歌舞伎
大阪松竹座新築改装二十周年記念 七月大歌舞伎
再春菘種蒔(またくるはるすずなのたねまき)
舌出三番叟
重厚な物語の前に、まずは軽妙な舞踊で。こちらも、大阪では昭和58年6月の中座以来の上演。このときの出演が、三番叟が八十助(後の三津五郎)、千歳が芝雀(現・雀右衛門)であった。今回は三番叟に鴈治郎、千歳に壱太郎の親子共演である。鴈治郎の味わい深さは言うまでもないが、壱太郎の奮闘が今公演全体で目立っていた。
「夏祭~」の琴浦、「三五大切」の菊野、そしてこの千歳、いずれも初役だという。上方の未来を担う女方として、彼への期待は見るたびに膨らんでいく。ブログを時折拝見するが、上方歌舞伎への深い愛情と、上方の仲間へのリスペクトぶりは頼もしい限りである。
そしてまた今回も、幕間におまんを食し、階下で煙草を喫む。いつも食すおまんは、高砂堂の栗赤飯饅頭である。あれは逸品である。よって売店での売れ行きも良く、次々と手が伸びてくる。ぼけーっとしてたらお品切れの憂き目に遭うので、機敏な動きを要求される。幕間も気が抜けない松竹座である。
盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)
■初演:文政8(1825)年9月 江戸中村座
■昭和51年8月 国立小劇場で復活公演
■作者:四世鶴屋南北
主な配役を前回と併記しておきたい。左側青字が前回、右側赤字が今回の配役である。
薩摩源五兵衛 仁左衛門 仁左衛門
笹野屋三五郎 愛之助 染五郎
芸者小万 芝雀 時蔵
家主くり廻しの弥助 彌十郎 鴈治郎
出石宅兵衛 當十郎 鴈治郎
芸者菊野 松也 壱太郎
若党六七八右衛門 薪車 松也
船頭お先の伊之助 猿弥 松十郎
ごろつき勘九郎 橘三郎 橘三郎
仲居頭お弓 京蔵 吉弥
富森助右衛門 段四郎 錦吾
仁左衛門と橘三郎が同じ役。仁左衛門は座頭格でこの役どころは動かないところだが、実を言うと、染五郎の源五兵衛を観てみたかったというのもある。仁左衛門のニヒルな闇の顔の美しさを受け継いでゆくのは、染五郎がその第一人者ではないかと思っているので。まあ、このメンバーでは無理な注文と言うものだが…。いずれは、ね。
さて、この話、とにかく登場人物が多すぎて、整理しながら見物するという試練を強いられる。とにかく苦痛である(笑)。歌舞伎の番付(公演パンフ)は、史料的価値も高い結構な品物であるのだが、こういう登場人物が多い場合は、やっぱり人物相関図が欲しい。何年も前から文楽の番付に「人物相関図の一つもない不親切な本」といちゃもんつけ続けていたら、いつの間にか時代物なんぞには、相関図が付くようになっていた。難しい要求ではないはず。松竹さん、儲かってるんやからそれくらい頼みますわな…。でないと、役者の良さ伝わってこず、結局は芝居を楽しまれへんやないか、ということだ。
そんな具合に、「あの人はアレで、この人はコレで、えーっと、それでどうしたこうした」と考えているうちにも、芝居はどんどん進んでいくから、小生のような三流見物人には、その「置いてけぼり感」といったらありゃしない。
ま、大筋としては、「四谷怪談」同様に、南北が描く「仮名手本忠臣蔵」の外伝と言うか、スピンアウトと言うか、サイドストリーとかアナザーストーリーとかそういうもので、四十七士のような立派な塩冶家家臣もおれば、それに加えてもらえない或いは加わりたくない野郎たちも当然いて、そいつらにも刃傷事件以後の物語があるんでやんすよ、というものの一つというのは、わかる。
南北は巧みに自身の大ヒット作『四谷怪談』を挿入して、サービス精神を発揮する。四谷鬼横町に越してきた六七八右衛門だが、部屋に幽霊が出るので引っ越すと言い出す。家主のくり廻しの弥助は、「その部屋には塩冶浪人の民谷伊右衛門と妻のお岩が住んでいたのだが…」と、一連の騒動を語る。この弥助を演じたがんじろはんのねっちょり具合が非常に良く、江戸芝居なのに上方の湿度がほどよく乗っていて、「道頓堀でやってる鶴屋南北の芝居」という風情を醸し出していた。一方で六七八右衛門の松也は、なんか声のトーンが六七八右衛門って感じではなく、かなり違和感があった。
五人切に小万殺しと、凄惨な殺戮シーンがあるが、好きな女に騙され、殺しという境地に追い詰められてしまう源五兵衛は「殺人鬼」と言うよりは、哀れな男である。その辺の表情や舞台での「絵」としての姿に仁左衛門の魅力を大いに感じる。これはもう、「ダークサイド仁左衛門」の究極を見せてもらえたってところで、大いに満足。
ただ、やはり振り返ってみればみるほど、登場人物の整理整頓ができてないことに、少なからずショックを受けている。もう一度観ておきたかったけど、何分、歌舞伎はご見物代がお高うござりまして(笑)。
(平成29年7月22日 道頓堀大阪松竹座)
在大阪香港永久居民。
頑張らなくていい日々を模索して生きています。
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