【神武天皇二千六百年大祭】

今年は初代天皇の神武天皇(神日本磐余彦尊彦火火出見天皇/かむやまといわれびこほほでみのすめらみこと)がお隠れになってから新暦換算で2600年。そして4月3日はその崩御の日にあたる神武天皇式年祭の日である。神武天皇ゆかりの橿原神宮や宮崎神宮はじめ全国の神社では、神武天皇の御遺徳を偲ぶ祭事が行われたが、中でも橿原神宮では、大正5年以来となる100年に一度の式年大祭が行われた。2600年及び100年に一度の節目の年にあたって、天皇陛下・皇后陛下、随従皇族として秋篠宮殿下・秋篠宮妃殿下が橿原へ行幸啓をされた。

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ということなので、橿原神宮オタクの小生が参詣しないはずはなく、あらかじめ橿原神宮よりお送りいただいたご案内に従い、内拝殿参拝及び式年祭の末席に加えてもらってきた。ま、桜満開の深田池で花見がてらに直会(なおらい)のお弁当をいただこうという目論見が無かったと言えば嘘になるが…(笑)。

9時30分までに受付を済ませてほしいという御案内状の文言にもかかわらず、目が覚めたら8時15分!

「あかんやん!8時10分阿倍野発の特急に乗る予定やったのに!」

大失態である(笑)。今頃、最寄駅を当初乗車予定の特急が通過している…。とにかく大急ぎで家を出て、9時10分発の特急に。

IMG_2802でもよかった。受付到着10時丁度でもまだ受付は混雑している。10時15分ごろ着席。宮司内進で祭事が始まるところ。

ちょうどそのころ、両陛下、秋篠宮殿下妃殿下は橿原神宮に近接する神武天皇陵に到着され、「神武天皇二千六百年式年祭の儀」の山陵の儀に臨まれていたという次第。

紀元祭では『君が代』の奉奏、『紀元奉頌の歌』の奉唱があるが、この日は無し。天皇陛下が来られているので、勅使さんが御幣物を奉じて参進も無し。意外にもクライマックスらしきものはないままに事はすべて終了した。それでも10時開始で終わりは正午。

お楽しみは「直会」、要するにお弁当やら御神酒やらお土産品などである。まあ我々は普通に欲どおしい存在であるから、いくら厳かな神事に接したと言っても、そこは食欲と物欲で厳粛な気分は一気に吹き飛び、「お弁当のメニューは?」とか「御神酒の銘柄は?」とかそっちが気がかりに。それが普通というものでありましょう。

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祭事が終わり、一目散に直会引き取り場へ急ぐ御列席各位(笑)
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とにかく満開なのであります!

IMG_2821桜花満開、春爛漫の深田池池畔でひらひらと舞う花びらを見ながら、直会のお弁当をいただく人、人、人…。考えることは皆同じ。厳粛な神事は一気に花見へと転じる。

その気になるメニューだが、「神武天皇御東遷ゆかりのご当地味めぐり」ということで

1.日南鶏・つきれい餅(宮崎県=日向国高千穂)
2.車エビ・かぼちゃ(大分県=豊の国宇沙)
3.(福岡県=筑後の岡の水門)
4.ふく(山口県=関門海峡~瀬戸内)
5.穴子(広島県=安芸の埃宮(えみや)造営)
6.ままかり(岡山県=吉備の国、高嶋の宮)
7.丹波黒豆(兵庫県=明石海峡から大阪方面へ)
8.泉州たこ(大阪府=浪速(なみはや)に上陸)
9.鮪、梅、高野豆腐(和歌山県=紀の国の水門(みなと)~熊野から再上陸)
10.古代米(黒米)、竹の子、ごま豆腐(奈良県=橿原の宮にてご即位)

なかなか苦心の跡が見受けられ、涙ぐましい献立である。いただいておきながら失礼な感想だが、多分、家に持って帰って食べても、旨くもなく不味くもなく「まあ、こんなもんかな」って味だったと思うが、さすが桜の威力とでも言うべきか、あの満開の中でいただくと、「うぉ!めっちゃ旨いやんか!」って気分になってしまうのだから、不思議なもんだ。

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IMG_2827さてどうしたものか。さっさと引き上げるか、それともせっかくの機会なのだから、天皇陛下の玉顔に接するか…。迷った末、お出迎え(それともお見送り?)することにしようと心を固め、それなりのポジションを確保したが、さてさて、ご一行は何時にお姿をお見せになるのだろう? これという情報もないまま、時間だけが過ぎてゆく。すでに今まさに、橿原神宮にご参拝という証なのか、門は固く閉ざされている。

そうこうしている内にも、人垣は膨らんでゆく一方。警察もここへきてようやくロープを張って規制を始める。どうもまだ陛下ご一行のお出ましまで1時間以上はあるようだ。するとどうでしょう~! 陣取っていた女性陣に険悪なムードが漂い始めるではないかえ。このあたりはFBでもぼやいたのだけど、FBママで転載しておくと…。

両陛下のお出ましまで「まだ1時間ちょい」と、警察から聞いたから、まことに申し訳ないが、先においとました。何よりも人垣のおばさん達のいさかいに疲れたのだ。警察の指示に喧嘩腰で歯向かう、警察の言う通りにしろという声に、ボケやのクソババア黙れとか、こういうの、全部おばさん達の言動よ。こんな中であと1時間ちょいとかおるのん、耐えられへんやんか、正味の話が。両陛下をお迎えするにふさわしくない下品な人達である。

いやもう、ほんとに困ったもんである。横のご婦人も申されていたが「こういうのて、性格が顔に出ますよねww」って。おっしゃる通り。一連の不快感をまき散らすおばさんたちは、般若のような表情で警察に食って掛かり、別のおばさんと口論を始めるのである。恐ろしいったらありゃしない。一気に気分が萎えてしまったのだ。無礼である、そもそもが。

最後は無礼で下品な人たちに気分を台無しにされたが、それでも、100年に一度の神武天皇式年大祭に列席できて何よりである。次の式年大祭には当然ながら小生はこの世にいない。そういう意味からも非常に稀有な体験であった。

別に神話に基づく歴史観を押し付ける気はないが、せっかく『古事記』『日本書紀』という、その成り立ちの背景はどうあれ、国の始まりを綴る文章が残っているのだから、単なる神話として片付けてしまうのではなく、より多くの国民がそこにもう少し目を向けることはできないかと、橿原神宮に参拝するたびに思うのである。それで見えてくる「日常」も決して少なくはないである。

(皇紀2676年神武天皇式年大祭 橿原神宮)


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