もうすぐ終わるからねww。
どん底を救ってもらった車公廟
信心深い香港人は、老いも若きも男も女もこぞって初詣に繰り出す。中でも、九龍の黄大仙祠(ウォンタイシン)と新界の車公廟(Che Kung Temple)は参拝者の多さでは、他を完全に圧倒している。小生は特別に信心深い人間ではないが、「運気を好転させてくれる」ってハナシを小耳にはさんで以来、在住中は車公廟への初詣を欠かさなかった。
このネタは、かつてとある観光雑誌に記事にしたことがあるのだが、もはやこれ以下は落ちないだろうという運勢どん底状態にあったある年の旧正月、はるばる南の果ての漁村、香港仔(Aberdeen)から車公廟へ初詣に参じたところ、あ~ら不思議や、一気に運気は好転して、どん底から見事脱することができたのであった。そりゃもう、その時の好転ぶりと言ったら、恐らく一生の運をここで完全に使い果たしたんだと、逆に怖くなるほどのものだった。以降は、この霊験あらたかな車公廟への参拝回数は増しゆくことになるのだが、先方さんにも許容量というのがあるのかどうか知らないが、次第に御利益は薄れていくのであった(笑)。そらそうよ、なんでもかんでも神頼みはよくないわな。反省します。
車公廟へは、馬鞍山綫(Ma On Shan Line)に車公廟という駅があるが、小生は電車で行く場合はその一つ手前の大圍(Dai Wai)駅で下りる。断じて、こっちから行く方が近い。大圍の駅前にはかつてはレンタサイクル屋とか、水を抜いたプールでのBBQ場なんぞがあったと記憶するが、今ではMTR東鐡綫(East Rail Line=旧・九廣鐡路)と馬鞍山綫との接続駅、ターミナル駅と化したことで、駅前もすっかり様変わりしてしまった。時代は流れる、俺は年取る…。
人の流れを制御するためか、もともとそういう習慣なのかは知らないが、横から入ることになっている。旧正月二日は車公の生誕日にあたるため、参拝は熾烈を極める。そんなわけで、最初の赤口の日になる旧正月三日は、本来ならば初詣に適さない日とされているが、ここには年初二を避けて参拝する人が、殺到する。ま、結局は暦なんてのは己のいいように解釈するから、いつ来てもいいってことになるんやけどな(笑)。
奥に見える立派な建物が本堂。1994年に改築工事完了。そう言えば、そのハナシ、94年の旧正月あたりにNHK-BSで3日連続で香港芸能大特集が放映された時に聞いたような記憶がある。香港芸能が一時の韓流ブーム並みに盛り上がってた時代や、そのころは…。
それにして、いつまでも旧正月気分の抜けない人たちである。三が日はとっくに過ぎて、ごく普通のド平日だというのにまだこの賑わいである。マイペース過ぎるよな。在住中はこれにどれだけイラついたことか(笑)。今となっては、「人間、こうでなきゃ」なんて思ってしまう自分がおかしい。
しっかりお願いを聞いてもらいたく、ぶっとい線香3本張り込んだ。ってか、もう「張り込んだ」なんて言ってる時点で、「そんなケチくさい考えの奴の頼みごとなんて知ったことか!」って、思われてますわな(泣)。
参拝者が大なり小なり、線香を持ってうろちょろするから、コートも頭も灰まみれやし、下手こいたら火玉の直撃受けてやけどするし、なんと言っても、手が真っ黄色になってしまうのだ。それを思うと、日本の線香ってすぐれものやなと思う。
御祭神は、南宋の勇将・車公大元帥。蒙古軍の侵攻に為す術なく、南下せざるを得なかった宋の国。車公大元帥一行も、この大圍地方にまで南下して来た。その折に、疫病で苦しむ衆生の民を宋の最新の医術で救済したことで、死後、崇め奉られるようになったのが、車公信仰の始まりとされる。この伝説が100年ほど前から次第に、運気好転の信仰へと転じたというわけだが、御利益というものは時代の、民衆の都合のいいように変わってゆくということだ。
ここの参拝で忘れてはならないが、運気好転の風車をくるっと回すことである。
こんな風にくるっと回せば、ラッキーになれる(時もある…)。そんなわけで、旧正月なんざあ、長蛇の列となる。その都度、「くるっと運勢を好転させたい人って、世の中にこんなにもいてるのかぁ~」と感心するのである。みんなそんなに不幸なのかと。あるいは十分すぎるほど幸福な人が、富の配分どころか富の一人占めを企んで、まだまだ幸せになろうなんて思っているのか?
こちらが山門というか正面の入口。旧正月はここは出口専用になるが、普段は出入りどちらに使ってもいいようである。旧正月期間中は、この門前に赤いかざぐるまを売る店が軒を連ねる。ここでかざぐるまを買って、くるくる回しながら帰宅するのが香港人的正月の正しい行いである。まあ、十日戎で福笹を持ち帰るのと同じような感覚かな。
ところで、この日「よろしいおたの申します」と、ぶっとい線香3本を持って三拝九拝したその御利益は…。どうも線香の太さが足らなかったようで…(笑)。
客家の集団住居「曾大屋」
さて、ここまで来て、そのまま引き返すのもアレな話であるし、まだ昼飯時間にはちょっとあるので、もう少し歩いてみようと向かったのは、「曾大屋(Tsang Tai Uk)」という客家の集団住居、すなわち城壁村である。
建造されたのは約130年前。名前が示す通り、曾一族のための住宅として建設された。曾氏は、石切り場を開き石工職人として財を成した人物で、子孫への投資としてこの城壁村を建てた。その証として、三つある城門の中央の門の上には、「一貫世居」という四文字が刻まれている。
内部は城壁村の歴史を伝えるものもあれば、ありふれた長屋の光景もあって香港の普通の日常が流れている。それだけに一歩足を踏み入れるには勇気が必要だが、常識をわきまえた行動をすればそこは何ら問題は起きない。とは言え、香港ビギナーにはちょっと厳しい場所かもしれないが…。行く価値は十分にある場所。
過去にも一度来たことがあって、その時の写真もメモ書きも今回と同じような内容だった(笑)。調べればもっと「おお~!」っていう発見があるはずだし、せっかく行ったのに何を見て何を記録してるのやらと、残念に思うことばかり。今度来たときは、もっとじっくり色々と観察してみたいと思う。そう思わせる不思議な磁力を感じる場所である。
1970年代初頭と思われる曾大屋の空撮写真。まだ周辺は田畑に囲まれておりのどかな環境だった。この直後から一気に開発が進み、今では曾大屋は高層団地の谷間になってしまった。
在大阪香港永久居民。
頑張らなくていい日々を模索して生きています。