人形浄瑠璃文楽
吉田玉女改め
二代目吉田玉男襲名披露
平成二十七年四月公演 千秋楽
初日には満開だった桜樹も、天空の色も、早や初夏の風情。色とりどりの幟がさらに彩りを添え、わずか3週間でこんなに季節が進むのかと驚くばかりなり。二代目吉田玉男襲名を寿ぐ春の文楽公演は、補助椅子も出る大盛況で、千秋楽を迎えた。
襲名披露口上を拝見するのは、初日に続き二度目。この日は見た目では、初日を超えるお客の数だったと思う。実際、中入りのお弁当の時間には、ロビーで座る席がなく、しばらく喫煙所で様子をうかがっていたほど。文楽ファンのみならず、大阪が二代目吉田玉男の襲名を待っていたということだろう。
初日は床に近い席で見物したが、この日は2等席で全体を見渡せる席に。全体を見渡せる、なんて言うと聞えはよいが、現実には「緊縮財政」ということで、そこはご愛嬌というもんだ(笑)。
まず、「口上」から語るが、進行役の千歳大夫が連日満員の来場に感謝を述べた以外は、初日と特に各人に口上に変化はなかった。嶋さんは、やはり威風堂々と、どこまでも格調高く、品格を漂わす「上方芸人、かくあるべき」な口上。寛治師匠は、飄々とした語り口調の中に、先代玉男への敬意と二代目への期待。和生師と勘十郎師は、同期入門としてのメッセージを。共に歩んだ来し方を懐かしみつつも、お互いにこれから一層腕を磨いて行きたいというものが伝わってきた。後方に並んだ、先代、当代の玉男門下の人形遣いの皆さんも、25日間、ご苦労様でした。
靭猿
初日に観た時以上に、完成度が高いと感じた。人形も床も太夫、三味線いずれもチームワークが取れており、見心地、聴き心地よしの松羽目物。
人形では、猿を遣った玉翔が目を引く。玉翔本人のみならず左も足も動きが良かった。「猿らしくあり、猿らしくなく」。客席がそこの点にひきつけられたのか。反応がよかった。太夫は咲甫が牽引してツレの二人も含めてよく付いて行った感じ。三味線は藤蔵、團吾を核にまとまりよく。
一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)
◆初演:宝暦元年(1751)12月、大坂豊竹座
◆作者:並木宗輔(千柳)=絶筆
初代玉男の当たり役だった熊谷を、襲名披露公演にて二代目玉男が遣う。大阪の本公演では初役だとのこと。
「熊谷桜の段」
続く熊谷陣屋への導入部で、物語の背景が明かされてゆく場面。
床は公演前半が希・宗助、後半が靖・宗助。個人的好みで、靖に興味津々だが、両者ともにここ数公演でめきめき力量をあげており、このしのぎ合いが楽しい(本人たちは必死だがw)。
靖は梶原平次景高の人物描写が際立っていたが、女性二人(藤の局、相模)がやや弱かったかも。希はその逆で、景高にやや苦戦していたかな…。宗助さんはすでに我が身も心も「お任せ」できる域。
人形では景高の幸助が印象深い。かしらを見れば悪役なのはわかるけど、動きも悪役。こういうわかりやすい遣いぶりを見せてもらうと、初心者も入って行きやすいはず。とくに意識してはいなだろうけど、意外と初心者はこういう点を見ている。
「熊谷陣屋の段」
切場は咲さん・燕三。初日よりも沁みた。やはり文楽は浄瑠璃でキマる。こうなると、人形がいっそう生きて来るから、ほんとうに不思議だ。なるほど、「切場語り」とはこういう力量を備えているのだなと、あらためて納得。
ダイナミックな動きに魅了された景高は、最終的に案外あっけない死に方をするが(笑)、幸助の遣いぶりもいっそう映えていた。
で、二代目玉男だが、初日のざっくりとした感想で、本人の緊張はさておき、左と足の緊張が動きに堅さを感じさせたみたいなことを書いたが、この日はそんな感じもなく、熊谷の大きさが(人形としても人間としても)よく伝わってきた。先代の熊谷と比べてどうこう語るのではなく、二代目玉男としての熊谷がどうだったああだったと語るのが、本筋と言うもんだろうから、これからはそういう二代目のカタチが求められてゆくことにもなる。いやまあ、襲名とは大変なことですな…。
後:文字久・清介。「口上」で千歳大夫がかなりしわがれた声になっていたが、文字久も同様にきつい場面がいくつかあった。が、それでも乗り切っていたのが頼もしく感じた。切場から続く「人間ドラマ」「軍記物」の両面を一方の側面に偏るなことなく聴かせてもらったと思うが、また師匠(住さん)にダメ出し食らうのかな…。
人形では、相模(和生)、藤の局(勘十郎)、弥陀六(玉也)が新・玉男をしっかりとバックアップしていたのが、非常に好ましく感じた。
~お弁当の時間~
卅三間堂棟由来(さんじゅうさんげんどうむなぎのゆらい)
◆作者:若竹笛躬、中邑阿契合作
*宝暦10年(1760)12月、豊竹座で初演の『祇園女御九重錦(ぎおんにょうごここのえにしき)』全五段のうち、三段目「平太郎住家」「木遣音頭(きやりおんど)」を独立させて改題したもの
「平太郎住家より木遣り音頭の段」
中:芳穂・清馗。多分、若手とされるメンバーの中では一番安心して聴けるのが芳穂大夫かなと。
奥:津駒・寛治。津駒さんの母子の別れ夫婦の別れの悲哀醸し出す語りと、名曲「木遣り音頭」は非常に「商品価値」が高いと思う。もちろん寛治師匠の冴える三味線が支えているウエートも大きいが、「また聴きたい」と思わせる場だった。
簑助師匠のお柳は、やはり絶品。一方で、紋壽師匠の進ノ蔵人がカシラ以上に老いて見えたのは、遣い手の年齢のせいか? もしそうだとすれば、ここはミスキャストだったのかもしれない。簑次のみどり丸も、なんか定番に落ち着いている感なきにしもあらずだが…。違ってたらゴメン。
色々書くと、キリがないのでこの辺で。次回は6月の「鑑賞教室」で『曽根崎心中』がかかるようだけど、自分としては「夏休み公演」の『生写朝顔話』が宇治川蛍狩りから大井川まで上演されるという方が、惹かれるな。まだちょいと先の話だけに、俺、生きてるかな?(笑)
(平成27年4月26日 日本橋国立文楽劇場)
在大阪香港永久居民。
頑張らなくていい日々を模索して生きています。
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