歌舞伎
大阪松竹座新築改造二十周年記念 七月大歌舞伎
大阪の夏。
愛染さん、杭全神社だんじり、山阪神社祭礼、天神祭、七月大歌舞伎、文楽夏公演、住吉祭、駒川まつり、PL花火、鷹の祭典IN大阪…。そう、鷹の祭典は大切よ~!
ま、山阪神社の夏祭と駒川商店街のまつりは、拙宅のごくお近くの夏行事なので、全国区ではないけど、ちょいとご愛嬌までに並べた次第(笑)。
暑いけど、なにかとにぎやかな大阪の街である。この季節に、歌舞伎、文楽の上方芸能トップ2がそろってミナミで興行を打つというのが、芝居好きにはたまらない。何よりも、どちらの芝居でも『夏祭浪花鑑』がかかるというのが楽しいではないか。これぞ「大阪の夏」である。
今年の七月大歌舞伎は、いよいよ幸四郎襲名を控えた染五郎が、染五郎として大阪の舞台に立つのは最後ということらしく、襲名を見るのと同じくらい「ラスト染五郎」に注目してしまう。まずは昼の部から見物。
夏祭浪花鑑
注目の染五郎が、当然のごとく団七を演じ、義平次には橘三郎、三婦に鴈治郎、琴浦には壱太郎。まあなんとも、「爽やかな」団七であった。団七には、汗が着物にへばりつくギトギトとしたものはさほど必要ではないと思うんだが、ここまで爽やかだと、芝居全体に響かないかと心配にもなる。ま、そこは好みの問題もあるだろうし、染五郎は今回が初役ということなんで、張り切り具合が「爽やかさ」に転じていたということであるなら、そこはまあ「よくがんばりました!」ってことになるかな。まあねえ、やはりこの役は、上方の役者がいいのかなと思った次第。いや、決して染五郎をディスってるわけじゃないですよ!誤解なきように!
最後の高津宮の神輿に紛れて去って行く時のお囃子、大阪の蒸し暑さを音で表現して余りある地車囃子ではなく、染五郎にマッチした「爽やかな」祭囃子だったのが、良くも悪くも印象に残った。泥場の展開は、見事だっただけに、あそこは東南アジアの音色のような地車囃子で、夏の夜の殺しを演出してほしかったな。「何聴いてはったんですか、あれはあの音が正解ですよ、おたく!」と言われれば、「ああ、そうですか。すんません」と引き下がるしかないねんけどね(笑)。
橘三郎の義平次は上々出来で強欲な舅を良く演じていた。鴈治郎の三婦も愛嬌が漂い、褌を引っ張り出して自分の鼻に持って行き「なんや、ええ匂いやな」というちょっとしたクスグリで客席をなごませる術は、上方の役者ならではのもの。
幕間におまんを食す。階下へ煙草を喫みに下りる。
松竹座が映画館から劇場に生まれ変わって20周年の記念公演だとか。映画館のころの記憶が次第に薄れてゆく…。その歴史も何らかの形で、劇場内に残しておいてほしいと思う。特に客席やスクリーンの写真なんかを。そういうのがまったく無いね、ここには。
二人道成寺(ににんどうじょうじ)
◆初演:天保6年(1835)5月1日 大坂角の芝居 四世中村歌右衛門(当時二世芝翫)、二世中村富十郎
◆作詞:藤本斗文 作曲:初世杵屋弥三郎
「聞いたか聞いたか」「聞いたぞ聞いたぞ」の、聞いたか坊主の登場で「道成寺もの」が始まる。一般に聞いたか坊主と言われるこの一団だが、正確には「所化」と申し、「師の教えを受けている、修行中の僧。弟子。また広く、寺に勤める役僧」を言う。
ここに現れ出は白拍子の花子(時蔵)と桜子(孝太郎)。先の『夏祭浪花鑑』では一寸徳兵衛の女房お辰を演じた時蔵、ちょいと迫力に欠けていたが、ここは本領発揮のあでやかな舞いを見せる。同じく、団七の女房お梶を演じた孝太郎もインパクトに欠けていたが、ここでは存在感を示す。ま、舞台は生もの、すなわち「ライヴ」だから明日観たら、まったく逆の感想になったかもわからない。
最後は、清姫の怨霊の本性見せて、聞いたか坊主どもを圧倒するという、おなじみの幕。
ちなみに、この坊主の中に、8月に近鉄アート館で開催される恒例のあべの歌舞伎『晴の会(そらのかい)』の看板、松十郎、千壽、千次郎の3人もいた。
(平成29年7月15日 道頓堀大阪松竹座)
在大阪香港永久居民。
頑張らなくていい日々を模索して生きています。
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