人形浄瑠璃文楽
平成三十年初春公演
八代目竹本綱太夫 五十回忌追善
豊竹咲甫太夫改め 六代目竹本織太夫 襲名披露
六代目織太夫襲名で、新春の文楽劇場は大いににぎわい、何より。織太夫という名跡復活への期待と、何よりも師匠・咲太夫と織太夫の人気や人柄が、これだけの人を劇場へ引き寄せたのだと思う。
小生もまた、この二人はお気に入りで、織太夫について言えば、それこそまだあどけなさを残すころから見てきたのだから、ちょっと歳の離れた弟が晴れの舞台を勤めるのを観ているような気分であった。
そう言いながら、今年もまた色々と重箱の隅をつつくような話をここで展開してゆくわけで、まあ、しばしお付き合いのほどをお願い申し上げまする。
『花競四季寿』(はなくらべしきのことぶき)
「万才」「鷺娘」
新春を寿ぎ、追善と襲名に花を添えるって感じでこの演目なんだろう。そういう意味では恐らくはピッタリだと思う。内容が良ければさらに良しってところだが…。
睦、津國、咲寿、小住、文字栄 / 清友、喜一朗、清丈、錦吾、燕二郎
すでに、咲寿や小住が引っ張っているという印象。人形が印象に残らず。特に鷺娘は「角張った」感強かった。ってわけで、二度目はなく今回のみの見物。
『平家女護島』(へいけにょごのしま)
◆初演:享保4年(1719)、大坂竹本座
◆作者:近松門左衛門
*「鬼界が島の段」は二段目。豊竹山城少掾が古靱太夫時代の昭和5年(1930)正月、四ツ橋文楽座落成記念興行で約40年ぶりに上演される
「鬼界が島の段」
呂 / 清介
初めて観た人にも筋はわかりやすい。そんな人たちが恐らく「物足りなさ」を感じたであろう呂太夫だが、なかなかどうして、聴きごたえがあった。人形にもうひとつ心動かされるものを感じなかったから、その分、浄瑠璃に集中できたってのもあるかも。そういう意味では、床に助けれた、床の力でなんとか乗り切ったって幕だったかもしれない。
玉男はんの俊寛は決して悪いものではなかったが、やはり先代のそれを観て、いたく感動した世代なので、いつまでも残像をひきずってしまうからねぇ…。
この話でちょいちょい名前が出てくる「小松殿」は、平清盛の嫡男重盛のことで、ウチの近所の法楽寺を創建したと伝えられる人。この作品のみならず、時代物ではよく名前が出てくる。法楽寺を創建した背景は、「源平の戦乱で戦死した平家と源氏の霊を怨親平等に弔うため」というから、俊寛への計らいもアリだなと思った次第。
しかし、この演目をこの公演でかける必然性がまったく感じられない。時間調整なの?
八代目竹本綱太夫 五十回忌追善
豊竹咲甫太夫改め 六代目竹本織太夫 襲名披露 口上
咲太夫、咲甫太夫改め六代目織太夫。一門や三業幹部が並ぶのかと思いきや、師弟二人だけの口上幕。とても感じがいい。にしても、ど真ん中で満面の笑みで二人を見守る八代目綱太夫の存在感ったらもう、こんな素敵な笑顔は見たことない!ってくらいの、親子の情愛、死してなお連綿と受け継がれる師弟愛を感じさせるものだった。
追善/襲名披露 狂言
『摂州合邦辻』(せっしゅうがっぽうがつじ)
◆初演:安永2年(1773)2月、大坂北堀江市の側芝居・豊竹此之吉座
◆作者:菅専助、若竹笛躬
「合邦住家の段」
そして記念の舞台はおなじみ「合邦」で。二代目綱太夫が今の形の本を作ってから『綱太夫場』と言われている演目だけに、咲、織はもちろん、中を勤める南都も含め、一門が渾身のリレーでつなぐ。
中)南都 / 清馗
一門筆頭弟子と織太夫実弟のコンビで珍しい組み合わせが実現。両者とも掛け合いで出ることを見慣れているから新鮮、かつ興味津津。数年前、『仮名手本忠臣蔵』で南都が「恋歌の段」を語ったとき「ちょっとええやんか」と、認識を改めたのだが、今回でまたその思いが蘇る。ちゃんと物語の始まり(実際の始まりということなら「万代池の段」からやってほしいのが正直なところだが…)を形成しており、先の展開に期待を抱かせる語りだった。こういう人は年がら年中「掛け合い専科」ではもったいない。ニンを見極める必要もあるだろうけど、単独で語る床をもっと設定すべきではないかと思う。
切)咲 / 清治
「追善」の切場は、咲・清治という現在の文楽では最強のゴールデンコンビが実現。小生が前回「合邦」を見物したのは、13年前の夏休み公演にまでさかのぼる。床のリレーは、中を呂勢・清志郎、切を九代目綱(後の源)・清二郎(現・藤蔵)、さらに切で十九・富助だった。歳月の流れを感じる。
現在の咲さんに、かつて清治師匠と花形コンビを組んでいたころの語りを期待しては、いささか酷かもしれないが、その分、清治師匠がふわっと包み込むような三味線で、咲さんの語りを際立たせていたかのようだったのが、印象深い。これもやはり歳月の流れだろう。超高度なレベルで成熟した二人の床が、時間の経過を惜しませてくれた。まさに「切場」にふさわしい珠玉のひとときを提供してくれた。
後)織 / 燕三
「襲名」、三味線には通常は師匠・咲さんの相方を勤める燕三で聴かせる。「私は死に物狂いで一生懸命にやるだけです」と、公演前の各メディアのインタビューで語った織だが、死に物狂いだったかどうかはさておき、襲名の責任感やこの段を語れる喜びなんかは、ひしひしと伝わってきて、物語の展開も非常におもしろく聴くことができた。これで十分じゃないだろうか。
人形チームもよかった。勘十郎の玉手御前vs蓑二郎の浅香姫のバトルも面白かった。「うぉ!玉手御前、サッカーボールキックかえ?天龍みたいやん」な激情的な動きから、果たして玉手御前は大落としで俊徳丸に毒を盛った真相を明かすのだけど、いやいやホンマのホンマは浅香姫に凄まじい嫉妬を抱いてやろ? みたいな思いが頭の中をグルグルと。これは浄瑠璃を聴くだけでは、やっぱりそこまで凡人には頭が回らない。人形あってのグルグル。三位一体の人形浄瑠璃の面白さだろう。そして俊徳丸の一輔は、相変わらず立ち姿が美しい…。
ちなみに、物語の舞台となる合邦辻も、合邦同心が建立を計画していた閻魔堂も現存している。もっとも閻魔堂は、江戸時代とは場所がちょっとずれているが。閻魔堂のお住さんは、実によく説明してくれはるお人で、以前、小生が参拝してご朱印をいただいたときも、お昼の時分どきにもかかわらず、「合邦」についてあれこれ説明してくれた。
現在の閻魔堂。天王寺さんの石の鳥居から西へ逢坂を下った、恵美須町交差点の手前。松屋町筋と逢坂の交差点が、まさしく合邦辻。
玉手姫を偲ぶ碑もある。経緯はどうあれ、俊徳丸の病気が快癒したってことで、当病平癒の御利益、特に首から上の病気(咳、頭痛・脳病)や学業などの霊験あらたか ということで、小さな堂ながら参拝者が多い。かく言う小生も、脳に同居人がいるもんだから、お札を授かって来た。一緒に白雪羹(はくせんこう)も授かったたので、おいしくいただいた。
あ、近鉄の俊徳道もこの俊徳丸に由来。
というわけで、第1部は、『花競四季寿』と「俊寛」は5日目の1回のみ見物。「合邦」は5日目の見物に加え、終盤に幕見。
第2部のあれこれは、この次に。
在大阪香港永久居民。
頑張らなくていい日々を模索して生きています。