人形浄瑠璃文楽
平成31年初春文楽公演 第一部<幕見>、第二部
禿(かむろ)から 目にもろもろの 罪を見て 誹風柳多留
禿と書いて、ハゲと読みたくなるのはわかるが、文楽や歌舞伎で、これを「ハゲ」と読むのは、小生、今まで出くわしたことがない(笑)。十中八九、「かむろ」だ。禿について、「知らん」という可哀想な方は、どうぞご自分でお調べください。それくらいできるでしょ、自分で。
さて、前回、寝坊してその禿が二人で舞う『二人禿』を見逃した上に、『先代萩』の「竹の間の段」も1/3ほどしか観られなかったので、今回は『二人禿』と『先代萩』を幕見で見物した。『壺坂』は結構な頻度でかかるので、今回はパスした。何と言っても、お目当ての靖太夫が休演してしまったのが大きい。インフルエンザでも患ったのか? 何にせよ、ご快癒を祈る。
『二人禿』
に関して言うと、「別に観なくてもよかったな」というのが正直な感想。床は掛け合いで賑々しくやっていたが、人形がなんだかそれぞれが勝手にやっているという印象。力量のある二人なのに、何も伝わってこなかった。これを観て、見物衆は「ああ、正月からエエもん見せてもろた」とか思うのかな? もう、毎年、三番叟でええんちゃうん? なんて思うけど…。あかんのか?
『伽羅先代萩』
は、やっぱり前回感じた「ワサワサ感」は、小生が寝坊したことと、前の人の頭が邪魔で舞台に集中できなかったことが、もたらしたものなんだということを、しっかりと確認した。
織さんは、「竹の間」でも師匠の代演の「政岡忠義」でも、しっかりと聴かせてくれたし、「政岡忠義」の「でかしゃった」では、わーっと拍手が起きてハンカチで目をぬぐう人もいたから、客席の隅々まで届けることができたんやなと。小生なんぞは、ぐわんぐわん泣いてた(笑)。一方、「飯(まま)炊き」の千歳はん、小生はゆったりと眠らせていただいた。だからやっぱ、この段の前に昼飯タイム入れたのは失敗やな、劇場の。これもしっかりと確認できた。あの満腹感の中で「飯炊き」を語らねばならない千歳はんが気の毒でならない。
上述の通り、『壺坂』はパスしたので、近くで本を読みながらコーヒー飲んで、第二部まで時間をつぶす。そして再び、文楽劇場へ。
冥途の飛脚
■初演:正徳元年(1711)7月以前 大坂竹本座(推定)
■作者:近松門左衛門
いわゆる「梅川・忠兵衛もの」はいくつもあるが、やはり近松のこのオリジナルが一番素晴らしい。歌舞伎では、「封印切」として独立して上演されることが多いが、その場合は改作ものであって、八右衛門を悪く描くことで忠兵衛が封印切に至るストーリーを明確にさせようとするが、オリジナルの八右衛門は、確かに忠兵衛を悪しざまに言うが、実は忠兵衛を思ってのことで、これはもうかなりのイイ奴。それがゆえに余計に忠兵衛のダメぶりが際立つ。こういうのを比較して見物するのは、実におもしろい。
「淡路町の段」
口:希、團吾
三味線はいいが、太夫が平淡。ま、平淡でも支障の無い場ではあるとは思うけど。とりあえずは、ここがどういう場面なのかを伝えるという、最低限の役目は果たしていたかな。
奥:文字久、藤蔵
お気づきの方も多いと思うが、4月公演を機に、文字久はんは「豊竹藤太夫」に改名する。これまで、藤太夫という名跡に見覚えも聞き覚えもないから、まずはネット漁っていたら、結局、文字久はんのHPにたどり着いた(笑)。そこには、
この度、平成31年4月文楽大阪公演より、竹本文字久太夫改め、「豊竹藤太夫」(とよたけとうだゆう)と改名させて頂く事と相成りました。
江戸時代に三代豊竹巴太夫の門人として豊竹藤太夫の名がありますが、読みが、とよたけふじたゆう、の可能性が高く不明のため、「初代」とさせて頂きます。
紋は梅鉢紋でございます。
ちなみに藤太夫の名は、室町以前よりつづく私の母方の先祖の名で、伊勢神宮別宮滝原宮の本陣を務め後の紀州徳川家家老の北主計道善(きたかずえのかみみちよし)の北 藤太夫(きた とうだゆう)の名に由来致します。
とあった。ということは、今回が大阪での「文字久太夫」の聴き納めということになる。しかし、ここでこういう改名をするんや…と、思わないこともないが。まあ、そこは心機一転、頑張っていこうという決意の表れということで、初代・豊竹藤太夫を応援してゆきたい。ちなみに、襲名ではなく改名なので、口上幕はない。
さて、その文字久はん、ここ数公演で感じるのは、いい意味での「ぬけ感」。何と言うのか、「重しが取れたような」語りを聴かせていると感じる。その「重し」の正体については、ご想像に任せるとして(笑)、とにかく最近の文字久はんは、聴き易いし、心地がいいのだ。特に、いわゆる「羽織落とし」での忠兵衛の逡巡(実は、逡巡するフリをすることで、「逡巡したよ」という「事実」を自分で確認しておくための、自分自身に向けたパフォーマンス)から、
一度は思案二度は無思案、三度飛脚。戻れば合はせて六道の冥途の飛脚と
というクライマックスへの展開が、『冥途の飛脚』という題名と忠兵衛の行く末を見物側に想起させる、説得力を感じた。改名が大きな飛躍の契機となるのでは? と予感させる流れを聴かせた。
「封印切の段」
呂、清介
「切場語りがもう一人でもおったらなぁ」と思わずにおれない、封印切だった。呂さんも悪いことはないんだが、なんか一味、いや二味ほど物足らない。特に、八右衛門の描き方で言えば、前段の文字久はんに軍配が上がるのではないか。きっと嶋さんなら、こうやってたやろな、と思う場面がいくつもあった。
そこを補って余りあったのが、梅川を遣った清十郎はん。この人の遣う人形には、いつも気品が漂うし、なんかエエ匂いがしてきそうな錯覚を覚える。いま、弟子が一人いるようだが、いい師匠につくことができたもんだ。羨ましい。別に人形遣いになろうと思ったことはないけど(笑)。
他の人形陣では、八右衛門の玉輝はんがよかった。もっとも、陀羅助のかしらが八右衛門にぴったりだったと言った方がよいか。で、肝心要の忠兵衛の玉男はんだが、もうちょっと「濡れ感」があってもよかったのかなと思う。時代物の主役を大きく遣う時は、実にカッコいいのだが、どうも世話物となると…。ここは劇場側もキャスティングで思案のしどころかな。
第二部は、ご予算の都合で(笑)、久方ぶりに二等席から見物。負け惜しみではないが、全体が見渡せて、人形も良く見える。が、やっぱり床の近くで太夫の息遣いや三味線の糸のきしむ音なんぞを聴きたいってもんだ。文楽は「聴く」ものなんやから。<観ることに徹してた人間が、どの口で言う(笑)。
壇浦兜軍記
「阿古屋琴責の段」
阿古屋:津駒 重忠:織 岩長:津國 榛沢:小住 水奴:碩
清介 ツレ清志郎 三曲寛太郎
食満南北は著書の『大阪藝談』で次のように述べている。は?食満南北を知らないとな?どうやら、アナタと小生はお友達になれそうにはありまへんなあ。残念なこって(笑)。
ちやんと上下をつけての
「出つかひ」
といふものは、忠臣蔵の八段目、妹背の道行、千本のよし野山位の程度にとめて、いやしくも泣いたり笑つたりする場面は一切黒衣でやつてもらひたいと思ふ。 食満南北著『大阪藝談』(和泉書院)より引用
と述べているが、大いに賛同するところだ。ただ、南北センセ、今回の「阿古屋琴責」の三人出遣いについては、どういうご見解なんやろ。聞きたいが、当の昔にあの世へ行ってしまってる人なんで、どうしようもない。
ところで今回の阿古屋は、勘十郎に左が一輔、足が勘次郎という顔ぶれである。まあしかし、一輔の立ち姿のなんとシュッとしたことよ! この姿勢の美しさもまた、人形遣いを見る魅力のひとつだと、小生は思うのだが、見物の視線はひたすら勘十郎はんに集中する。だから、出遣いは…。ねぇ。
加えて、勘次郎くんだが、以前、Twitterで三人出遣いについて質問したところ、丁寧に答えてくれた最後に「いつか三人出遣いで使ってもらえるようになりたいです」と言ってたのだが、今や、人気の阿古屋で足遣いを立派にこなしている。なんかもう感動するわ。
三曲は寛太郎の独壇場。琴、三味線、胡弓を奏でるわけだが、とりわけ胡弓が圧巻だった。しかし、器用やね、寛太郎は。その胡弓、「いつもより、たっぷり鳴らしてます!」って感じがしたが、なんか特別ヴァージョンやったの? めっちゃ聴きごたえがあったけど。
阿古屋と言えば、玉三郎の代名詞みたいに言われるけど、文楽の阿古屋も絶対に見てもらいたいなあと思う。そりゃもうアナタ、一輔の美しい立ち姿見るだけでも価値あり…って、そことちゃうちゃう(笑)。
そう言えば、今回の番付には、珍しくカラー見開きで「女方の衣装」という特集記事が載っていた。今公演の三人の女主人公、政岡(先代萩)、阿古屋(琴責)、梅川(冥途の飛脚)の衣装を解説したものだが、こういうのはどんどんやってほしい。古本屋店主と女子大生の文楽談義みたいなのも、今回が最終回だったわけだし、次回からは4ページで!(笑)。事のついでに言っておくと、文楽は「女方」、歌舞伎は「女形」と書くことが多いね。こういう発見というか、気づきもおもしろいやおまへんか。
■☆■
「アナタの文楽ブログは、ディスってばかりですな」なんて言うお方がいるが、決してディスっているんじゃなく、愛あればこその辛口評というものだ。ディスるってのは、かつての「何某の市長」みたいなことを指すのであって、同じにしてもらっちゃ困る。ま、ごくたまにディスってることもあるけどな(笑)。
次の4月公演は、なぜか桜満開の季節に『仮名手本忠臣蔵』である。それも、4月、夏休み、11月の3公演に分けて上演するという。こりゃアカンでしょ。古典芸能ですよ、伝承芸能ですよ、何考えてんねん? ってところだ。まあ、こう言いながらも観に行くわけやけどな(笑)。
それと、2階に再オープンしたお弁当売場だが、今回初めて利用した。味は普通に劇場の弁当。お値段はそれなり。賞味期限とかのスッテーカー見たら、よく見るお店の名前があった。「ああ、やっぱりあそこが乗り出してきたわけか」ってところ。
それともうひとつ「お?」っと思ったのが、今年は研修生の修了舞台が無いってこと。たった一人の研修生発表会から一年。あのときの太夫志願者は…。さらに次期研修生募集は、太夫と三味線。人形遣いは人数多いから当分ええわってこと? いやいや、人数は多いに越したことはない。同じように募集せなあかんと思うけどな…。
(平成31年1月19日 日本橋国立文楽劇場)
在大阪香港永久居民。
頑張らなくていい日々を模索して生きています。