です!」と母を称えた。彼は3年後のパリ大会を目指すこと決意した。
男子シングルスSH6(立位・低身長)で惜しくも世界ランク2位、インドのナガル・クリシュナに敗れるも、銀メダルに輝いた朱文佳だが、新たに競技に採用されたバドミントンで、陳浩源とともに香港のバドミントンの歴史に「最初のメダリスト」としてその名を刻んだ。
SH6(立位・低身長)には6名がエントリーされ、2グループで総当たりの後、各組上位2名が準決勝に進出。朱文家はグループステージで1勝1敗で準決勝に進出。前日にはブラジルのビトルゴンサウベス・タバレスを2-1で破っての決勝戦だった。
現在30歳の朱文家は身長141センチ。劣性遺伝に起因する小人症である。中2の時、友人にバドミントンに誘われたのがきっかけでプレーを始める。運動能力の高さが注目され、目を引くパフォーマンスでたちまち各大会で活躍するようになる。2018年、ジャカルタでのアジアパラゲームでは、男子シングルスの金メダリストに。
今大会、結局、表彰台の真ん中に立つことはできなかったものの、バドミントンが初めてパラリンピック競技になり、朱文家が香港チーム史上初の銀メダルを獲得したことについて、 「支えてくれたコーチ、家族、スポーツアカデミー、教会の友人たちに感謝します」と語った。パラリンピックが香港で初めてテレビ生中継されたことで、障碍者アスリートへの注目度が一気にアップしたことにも触れ、「フィールドでのパフォーマンスはわずかな時間だが、その裏には目に見えない血と汗や怪我が無数にある。メダルの有無に関係なく、常にすべてのアスリートをサポートし続けてほしい」と継続的なサポートを訴えた。「5年前にテレビでオリンピックを見たとき、普通の人間だった私がパラリンピックの舞台に立てるなどとは思ってもいなかったが、こうしてメダルを獲得することができる。人生は驚きに満ちている。チャンスをつかむことができる」とも語った。
今夜の閉会式は、他の選手団はすべて帰港の途についているため、参加はバドミントンの二人のみとなったが、朱文家が堂々の旗手を務めた。
今大会、香港隊は銀2、銅3と5つのメダルを獲得し、メダル獲得順位は68位。1988年大会以来、金メダルがゼロに終わったが、「没有不可能!(不可能なんてない!)」の精神で、堂々と世界と渡り合った香港隊は、素晴らしかった。3年後のパリでの活躍も大いに期待したいし、きっとできると思う。
3年後に向けて、
繼續努力,没有不可能!
元バド部なんで、今回は熱が入っちゃった(笑)。
在大阪香港永久居民。
頑張らなくていい日々を模索して生きています。