人形浄瑠璃文楽
令和2年錦秋文楽公演 <2>
久しぶりに見物できた文楽は「あーっだた、こーだった」ってのを、ほんの少しだけ。
第一部『源平布引滝』
「矢橋の段」 亘、錦吾
簾内なのに人形は出遣いというアンバランス。なんでこんなことになるのか? と、偉そうに言ってはいるが、初日の10か月ぶりの公演の待ちに待った瞬間を、寝坊した上に向かう途中で激しい便意を催したために、大遅刻(笑)。ま、なんとか千秋楽にもう1回見ること叶ったが…。簾内とは言え、亘も錦吾も存在感を十分に感じさせた。だからこそ、人形も頭巾かぶってやってもらいたかった。
「竹生島遊覧の段」
実盛:津國 小まん:南都 左衛門:文字栄 忠太:碩 宗盛:小住(公演前半) / 咲寿(同後半)
團吾
太夫陣はそれぞれが持ち味を出す。ベテランはベテランらしく、若手は若手らしく、若手から脱皮の時期の者も段階を感じさせるも、そこまで止まり。これを團吾が一人で引っ張るんだから、大変だ。後の展開の伏線となる段だけに、もう一段階高いものが聴きたい。
「九郎助住家の段」
中:咲寿(公演前半) / 小住(同後半)、友之助(公演前半) / 寛太郎(同後半)
ここは好みの問題だが、前段とここを同じ太夫でダブルキャストにする意味は?とまず聞きたい。その上で、竹生島は小住、ここは咲寿というのが、小生的にはしっくりきた。三味線も友之助で通せばいいのに。咲寿、小住は今後もこういう感じで競わせていくんだろう。
次:靖、錦糸
錦糸は安心と安定の音色だが、どうも靖が落ち着かないというか、悩んでる感がビシビシ伝わってよろしくない。一番期待の大きい太夫だけに、突破口を見出してほしい。瀬尾の大笑いも血管浮き立たせて頑張っていたが、客席が満員だったとして、はて、拍手喝さいとなったのかどうか…。
前:呂、清介
好きな段。そして人気の段。呂さんが出てきただけで、やはり空気が完全に変わる。「値打のある段」。欲を言えば、前、後に分けず「切」として一人の太夫でやってほしいところだが…。「実盛物語の段」としてやる時は、切場として一人で1時間近くやるよな…。呂さんは英時代に源太夫師の代演でそれやってる。ま、そこは三部制、さらには太夫陣の陣容なんぞもあって簡単にはいかないところだろうね。
後:錣、宗助
いわゆる瀬尾の「もどり」を錣はんが豪胆かつ哀感を醸し出す語り。宗助はんの三味線もよく聴かせてくれる。実は瀬尾の孫だった倅太郎吉が、やたらと勇ましいのがより哀感を誘い、小生は毎回ウルウルしてしまうのだが、錣はんではちょっとそこはしんどかったかな…。
人形は相も変わらず布陣が揃っていて、しっかりと見せてくれるが、印象に残るのは、実盛の玉男はん、瀬尾の玉也はん、倅太郎吉の勘次郎くん。特に馬にまたがる実盛はカッコよくて「加賀国にて見参見参」なんぞは、「キャー!かっけーーー!」ってとこだが、とにかく客は黙って見物することって言われてるから、その分、どなたさんも必死のパッチで拍手を送るという次第。
ロビーには悲しき掲示物も…。今公演、「ここは嶋さんで聴きたかったなぁ」という場面がいくつもあった。
第二部『新版歌祭文』
物語の以降の展開を暗示する祭文売りの門付が、「お夏清十郎」の一節を聞いた久作がおみつのためにと一冊の本を購入。まあ、昔の人はこれだけでワサワサとしたんだろうけど、今はねぇ…。睦の語りも「ワサワサ」の導入としては、色々と弱い。そこを勝平がリード。
前:呂勢、清治
こちらも「待ってました!」の呂勢太夫。長い病気休演のまま、文楽公演自体が休演となってしまって、ようやく復活の日。まったく輝きを失うことなく戻ってきてくれた。もうそれだけで十分です、アナタ! とりわけ、聴きどころの「おそめのクドキ」はじわじわと来るもので、もっと新聞なんぞの劇評で取り上げられるべきものだったと感じた。もちろん、清治師匠の三味線がその切なる思いをさらに際立たせたのは、言うまでもない。
切:咲、燕三 ツレ 燕二郎
もうここは、咲さんに抱かれるようにしておればそれで良し、というところ。今回、平成21年以来の、おみつの母の登場ということだが…。はて?そうだった?このおっかさん、今まで姿無かったっけ?で、ここはこのおっかさんの「クドキ」が良いのだけど、多分、これは賛否が分かれるだろうな。小生はこのおっかさんが姿を現して、切々と心情を語る場面に胸打たれた。盲目で、今起きていることの多くが見えていないが故の切なさに哀感漂う。ツレ弾きで燕二郎が出てきて、お勝を遣うは蓑助師匠で、一気に曲調がパッと明るくなり、それだけで舞台も華やいだ雰囲気になるが、ここの場面での咲さんはちょいとしんどいと感じた。
二回目の見物となった11月19日。この日は二部と三部を見物したんだが、なんと二部の幕開き前に、幕開き三番叟が出てきてびっくらこいた。「何なん、これ?」ってところだわな。この日、確か一部が貸し切りだったんでそうなったのかな?だれか教えて!どっちゃにせえ、レアな体験。なかなか出くわさんよ、こういうの。ちょっと得した気分。
第二部『釣女』
太郎冠者:藤 大名:芳穂 美女:希 醜女:三輪
團七、清馗、清公、清允
いや、面白いんですわ。実に。ただ、すでに「醜女」が完全に市民権を得て(って言い方は問題あるかもしれないけど、あえて)久しい現代においては、以前ほど笑いの訴求力はないかな。床もこの面々なら、もっと他のものを聴かせてほしかったなぁ。すごく勿体ない気がした。
第三部『本朝廿四孝』
このところ『本朝廿四孝』と言えば、「十種香」「奥庭」のみの上演が定番になっているが、こういう時代物は初っ端、すなわち「大序」からやってもらわないと、やっぱりわけわからん。
今回は久々に「十種香」「奥庭」以外の段も上演されるとは言え、「道行」が入って、これ、本当に一見さんや初心者を惑わすだけだと思うんだが、いかがなもんでしょうかね。「そのために番付にあらすじを書いてるんじゃないか!」という声もあるかと思うが、そんなん見てませんて、上演中は。「道行」「景勝上使」「鉄砲渡し」は15年ぶりの上演ということだが、ただそのためだけって感じ。
「道行似合の女夫丸」 濡衣:睦 勝頼:靖 亘 碩
清友、友之助、錦吾、燕二郎、清方
特になし! 靖をここで使うか?ちゅーねん!
「景勝上使の段」 希、清丈
太夫も三味線もしっかり聴かせる良い段。まだまだ当たりはずれの多い希だが、今回は「当たり」。となれば、もう一つ上のところで聴かせてほしくなる。そこで「当たり」なら、ますます楽しみが増えるんだが…。
「鉄砲渡しの段」 芳穂、清志郎
短い段ながら、ここも太夫、三味線ともによく聴かせてくれた。こうあれば、「十種香」「奥庭」への準備は万端という気持ちなるのだから、やっぱり太夫如何であるな、文楽は。
「十種香の段」 千歳、富助
貫禄の千歳太夫の心憎いまでの語り。それに寄り添う富助の太棹の音色。そこに勘十郎の八重垣姫。それだけに「15年ぶりの…」という前の三段が果たして必要だったのかという思いが一層強まる。ここと次の「奥庭」で充分満足できるのだから、他の演目を入れてほしかった。なにせ客席は重度の「文楽渇望症」の人たちが詰めかけているんだから。
「奥庭狐火の段」 織、藤蔵 ツレ 寛太郎 琴 清公
ホント素晴らしいフィナーレ。もちろん、拍手はいつまでも鳴りやまず。小生も舞台の素晴らしいさと万雷の拍手に、思わずウルウルしてしまう。勘十郎十八番とも言うべき狐のケレンは何度観ても感心するんだが、久々の文楽劇場での本公演、それも初日ということもあって、余計に胸に来るものがあった。
毎回思うが、左も足も大変やなと。今回、左がちょっと四苦八苦してたかな?まあ、それも2回目観た時にはほとんど気にならんかったけどね。
舞台を走り回る若い狐たちもよかった。番付上では「大ぜい」にすら名前出ないけど、頭巾脱いでの出番だから、誰と誰ってのもよくわかる。小生の「推し」がずらり(笑)。その顔ぶれは、まさにこれからの人たち。これぞ晴れ舞台。ほんと、ようこれを追い出しに持ってきてくれたなと。ここ、「釣女」やったら印象は全然違うわな。
人形ばかり褒めてるけど、床もよかったで。織さんに藤蔵という、子供の時から文楽やってる二人。まあ、染みついてるわな、文楽が。いやもうホンマ頼もしい。ただ、床はこういう人があと5人くらいは少なくともいてほしいなぁ…。
とまあ、「終わりよければすべてよし」みたいな、久々の文楽劇場でありました!
(令和2年10月31日、11月19日、11月23日 日本橋国立文楽劇場)
在大阪香港永久居民。
頑張らなくていい日々を模索して生きています。