小生は、1995年5月から翌年の6月末まで、銅鑼灣(Causeway Bay)のランドマーク、時代廣場(Times Square)の裏に住んでいた。なんと言っても、当時の職場まで徒歩5分という「職住接近」。そのうえ、オープン2年目で活況を呈する新たな商業拠点である時代廣場まで徒歩数十秒という便利さである。これに飛びつかないわけはない。
が、当然家賃は高く、築40年近い唐樓(旧式ビル)でエレベーターなし、便器の上にシャワー、電熱給湯器。これが曲者で、湯が沸くまで5分ほど、冬場はその2倍かかり夏場でも3分ほどで水になるから、冬場の惨状は推して知るべし、である。
さらに、目の前は香港きっての交通量。高架下のバスターミナルには24時間、ひっきりなしにバスがやって来ては発車してを繰り返す。窓を開ければ、10分もたたないうちに、真っ黒な煤塵がたまるという状況で、月に一度は原因不明の発熱に悩まされ、結局、1年後に南の香港仔(Aberdeen)へ逃げるように引っ越したのである。その家賃の安さと環境の良さは、バスでトンネル抜けただけでこうも違うのかと、驚くばかりであった。
時代廣場では、まだ世の中が「カウントダウン」というものにそれほど興味を示さない時代から、大晦日には新年のカウントダウンイベントを行っていた。もちろん小生も時代廣場裏に住んでいたので「どんなもんかいな?」とカウントダウンを見物に出かけた。
今では、数万人の群衆で埋まる時代廣場の新年カウントダウンも、95年当時はそれほどの人出ではなかったが、それでも「こんな息苦しい場所になんで俺はのこのこ出てきたのか?」と後悔したものだ。確か、鄭伊健(チェン・イーキン)と黄耀明(アンソニー・ウォン)が唄っていたのを覚えている。
その後、97年の返還、99年~00年のミレニアムと、カウントダウンというものが浸透してゆくに従って、ここでの新年カウントダウンも派手さを増していき、今では香港最大規模の新年カウントダウン会場となっている。もちろんテレビの生放送もあるし、元日付の新聞のトップ記事は、多くがこの模様を伝える。
そんな香港の1年の終わりと始まりのビッグなイベントが、今年はどうやら開催されない見込みだとういう。一旦、申請はあったらしいが、その後主催団体が申請を引き下げたとか。「時代廣場除夕倒數=タイムズスクエア新年カウントダウン)」が実施されないのいは、時代廣場オープン20年で初めてのことだとか。
言うまでも無く、「Occupy Central=佔領中環」の影響だ。一応、旺角(Mong Kok)、金鐘(Admiralty)の占拠が強制排除され、残る銅鑼灣も週明けには排除されるとのことだが、これに代って、「鳩鳴(がうう~)」と呼ばれる「お買い物デモ」が街を席巻し始めているのだ。
梁振英行政長官が「街を占拠せず、買い物で街を活気づけよう」なんてことを言ったから、「お買い物デモ隊」は一斉に街に繰り出して、たちまち繁華街を占拠してしまう。警察が退去を指示しても「行政長官が買い物に来いと言ったから、買い物に繰り出しているんだ」と言って、なかなか動こうとはしない。
この動きが時代廣場除夕倒數とぶつかりあうと、とんでもない事態になるのは容易に察せられるだろうから、今年は見送ろうとなったのだろう。
純粋にカウントダウンを楽しもうと予定を立てていた人にとっては、とんだとばっちりだな、これは。
同じように、クリスマスイブにカウントダウンを行う尖沙咀(Tsim Sha Tsui)の廣東道はどうするんやろう?
こんなことになったら、農暦新年の花火はどうする?とかって話にも発展しかねないかもな…。
こういう慶祝イベントのときくらい、政治を持ち込まずにいつも通り賑やかにやればいいのにね…。この派手派手しさと盛り上がりこそ、香港なんやけどな…。そうはいかんか…。
「佔中」も、強制排除で「はい、終わり」ってわけにはいかんよな。ま、たまには家でおとなしく新年を迎えるのもええんでないかい?香港人諸君よ!
在大阪香港永久居民。
頑張らなくていい日々を模索して生きています。
1件のコメント