Go! Go! HAWKS 2013
ホークスvs ゴールデンイーグルス18回戦
台風が来るのか来ないのか、いや、これはもう来るでしょう…。やきもきしながら向かった福岡の地。案の定、降り立った福岡空港は、まさに「これまでに経験したことないような」土砂降り。香港式に言えば「10号風球+黒雲暴雨警告+雷暴警告+新界地区浸水警告」が一斉に発令されている状態。そう「最悪の天候」のまっただ中なのであった。
宿泊先は天神エリアで、地下鉄駅のほぼ真上、ここから地下鉄に乗れば、目的地である「ヤフオク!ドーム」(以降、福岡ドームと表記)の最寄り駅まであっという間で、いかに雨が降ろうが、鉄道自体が運休しない限りは、何の問題もない。しかしながら、最寄駅の唐人町からドームまでは、それこそ「傘が役に立たない」吹き降りで、もはや滝に打たれる「水行」の境地。とは言え、そこはドーム球場の強みで、こんな状態でも普通に野球ができちゃうのだから、えらい時代でなすわな、しかしまあ。結局、福岡滞在3日間、一度も太陽を見ることなく、常に雨が降り続いていたのだが、これ、屋外球場だったら、間違いなく3つとも中止ですわな。ドームでよかったね。
で、そんなお天気なものだから、試合中にドーム内に恐ろしくデカイ雷鳴が響き渡ったり、そのせいか、照明や広告サインが時折チカチカしたりと、台風&豪雨+雷ならではの光景もあって、試合以上に「エキサイティング・リーグ、パ!」だったのだ。
さてさて。この日から次のカードも含めた6試合をパ・リーグ6球団は、球団の歴史を彩った懐かしいユニフォームで試合をし、「レジェンド」を迎えて、試合前に始球式などのイベントに出てもらうなど、「レジェンド・シリーズ2013」を開催。小生は、別にその「レジェンド・シリーズ2013」が目的で福岡に行ったわけではないのだけど、その理由はおいおいと述べるとして…。
第18回戦(H・8勝10敗0分)勝:田中(19勝0敗) 負:帆足(7勝7敗)
本塁打:H内川16号
観衆:36,218人
試合ですか?もう一々思い出させなさんなって!
我が軍は1回表から先発の帆足の画に描いたような自滅投球で「さあ、マー君、どうぞ19連勝持って行って下さい!どーぞ、どーぞ!」な展開。アタシなんて2回表には「雨もますます酷くなるし、もう帰ろかな」って思ってしまうようなアレで。そりゃ、初優勝に向けて驀進中のゴールデンイーグルスと、貯金二つ三つあたりでうろちょろしてる我が軍とでは、地力が違うのはわかってはいるけど、これはいけませぬ。「ま~の負け試合見て来まっさ!」なんて、Twitterでほざいていたアタシの身にもなって下さいよと、泣きごとの一つや二つも言いたいけど、思い起こせば、この最終形の「南海ホークスユニフォーム」時代は、来る日も来る日もこんな試合の連続で、笑けて笑けて、って毎日だったね(苦笑)。
この日の田中は、さほど調子がよくなかったみたいで、我が軍もそれなりに攻めて、点も奪っていたのだけど、なにせ帆足がねぇ…。負けるべくして負けた試合。
さて、一方の「レジェンド・シリーズ2013」に関連するイベントだけれど、この日はまず、ホークス球団75周年にあわせておこなわれていた「LEGEND HAWKS 歴代ベストナイン」の投票結果が発表された。
うれしかったのは、野村克也を筆頭に小生が南海ファンを強く意識し始めた頃の中心選手或いは、大阪球場で活躍した「南海戦士」が多数選出されていたこと。中でも二塁手で桜井輝秀が選出されていたのは、うれし涙がちょちょぎ出るってもんだ。
南海最後の優勝となった昭和48年(1973)のシーズンで大活躍した選手であるのは周知の通り、その守備は天下一品。今の本多と勝負しても、桜井の方が断然上手いだろう。打率はそんなに高い方ではなかったけど、なんか子供心にも「渋ぅぅぅ~」と思ってしまうようなバッティング。あのころの少年ホークスファンの間では、絶大な人気だった桜井選手。サイン会でも人気はダントツ。
小生などは、野村監督に向かって「サインちょうだ~い」、ジョーンズやブレイザーコーチにも気安く「サイン、ぷりーず!」って迫っていたのに、桜井選手の前では直立不動。声も手足も震えて「さ、さ、さ桜井選手ぅぅぅぅ…。サ、サ、サン、サン?あ、あ、あの、サイン下さい!」と顔面蒼白で迫ったのである。きっと小生と同世代の南海ファンなら同じ思い出を持っているはずだ。そうなんだ「僕らの桜井選手」だったのだ。もちろん、今も変わりなく。
そんな桜井選手がレジェンドに選出され、さらに試合前のセレモニーに出て来てくれるのだから、雨風の中を福岡まで来た甲斐があったというもんだ(泣)。
セレモニーには大好きな選手がズラッと並んだ。壮観なホークスの歴史がそこにあった。この人の活躍で盗塁王のタイトルが設立されたエピソードがあるほどの、俊足巧打・広瀬叔功選手、主将と言えば藤原、藤原と言えば主将、オールスターでも打って走って大活躍だった、「グリーン旋風」の立役者・藤原満選手、昨年引退し早くもレジェンドに選出された小久保裕紀選手、そして我らが桜井選手と揃うと、胸がアツくならないはずがない。エエ光景を見せてもろたわ、ホンマに。有難や、有難や…。
実は、このセレモニー、2戦目のセレモニーの内容は知らされているものの、1戦目と3戦目に誰が来るかは知らされていなかった。この数日前、小生は夢に桜井選手が出てきて(10歳の頃のあこがれの選手がいまだに夢に出てくるww)、
「ねえ、桜井選手!野村のおっさん(野村克也監督)とカドさん(門田博光選手)がレジェンドセレモニーに招かれてるのに、桜井選手にお声がかからんなんて、失礼極まりないハナシですよね。南海の歴史、ホークスの歴史に桜井さんは絶対はずせないですよ!僕は怒ってます!」
とほざいたのだ。そしてその気持ちを本人に直接伝えたく、試合後には実際に桜井選手が福岡市内で営むお店に出向こうという算段をしていたのだ。ところがだ…。
大阪空港へ向かうバス待ちのとき、事情通のファンからメールが来て「今日、セレモニーに桜井さんも広瀬さんも藤原さんも出ますよ!」と言うではないか!「マジ?」と返してしばらく、宙天を見つめる小生…。これは、いわゆる「正夢」ってやつなのか…!?
この喜びを何と言い表せばいいのか。南海ホークスのユニフォームに袖を通した桜井輝秀をナマで見るのは、昭和63年(1988)10月15日、大阪球場での最後の南海ホークス公式戦以来のこと。あの日、小生はグラウンドを一周する監督、コーチ、選手の中で、当時、コーチだった桜井輝秀に最も大きな叫び声を何度も何度も送った。「さくらぁぁぁぁい!さくらぁぁぁぁい!」。集団が目の前を過ぎ去ってもずっと「さくらぁぁぁぁい!」と叫んでいた。いま、こうしてあの時のことを思い出しながらキーボード叩いているだけで、鼻の奥がツンとしてたちまち目に涙が溜まってくる…。あの時以来の桜井輝秀の「南海ホークス」ユニフォーム姿が、いま、グラウンドに…。
やっぱりこの日の福岡でも、「さくらぁぁぁぁい!」って叫んだけど、あの悲しい別れの日とは違う、喜びの叫び。
「この人が僕らの桜井選手や、福岡のファン、今の若いファン、よう見とけ!すごい選手やねんぞ!」
という叫び。これだけでも来た甲斐があった今回の福岡での3連戦。
そしてそして翌日には、さらなる大事件が…。
追記*田中まーは、アタシの「福岡ドーム不敗神話」をついに終わらせてしまいました(笑)。ま、そこだけは素直に認めよう…。そこだけは、な。
(平成25年8月30日 福岡ドーム夜間)
在大阪香港永久居民。
頑張らなくていい日々を模索して生きています。
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