人形浄瑠璃文楽
平成25年度(第68回)文化庁芸術祭主催
公益財団法人文楽協会創立50周年記念 竹本義太夫300回忌
平成25年11月公演 <第一部>
久々の文楽鑑賞。久々の通しで『伊賀越道中双六』。昨年の11月公演、『仮名手本忠臣蔵』に並ぶ人気狂言。図らずも、2年連続で「仇討もの」で、1年を締めくくろうということに。
文楽劇場で「伊賀越」が通しでかかるのは、実に平成4年4月公演以来のこと。俺、まだギリギリ20代(笑)。そんな若輩者でも、「これは大変なものやね~」と、心底感心し、感動したのを、いまも鮮明に思い出す。
折しも、劇場1階の展示室で、伊賀越の特別展示が行われているけど、その平成4年公演などの写真が多く展示されていて、人形を遣う面々が、とても懐かしい。玉男、玉五郎、文吾、玉幸、先代文昇、作十郎…。実にすばらしい顔ぶれ。21年の月日とその残酷さが胸を突く。
そんな哀愁に浸っていても過去は戻らない。今の文楽は伊賀越をこうやるんだ! というのを、じっくり拝見させていただこう。
通し狂言は、朝から晩までかかって一つの演目をやるので、開演時間は通常より30分早く、お昼休憩も25分と短く、入れ替え時間も30分と慌ただしい。とはいえ、そこは人気の伊賀越。開演30分前に劇場で当日券を求めたが、平日にもかかわらず、この時点ですでに95%の席が埋まっており、幸いなことに、小生の一番好きな床の真下の席を確保できたけど、次はそうもいくまいよ。ただ、4時30分開演の第2部が、今のところ非常に入りが悪い模様。せっかく仇討を成就する場面なのに、なんと勿体ない。見届けようぜ、仇討を! そして聴こうぜ、「岡崎」の段を! ホンマ、勿体ないわ~。
伊賀越道中双六(いがごえどうちゅうすごろく)
■作者:近松半二、近松加作
■初演:天明3年(1783)4月、大坂竹本座
*寛永11年(1634)11月、伊賀上野鍵屋の辻で起きた「伊賀越の仇討」を脚色した『伊賀越乗掛合羽』(安永6年[1777]1月、大坂中の芝居にて初演)を増補、浄瑠璃化を意図した作
・(実名)荒木又衛門保和 → (劇中名)唐木政右衛門 (以下同)
・渡辺数馬 → 和田志津馬
・河合又五郎 → 沢井股五郎
などと、実名を避けながら、誰のことかわかるように登場人物の名を作ったり、時代を変えたりしているのは、仮名手本忠臣蔵と同様。
鶴が岡の段
床は御簾内。パンフに太夫、三味線の名があり、聴いておれば「あ、ここは誰それが語ってるな」というのは、概ねわかるけど、三味線はそうはいかないね(笑)。三味線の顔ぶれに、この春に研修終了し、第一歩を踏み出したばかりのイキのいい弾き手が二人。非常に期待している。
和田行家屋敷の段
口)咲寿大夫、清公。こちらも御簾内。咲寿はかねがね、声もよく通るし若手らしく言葉が明晰でいいネ、と思うも、さあ、そろそろそれだけでは物足りなくなってきた。ここらで、ひとつステップアップを。そんなアナタが聴きたい。
奥)松香大夫、清友。安心と信頼のベテラン。なんともなくホッとしたのは、俺だけ? 多分、違うよな…。そこなんよな、そこ…。
ここまでの時点で、人形は和田志津馬の清十郎が、いつもながらにシュッとした遣いっぷりで、気持ちいいし、ベロベロに酔いつぶれた志津馬も上手にやってはる。沢井股五郎の玉輝も悪役具合がよう伝わる。
和田行家が沢井股五郎に殺害される場面、縁の下から奴実内が行家の足を切りつけるのだけど、あそこ、アタシの席からではほとんどわからず。そこはあくまで「虚構の世界」、もっとわかりやすい演出してほしいな…。
円覚寺の段
中)靖大夫、清丈。おお、靖大夫、イイ感じ! 語ってる表情もすごくよかった!むくつけき野郎どもの表現を、清丈との息もぴったりで、なんだか楽しかった(楽しむ場面じゃないけども)。
奥)先に語った靖と、相三味線の藤蔵にやられちゃったか、文字久大夫。巡り合わせ悪かったかな…。と、言いながら、数年前に、けっこうアタシはボロクソに言うてましたけど、もはやそんな悪言はこれっぽちも言えません。文字久さん自体はまことに結構なのではありますが。ここはいっそのこと、藤蔵に思いっきりノセられてみるのも、面白いかもわかりませんな…。
唐木政右衛門屋敷の段
口)御簾内で、希大夫、龍爾。
中)睦大夫、清志郎。言い方悪いけど、印象薄かった。出は短いけど、もっとアピールしてほしい。口の御簾内も同様。
切)咲大夫、燕三。さすがに咲さんと燕三、納得の切場。身に覚えなく離縁されてしまったお谷が、特に聴き応えあり。そういう方向に持って行かざるを得なかった政右衛門の心境もひしひしと。
人形さん、唐木政右衛門の玉女が素敵ですね。誉田大内記の勘壽は槍の使い方が決まってました。あれは使うの大変でしょうにねえ。
誉田家大広間の段
咲甫大夫、喜一朗。咲甫は「ええやん!ばっちりやん!」と思うときと、「ええ~、ちょっとなあ」と思うときのギャップが大きいんですね、アタクシ的には。今回は前者。でも、喜一朗が引っ張ってるんかな…?
沼津里の段
津駒大夫、寛治、ツレ・寛太郎。津駒さんは、アタクシ的には、すでに切場語りなんですが、なかなか切場に昇格しませんね、厳しいな、ホンマに。寛治師匠のしびれるような三味線もあり、完成度が高いと見たが、厳しい人は「まだまだやな」とか言うんですな…。しかし寛太郎の技量が聴くたびにアップしてるのは、頼もしい限り。
平作内の段
呂勢大夫、清治。数年前まで、ボロカスに評していた呂勢を、最近は大いに持ち上げておるわけですが、この日の呂勢は及第点で、やっぱりお米(かつての瀬川)の簑助師匠、十兵衛の和生、平作の勘十郎と、どうしても人形に目がいってしまう。
千本松原の段
切)住大夫、錦糸、胡弓・清公。泣かされました。隣の人も前の人も、もちろん他の人もいっぱいいっぱい泣いてました。たとえ、素浄瑠璃で人形なしで聴いても、やっぱり泣いたでしょうね。ほんと驚異です、住さん。で、この千本松原聴くと、5800円のチケット代なんか安いもんです、それ以上の値打ちあります(まあ、大阪人的発想で、すんませんが)。同時に、この場面に至るまで聴いてきた太夫さん、申し訳ないけど、5800円の値打ちがあるかどうか、ということだわな。大袈裟ではありません、ほんま、行ってください、その耳で聴いて来てください。そう、お勧めするしかないな。
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もっと細かいこと、色々ありますが、まだ第2部も観に行くし、「沼津」なんぞは、幕見で何度でも観たいし。で、浅はかなる文楽マニアは、その都度感想が変わるので、要注意ですョ。ただし、「千本松原」の住さんに対する感想だけは、不動です。是非行かれよ!
(平成25年11月6日 日本橋国立文楽劇場)
在大阪香港永久居民。
頑張らなくていい日々を模索して生きています。
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