【上方芸能な日々 歌舞伎】四代目中村鴈治郎襲名披露「壽初春大歌舞伎」

歌舞伎
松竹創業百二十周年
中村翫雀改め
四代目中村鴈治郎襲名披露
壽初春大歌舞伎

 

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この度襲名の四代目の鴈治郎丈の父君である坂田藤十郎丈が、三代目の鴈治郎を襲名した直後の公演を、文楽劇場で観劇している。出しものは『通し狂言仮名手本忠臣蔵~中村鴈治郎七役相勤め申し候』。「道行」に文楽から咲大夫や先代の燕三が出演ということもあり、放っておいても大入り間違いない忠臣蔵が一層の大当たりの公演で、昼夜とも補助席を抑えるのが精一杯だったのを思い出す。

結構なもので、三代、四代と親子で「鴈治郎」を拝見できた上に、二代目の鴈治郎も健在だった時代を知っている。こんな歌舞伎愛好者はもちろん山ほどいるわけだが、それでもこれがすごく人生に幸運をもたらしてくれそうな気分にさせてくれるんだから、大名跡の襲名とは、やはり一大事なのだと改めて思う。

口上と「封印切」を見たいので、夜の部を観劇。和装のご婦人の多さはもちろんのこと、日曜日だからだろうか、お小さい方たちや同伴のお父さんお母さん、ヤングな集団など、ミナミの劇場らしく様々な客層で埋まる。番付(公演パンフレット)は1,700円とけっこうなお値段だが、かなり内容が濃く、わかりやすい専門書を買ったと思えば逆に安い買い物だと言える。

将軍江戸を去る

◆初演:1934年(昭和9)、東京・東京劇場
◆作者:真山青果 ◆演出:真山美保

いわゆる「新歌舞伎」。会話は口語で進行するので、わかりやすい一方で、演者側は恐らくここにいかに歌舞伎の風味を出すかで苦労するんだろうなと思う。観る方も、歌舞伎と言うよりは現代劇を観ているような錯覚に陥るので、やはり「どこがどう歌舞伎なのか」を観る鑑賞眼が要求されるが、あまり小難しく構えずに、歌舞伎だろうが現代劇だろうが「芝居を観てる」、それでいいんじゃないかと。

<第一場 上野の彰義隊>
上野寛永寺黒門前に集結し、官軍との決戦を前にして意気上がる彰義隊のもとに、山岡鉄太郎(橋之助)が現れ将軍慶喜に面会を迫るが、遮る隊の面々と乱闘に。将軍家槍術指南役・高橋伊勢守(彌十郎)が隊員たちを宥めて鉄太郎も門内へ…。血気に走る隊士たちを、国生、松江、虎之介、亀鶴、松之助ら。

<第二場 上野大慈院>
場は変わって大慈院の書院。大政奉還など天下の一大事に憔悴の将軍慶喜(梅玉)。伊勢守の計らいで面会なった鉄太郎は、「立て弁」とでも言うか一気に慶喜へ思いを述べる場面は聴きどころ。朝廷への反発心を強めていた慶喜だが、慶喜を思い涙ながらに勤皇を説く鉄太郎に心動かされ、覚悟を決める。

<第三場 千住の大橋>
翌日夜明け前の千住大橋。水戸へ隠退する慶喜を見送るため、身分にかかわらず人々が集まる。「名もなき者でございますが…」と涙ながらに別れの言葉を言う名もなき江戸の人(當十郎)の言葉が胸を打つ。慶喜は鉄太郎らに見送られ、ごくわずかな近臣を従え江戸を去る。徳川270余年の歴史に終止符が打たれた瞬間だった…。

全体的にテレビの大河ドラマを観ているような感覚だった…。どうもこういうのは合わない体質みたいだな…。

四代目中村鴈治郎襲名披露
口上

大名跡襲名を寿ぐ豪華な顔ぶれがそろう。中央に藤十郎、鴈治郎親子。上手より梅玉、彌十郎、竹三郎、愛之助、橋之助、仁左衛門。下手から秀太郎、亀鶴、虎之介、壱太郎、扇雀。襲名披露の口上役は上方を代表して仁左衛門。成駒家と松嶋屋で上方歌舞伎を牽引していくという宣言みたいで、うれしかった。ただでさえ華やかな口上だが、明日の上方歌舞伎を背負っていくであろう壱太郎、虎之介も加わってさらに華やか。この口上を観るだけでも、寿命が10年くらい伸びた気になるのだから、なるほど襲名とは大きな出来事なのだと改めて納得。

お弁当の時間を挟んで、いよいよお持ちかね「封印切」。

恋飛脚大和往来(こいのたよりやまとおうらい) 玩辞楼十二曲の内
封印切

古典おたくにとっては幸せなことに、目と鼻の先の文楽劇場では『冥途の飛脚』がかかり当然、「封印切」が上演されている。文楽と歌舞伎で「封印切」を観ることができるのだから、こんなうれしいことはないが、これを比較して観るということにこだわると、何がなんだかな情況に陥りかねないから注意が必要だ。

そりゃそうだ、文楽では「いかにして浄瑠璃を聴かせるか」がミソであり、歌舞伎では「いかにして役者を見せるか」がミソなんだから、筋立てや演出もそれをやりやすいように修正され、『冥途の飛脚』、『傾城三度笠』、『けいせい恋飛脚』と改作を重ね、歌舞伎の『恋飛脚大和往来』に至ったのである。

さらに初代の鴈治郎は忠兵衛を当たり役として、「鴈治郎の忠兵衛」をいかに見せるかという工夫を重ね、家の芸「玩辞楼十二曲」のひとつとして確立させ、現在「梅川忠兵衛」とか「封印切」と言えばこれ! というところに昇華させたのだから、文楽と歌舞伎の「封印切」は別個の芝居として観るほうがより楽しめるんじゃないかなとも思う。

◆初演:寛政8年(1796)2月、大坂・角の芝居
◆作者:不詳


鴈治郎が忠兵衛、梅川には弟の扇雀。

扇雀は以前より上方の「情」の表現に物足りなさを感じていたが、今回は好演。地歌「ぐち」がよく似合う芝居だった。鴈治郎も奮闘。特に八右衛門の悪態を二階で聴いていて我慢ならぬと障子を開けた時の表情には、思わず「おお!」と声を上げてしまった。大向こうから一斉に「成駒家!」と声がかかったのは言うまでもない。もちろん、まだ翫雀の忠兵衛ではあったが、ここがスタート地点。ここからどんな四代目の鴈治郎を作り上げて行くのか、そんな楽しみを感じさせてくれる舞台だった。

文楽では忠兵衛への厚い友情さえ感じる八右衛門だが、歌舞伎ではなかなか憎たらしい。一方で忠兵衛が二階から下りて来てから封印を切るまでのやりとりは、会話のテンポ、間の取り方などはさすがの仁左衛門。悪いには悪いなりの「情」を表現できないと、こういうリズムでは進まないだろう。

梅川と忠兵衛をなんとかとりもってやろうとする井筒屋おえんに秀太郎。梅川と忠兵衛に向かって「じゃ~らじゃ~ら」と冷やかしたりするおかしみも。梅川の身請けの後、先に新町大門で待つ梅川を追って去って行く忠兵衛を見送るおえんの表情がよかった。すべては上方の「情」のなせるところである。

棒しばり

追い出しの芸は「松羽目物」でコミカルなおなじみ『棒しばり』。愛之助、壱太郎という美形花形役者の出演ということで、ご婦人方は目が☆やら♡になって輝いてる。

上方舞の楳茂都流家元の愛之助は申すまでも無いが、壱太郎も若さを前面に押し出した動きで喝采を浴びる。父親の襲名披露公演ということで一層張り切っていたことだろう。上方歌舞伎を背負っていずれは鴈治郎の名を…。ってまだまだ遠い将来のことだな(笑)。俺、そこまで生きてないと思うわ(笑)。

楽しく明るい舞台で、一日を締めくくってくれたので、幸福な気分のまま帰宅することができた。これが大事。

☆☆☆

ところで、毎公演、番付には「だれそれが名題になりました」とか「幹部俳優に列します」とかいう挨拶文が2つ3つ載っているが、今回もいくつかあった挨拶文に部屋子の挨拶文もあった。子役で活躍していた子が、この度、藤十郎丈の部屋子となり、中村未輝(みき)としてスタートするというもの。門閥、血縁にこだわらない実力主義の上方歌舞伎、部屋子から大看板も夢ではない。愛之助が好例だ。がんばってほしい。まだ15歳の少年だが、なかなかイイ顔しているので、そこの奥さんたち、今からしっかりチェックしておいた方がいいですよ!(笑)

(平成27年1月18日 道頓堀大阪松竹座)




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