人形浄瑠璃文楽
国立文楽劇場開場三十周年記念
平成二十七年初春公演 第二部
大阪の正月気分は、概ね十日戎を以て終わりを告げる。
「商売繁盛で笹持って来い」
いかにも大阪らしいこの掛け声の発祥は、京都の「京都ゑびす神社」にあると言われている。「笹」は古語で言う「酒(ささ)」の意である。商売繁盛の祈願に、戎っさんに酒をお供えしなはれ、ということらしく、その代りに福の付いた「笹」をあげまひょということらしい。これが大ブームとなり、京、大坂一円の戎神社に伝播したという、あくまで聞きかじりの耳学問。
たしかに、古文では酒は「ささ」と読むことが多く、義太夫節にもそう語る場面が頻出するから、恐らくこの耳学問に間違いはないかと思う。
十日戎の本宮、国立文楽劇場に今宮戎から福娘御一行がやってきて、福笹の授与を行った。福娘は、大阪ではミスユニバースよりも権威があって(笑)、これに選ばれるのはお嬢さん方にとっては相当な箔付けとなる。というわけで、一目会いたく、わざわざこの日の夜の部のチケットを抑えて、開演前に福娘さんからご利益をいただこうというアホ丸出しで…。
福娘御一行は、マイクロバスに乗って大阪市内各所を回り、行く先々で福笹を授与する。この日も大忙しで、渋滞に巻き込まれた様子で、案の定、到着が15分ほど遅れるが、十日戎の間だけ信心深くなる大阪市民は、文句ひとつ言わずじっと到着を待つのだから、偉い。巫女さんがお神楽を舞い、鈴をしゃしゃ~んとしてくれて、やはり信心深いみなさんは、はは~っと頭を下げる。素直だ(笑)。福笹は、4月に玉男襲名を控えた玉女さんほかに授与され、今宮戎神社さんの「浪速の手締め」でおひらき。「浪速の手締め」って初めて聞いたけど、「大阪締め」と何にも違いは無かった…。
じゃ、芝居の方にいきますか。
第2部では、やはり「封印切」が聴きどころ、見どころの極みかと思うので、幕見で『冥途の飛脚』だけ観ればいいかなと思っていたが、それではせっかくの嶋さんの熱演を、床の直前から聴くことが叶わないので、いつものように床の真下の席を確保した。
日吉丸稚桜(ひよしまるわかきのさくら)
多分、これも初めて観るような気がする。観終わってわかったけど、以前に観ていたとしても、印象に残るような物語ではないなあと。好きな人にはこういう言い方して申し訳ないけど。
◆作者:近松やなぎ他合作
日吉丸の誕生から木下藤吉郎として頭角を現す過程を中心に据えた全五段時代物。今公演「駒木山城中の段」は三段目にあたる。
時代物の常として、登場人物は実在の人物がわかるように、名前をぼかす。木下藤吉→木下藤吉郎(後の秀吉)、小田春長(織田信長)、萬代姫(濃姫)など。
「駒木山城の段」
とにかく、ややこしかった。いろんな人物の背景、つながりをこの段で一気に知らねばならないのは、けっこう苦痛だ。もちろん、番付には人物相関図があってそれをたどればいいのだけど、にしても、ってところだ。ようやく2年ほど前から、人物の多い狂言については、番付に相関図を載せてくれるようになったのだけど、もし今も昔のまま相関図がなければ、ギブアップしていたはず(笑)。
まあ、お賢いご見物衆は、「何がややこしいのよ?」って笑われるかもしれないが、ならば、日吉丸と聞いてぱっとそれが誰の幼名かわかる人、今の時代にどれだけおるのか? ということだ、まずは。いずれ近い将来、そういうことをあらかじめレクチャーしてから公演を観てもらうという時代が、文楽に限らず古典芸能全般に常態化されるんじゃないかと思うことが、最近多くなった。
余計な講釈はこの辺にして。太夫は、睦、千歳のリレーで。最近、睦はちょっといいかも、と思っている。「ちょっといいかも」である、あくまで。ただ、今年は「けっこうよくなってきた」と思えるようになるんじゃないかなという予感のする語り。千歳大夫は良くも悪くも「平常運転」。
恐らく、「このヤロ~~!」と腹立たしく思う憎まれ役や根っからの悪人が、主要登場人物にいないからか、どうにも平淡な流れで「あら、こういう風に終わっちゃうのね…」ってうちに幕。う~ん。
冥途の飛脚(めいどのひきゃく)
◆作者:近松門左衛門
「淡路町の段」
英大夫、團七師匠による盤石の床で、忠兵衛、八右衛門の人物像が明らかにされてゆく。これまで何度も観てきた『冥途の飛脚』だが、恐らく自分自身が年齢を重ねたこともあるだろうけど、「封印切」の前段としての「淡路町」ではなく、この段の独自性を感じさせてくれる両師の床だったと感じた。こういうのを 値打ちのある舞台 というんだろう。
「封印切の段」
待ってました、嶋大夫! この段は、すべてを嶋さんと錦糸さんに委ねておけば、それで間違いはない。事実そうだった。「嶋さん、ありがとう!」ってところだ。
嶋さんの浄瑠璃は、ディーゼル機関車のようだ。ぐわーっと唸りを立ててエンジンの回転数が上がってゆき、次第にすさまじい熱量を発散し、客席をぐいぐい牽引してゆく。そしてその力が客席を支配する。最新の電車と違い「走ってる感」がただならぬのだ。聴けばわかるよ、この気持ち。
嶋さんのこの段への思いは、番付のインタビューで語っているが、「太夫は登場人物の心情を理解してあげることが大切」が印象深い。それがどういうものなかを、嶋さんは床の上からきちっと聴く者に伝えてくれている。住大夫、源大夫が去り、非常に寂しくなった太夫チームだが、嶋さんの存在は大きく、心強い。
「道行相合かご」
やっと三輪大夫の出番だわ…。この人も「文楽に来た」と感じさせてくれる太夫の一人。
忠兵衛の故郷、大和の新口村をめざす旅路につく、梅川・忠兵衛の二人。それは冥途への旅立ちでもあるわけだけど、近松心中ものの「道行」は総じて美しい。
忠兵衛・玉女、梅川・勘十郎。この組み合わせでこれからも何度も梅川・忠兵衛を観られるはずだが、大阪で吉田玉女として遣う忠兵衛は今公演が最後。これはしっかり目に焼き付けておかねばならないだろう。
英・團七、嶋・錦糸の床に加え、人形の玉女、勘十郎。帰宅後、公演最終日のチケットを抑えたのは、当然の成り行き。
★
正月気分がまだ完全に抜けない三連休初日の夜の部だからか、客入りは9割超。ざっくりと満員。正月公演は十日戎が終わった頃から、急速に客足が鈍ることが多いから、ここからが正念場。幕見で『冥途の飛脚』だけでも観る価値大いにアリ。松竹座では四代目中村鴈治郎襲名披露で『封印切』がかかっている。両方観れば、おもしろさ倍増間違いなし!
(平成27年1月10日 日本橋国立文楽劇場)
在大阪香港永久居民。
頑張らなくていい日々を模索して生きています。
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