久々の文楽劇場である。
と言っても、8月の歌舞伎以来だから二カ月ちょいの間。文楽そのものはおよそ三カ月ぶり。だからかな、非常に久々な気がする。
その間、嶋大夫が突如引退を表明するという衝撃が走った。人間国宝に認定されたばかりだけに、「嶋さんに一体何が?」とあれこれ思わずにはおれないが、どうやら文楽の風景はここ2年くらいでがらっと変わってしまうのは間違いない。すでに先代玉男の他界から「心の準備」はできたいたが、住大夫引退、源大夫引退と他界、文雀の数公演にわたる「休養」(休演の告知が出ていない以上は「休養」ととらえるしかないだろう)、そして此度の嶋さんの引退表明という具合に、終戦直後から文楽に身を投じてきた人たちが、次々と舞台から去って行く(文雀師は現役だが)のは、文楽が文楽でなくなってしまうのを見るかのような恐怖心すら覚える。
非常に寂しい限りだが、小生としてはこの人たちがもっとも脂の乗り切っていていた時代を見聞きすることができたのは、大きな財産であったと喜んでいる。同時に、もっともっとしっかり大事に、この人たちの芸に接してくるべきだったと後悔もするのであるが、時の流れは容赦なく残酷である。
そんなことをつらつら思いながら、急激に冷え込んだ朝、文楽劇場へ向かった。
今公演の呼び物はなんといっても昭和49年以来の公演となる『玉藻前曦袂(たまものまえあさひのたもと)』である。藤子・F・不二雄のSF漫画『T・Pぼん』(タイムパトロールぼん)でも玉藻前のエピソードが描かれているのが、劇場内資料展示室での企画展示「玉藻前(たまものまえ)」で紹介されている。昔はこうやって子供が古典芸能の一端に触れる機会がいろんな場面であったんだけどなあ…。昔と言っても、この漫画、1978年から1986年のことである。それを思うと、今どきの子供さんらは実に気の毒である。
で、この日はその一大SFスペクタクルな舞台ではなく、第一部の『碁太平記白石噺』、『桜鍔恨鮫鞘』、『団子売』の三演目を観てきた。
三作品を見物した総評から言うと、「全然気持ちが乗ってこなかった」に尽きる。それは「下手くそな舞台を見せられた」だの「聴くに堪えない浄瑠璃を聴かされた」というのではなく、観る・聴く側=自分と、手摺・床=芸人がまったくスウィングしなかった ということで、これはもう小生の体調や気分もあるだろうし、原因がどこにあるかは不明。珍しいことではあるけどこういう日もあるということだ。それだけにライブは値打ちがあると同時に、怖いものでもあるということだ。
そんな次第で、この日の鑑賞記つれづれは記録に残さないこととした。て言うか、残しようがない。残したところでいちゃもんだらけになってしまうか、はたまた、「良かった~、素晴らしかった~」の連呼になってしまうのがオチだ。
改めて、もう一度この第一部を観る・聴く日を作りたい。でないと、悪印象を残したままで今公演を終えてしまうのは、勿体ないことだし、芸人、小生双方にとって不幸なことだ。
幸い、公演はまだ始まったばかり。たっぷりと日にちが残っている。しっかりと楽しみたい。
(平成27年11月1日 日本橋国立文楽劇場)
在大阪香港永久居民。
頑張らなくていい日々を模索して生きています。