「六四」25周年 1
習近平体制で迎えた25年目の6月4日
「六四25周年」である。
天安門広場血の惨劇から25年を経過したが、相変わらず北京の天安門広場をはじめ、この日前後には中国全土で厳戒態勢が敷かれているのを見ると、結局25年程度では、かの国は何も変わらないのだということがよくわかる。
とくに、習近平体制になってからは、その傾向が一層強まったとも言われている。一連のウイグル族の犯行とされるテロ活動に見られるように、国内でもそれに反発する行動が多発している。
抗議デモ、支連会、六四記念館
6月4日直前の日曜日には、香港では毎年、天安門事件に抗議するデモが開催されている。小生も、在住を始めた1995年から香港を去る2009年までほぼ毎年「見物」に出かけている(「参加」した年もあるが…)。
デモは、1989年の天安門事件以降、一途に事件の真相追及と共産党への事件の再評価、犠牲者の名誉回復や、獄中にある活動家の釈放などを求める民主派団体「香港市民支援愛国民主運動連合会(支連会)」が、6月4日の追悼集会とともに音頭を取っている。同会は最近、「六四記念館」を開設し、香港市民はもとより、香港を訪れた本土からの観光客にもアピールしようとしているが、もうこうなると、なんだか南京の「大屠殺記念館」みたいで、ちょっとなぁ…って気もしないではない。ま、こっちはあくまでも「民間施設」なんだけど。
今年のデモは、6月1日に開催された。主催者発表で3000人、警察の推計ではピーク時に1900人が参加。いずれも昨年を上回り、2010年以降では最高の数だったらしい。
いつも六四の度に言うが、デモにしろ追悼集会にしろ数の問題ではなく、中国に祖国回帰して17年経過したにもかかわらず、「一国両制度」の返還の大原則があるとは言え、かの国の政権下でこうした活動が堂々と行われることが、香港にとってはある意味「最後の砦」とも言えるのだから、「支連会」の一途さには敬意を表したいとは思う。
支連会批判団体も気勢
元々そういう一派は存在してはいたのだけど、今年は小生の記憶では多分初めて報道されたと思うが、親中派団体もまたこの日、「六四」に関連したある行動を起こしている。
「支連会」とは正反対の立場で、天安門事件に疑問を呈する組織「六四真相」と「愛港行動」の出現である。
「六四真相」は、デモ隊が通過する湾仔の修頓球場で展示を行い、事件当時、天安門広場内では死亡者は出ていないことなどを指摘。「愛港行動」も六四記念館のあるビルの前で事件当時に多くの兵士が殺された写真を展示。支連会はこうした事実に触れず市民を25年間ミスリードしてきたと訴えた。
「天安門広場内では死亡者は出ていない」というのは荒唐無稽な主張だが、「事件当時に多くの兵士が殺された」というのは、これは真実である。ネット上に散見される事件当日の天安門広場の様子を伝えた香港のテレビニュースなどの映像を見ると、装甲車が群衆の手で焼き討ちに遭ったり、解放軍兵士が群衆に取り囲まれ、暴力行為を受けているシーンなども出て来て、今になって冷静に見てみると、ここまでやると「民主化活動」ではなく、やっぱり「暴徒」だよな…、みたいな光景も決して少なくはない。
だからと言って、その後に繰り広げられた惨劇を肯定することは決してないが、少なからぬ解放軍兵士が、暴徒と化した群衆(もはや民主化活動家人士ではない)になぶり殺しになされたという事実もまた、無視することはできないだろう。
「愛港行動」は、「支連会はこうした事実に触れず市民を25年間ミスリードしてきた」と訴えたのだが、そもそもミスリードとなれば、すでに25年前の天安門広場で紫玲を筆頭とする学生活動家の面々が、全国から集まった学生たちをミスリードしたことが惨劇につながったのだから、「まあ、目くじら立てて支連会だけを批判してやるなよ」と言いたいところだ。が、そこはそれ、香港ならではの「民主派vs親中派」という対立構図があって、外から見ている分には興味は尽きない…。
解放軍にも多数の犠牲者が
解放軍兵士の犠牲者に、民主派が敢えてスポットを当てない理由もあるはずだ。
もし、犠牲となった兵士たちの死も悼むことになれば、天安門広場に集った学生たちや活動家、市民、群衆を一部とは言え、「暴徒」とみなさざるを得ないことにつながるからだろう。そのへんについては、中国人作家の王力雄氏の一文からうかがい知ることができる。
西単から六部口の間の死体はずっと収容されなかった。最も早く収容しなければいけないはずの軍人であった。しかも、装甲車が次々に通りかかっても、停止して自分たちの戦友の尊厳を守ろうとはしなかった。このことは、収容してはならないという命令が下されたのではないかという疑問を抱かせる。その目的は人民解放軍が暴徒化した市民に襲われ、残虐に殺害されたことを生々しく教える「現場の教育」である。街頭のならず者は、もちろん、この機会を逃さず、死体にあらん限りの侮辱を与え、甚だしくは死体の腹を切り開いた。私が目撃したのは、その直後だった。その場にいた年若い女士が憤激して叫んだ。「彼も人間よ!」 今でも耳元で響いている
興味があれば、下記サイトへ行って全文を読まれたし。ただし、放置された解放軍兵士の焼死体など、残酷な写真も少なからず。御注意を。
http://www.shukousha.com/column/liu/3149/
支連会に望む、真の「屠城責任追及」
香港に限らず、本土以外での「六四」活動については、「平反六四」にまっしぐらな主張がある一方で、たとえ親中派の手先だとしても、民主派の主張に異を唱える集団があって、双方の言い分に耳を傾けることができるというのは、決して悪いことではないと思う。それができるのもまた、香港。だからこそ、香港は「平反六四」に欠かせない土地であるのは言うまでもない。が、一方で、活動をリードしてきた「支連会」が、上述のような無残な死を遂げ、さらし者にされてしまった兵士にも、哀悼の気持ちをあらわす言葉を持つ日は来るだろうか…。それもまた「屠城責任追及」だと思うのだが…。
そして、そんな言葉を持つことで「売国奴」扱いされるような香港であってほしくはないなぁと、切に願う…。
六四追悼集会に9万人
この稿を思うまま徒然に打ち込んでいるとき、香港では六四追悼集会が行われていた。様々なメディア、現地に居る人たちのFacebookやTwitterなどから、集会の様子が伝えられる。便利な世の中になったもんで、Live中継などもネットで見ることができる。
香港島はビクトリアパークに集った市民、主催者発表で18万人。警察発表は約9万人。まあ、毎回参加していた小生の感覚で言えば、これで18万人だったら、甲子園満員札止めで「30万人」くらいになってしまう(苦笑)から、およそ7万~8万というのが妥当だろう。しかし、それでも7万とか8万である。すごい数字である。最初の方でも言ったけど、数の問題ではない。この集会が香港で、事件から25年経過してもなお継続されていることが大切なのだ。「香港が香港であるため」には、たとえ数100人の参加者であっても、途絶えることがあってはならないのだ。
在大阪香港永久居民。
頑張らなくていい日々を模索して生きています。