御朱印男子
春日大社
今回は奈良の春日大社へ。来年、平成30年に御創建1250年を迎える。
20年に一度の「第六十次 式年造替」が終えたばかりで、一の鳥居から始まり御本社御本殿まで朱塗りも目に鮮やかに、また新たな始まりをお迎えになられた神々しさに感動を覚える。
小生もおよそ20年ぶりにお参りしたわけで、思えばまだ30歳代の若かりし頃だったなぁ…と(笑)。
美しい一の鳥居をくぐり、参道に入ると、心地よい木漏れ日が古代から続く神域へといざなってくれる。
当たり前だが、そこらじゅうに鹿がいて、別段、お願いしたわけでもないのに、ポーズを取ったりカメラ目線になってくれるのが、なんとも愛らしい。ただ訪れた日は、季節的に毛の生え変わり時期であり、見栄えがあまりよろしくない。また、きれいに生え変わったころに来て、美しい姿を撮影してあげるから、ポーズと目線、よろしく!
参道には苔むした石灯篭が並ぶ。手前の丸いものが「春日灯篭」といい、春日大社向けに作られ始めた形。奥の三段の台座に乗った形は、どこの神社でもお馴染みの「神前灯篭」である。
一の鳥居をくぐり左手に小さな祠が見える。末社の「壺神(つぼがみ)神社」である。春日大社には61の摂末社があるが、こちらもそのひとつ。現地にもパンフにもHPにも御由緒に関する記述はないが、壺神は素盞嗚尊が八岐大蛇を退治する際に使った酒の入った壺を神格化したものとされているので、ここもそういうことだと思われる。それにしても、この写真は上出来だと思う! 自分で撮って言うのもアレだが(笑)。
そして二の鳥居に。鳥居をくぐるとすぐに手水舎があるのだが、ここは「伏鹿手水所(ふせしかのてみずしょ)」という鹿の像の元で手を清めることになる。その後に末社の「祓戸神社(はらえど神社)」に参拝し、身も心も清めて本殿へ進むことになる。どちらも観光客の黒山の人だかりで写真は断念。てか、気持ちはわかるがそこで順番に記念撮影するなって(笑)。
そして南門にたどり着く。「大宮」(国宝の御本殿を含む春日大社の中枢部)を囲む回廊のメーンゲートであり、春日大社の顔でもある。
南門をくぐると正面におなじみの中門(ちゅうもん)。前方に並ぶ灯篭は大宮型という形式。この中門越しに、瑞垣に囲まれた四殿四棟の御本殿を参拝する。
【10】春日大社(かすがたいしゃ)
旧官幣大社で現在は別表神社、勅祭社。御祭神は上述の四殿四棟に御鎮座。
初穂料500円を志納の上、中門前から御本殿を参拝できるが、瑞垣の内には入ることはできない。また、御本殿正面からの写真撮影も禁止されている。そりゃ当然だろう。その御本殿は、右から第一殿に武甕槌命(タケミカヅチノオ=雷神、相撲の元祖)、第二殿に経津主神(フツヌシノカミ=刀剣の神)、第三殿に天児屋命(アメノコヤネノミコト=天孫降臨随伴者、出世神)、第四殿に比売神(ヒメガミ=天児屋命の妻)がおいでになる。いずれも藤原氏の氏神である。【御朱印男子 8】で紹介した辛國神社の御祭神である天児屋根命は、この春日大社から勧請されている。御神体は御蓋山(=三笠山)。
回廊にはずらっと釣り灯篭が並ぶ。最初は奥にあるように金色に輝いているのだが、時を経るにつれ、手前のように緑青を吹く。ぞれぞれに朱塗りの柱によく映えている。こうした釣り灯篭は、様々な思いを込めて献灯されたものであろう。神社・仏閣とはそいう思いが集まる場でもあるためか、時々、ぐっと背中や肩に重みを感じるときもある。感じない人もいるんだろうけど…。
すべてが計算しつくされた様式美。この技術の継承を20年に一度行い、御鎮座する御祭神に気持ち良くお過ごしいただくのが、式年造替である。
パンフをもとに御由緒をたどると、今から約1300年前、平城京鎮護のために、国譲りを達成された「最強の武神」武甕槌命(鹿島)を、神体山御蓋山の浮雲峰に奉遷したのが始まり。神護景雲2年(768)に称徳天皇の勅命により左大臣藤原永手が、御蓋山中腹に4棟の神殿が造営して、鹿島の武甕槌命、香取の経津主命と、枚岡神社に祀られていた天児屋根命・比売神をお招きしてお祀りした。
元は春日大社とは言わず、『延喜式神名帳』には「大和国添上郡 春日祭神四座」と記載されている。明治4年(1871)に春日神社に改称するとともに、官幣大社に列し、「官幣大社春日神社」とる。昭和21年(1946)12月、近代社格制度の廃止に伴い、そのままでは単に「春日神社」となって他の多くの春日神社と混同するので、現在の「春日大社」に改称している。
平成10年(1998)12月、春日大社や春日山原始林を含む「古都奈良の文化財」が、ユネスコの世界遺産に登録された。
広大な神域ゆえ、摂末社の数も上述の通り61と非常に多いのも、この社の特徴。御本殿への参拝を済ませた後は、摂末社をめぐることにした。
「大杉」は樹齢1000年の古木で、目通り周囲7.94m、高さ23m。鎌倉時代の『春日権現験記』には幼木の姿で描かれている。この写真の後ろ側には末社のひとつ「岩本神社」の祠がある。御祭神は住吉三神である表筒男命(ウワツツノオノコミコト)、中筒男命(ナカツツノオノコミコト)、底筒男命(ソコツツノオノコミコト)。
南門の前に続くのは「御間道(おあいみち)」。御本社と若宮との間にある道なので、こう呼ばれている。
御間道には、長い年月、参拝者を見つめてきた灯篭が並ぶ。朱塗りの世界とは別の世界が広がっている。
この先は、「若宮十五社めぐり」となる。
摂末社61社のうち、若宮社をはじめとする15社がこの先に御鎮座する。今回は正式な15社めぐりはしなかったが、正式には夫婦大國社で受付を済ませ、玉串札を受け取りそれを持って各社をめぐる。各神社、遥拝所に玉串札を納め、最後の納所である夫婦大國社に戻って、15社満願の奉告を行う。
第1番納札社「若宮神社」。本殿と同じく写真撮影禁止。わずかにXに渡した春日造りの「置き千木」が見える。御祭神は、天押雲根命(アメノオシクモネノミコト)。
第9納札社「春日明神遥拝所」。社殿はなく、古神道の趣が漂う。御祭神は春日皇大神(カスガスメオオミカミ)。鎌倉時代、華厳宗の高僧、明恵上人がここから春日大社のご本殿を遥拝したという記録あり。
こちらは15社めぐりの札所ではないが、ここもまた古神道と言うか太古の祈りの原型のような場所で、手を合わさずにはおれない。善女龍王がその尾石を納めた場所…。何のことやら??善女龍王は雨乞いの龍王の一尊。空海の請雨に応じて干ばつ時に雨を降らせたとの伝えあり。
第11番納札社「紀伊神社」。若宮十五社めぐりの最も奥地。ここまで来ると、ほとんど人気がない。しんと静まり返った空気が心に突き刺すような感じがする。御祭神は、五十猛命(イタケルノミコト)、大屋津姫命(オオヤツメヒメノミコト)、抓津姫命(ツマツヒメノミコト)の三神。
御朱印はいたってシンプル。
<墨書>
奉拝
春日大社
平成二十九年三月十五日
<朱印>
春日大社の角印
およそ20年ぶりにお参りしたわけだが、またいずれ参拝して、今度は摂末社をもっとじっくりお参りさせてもらおうと思う。
って、また20年後かえ?(笑)
<ところ>奈良県奈良市春日野町160 <あし>近鉄奈良線、JR関西本線いずれも奈良駅から一の鳥居まで徒歩約30分(脇目も振らず歩けば20分かな?)
(平成29年3月15日 参詣)
在大阪香港永久居民。
頑張らなくていい日々を模索して生きています。
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