【上方芸能な日々 文楽】夏休み公演<3>

人形浄瑠璃文楽
公益財団法人文楽協会創立50周年記念
竹本義太夫三百回忌

平成二十五年夏休み特別公演 第2部 名作劇場

????????????文楽の夏休み公演の最後は『妹背山婦女庭訓(いもせやま おんなていきん)』を観劇。これを見たら、結婚式で「新郎新婦は、幸せの赤い糸で結ばれ、ここに晴れの挙式を…」なんて、言っていいのかな?なんて思ってしまう。そんな話も織り交ぜて…。

今回は運よく、前列2列目ど真ん中の座席を確保できたことで、人形の表情の変化(してるように見えるんだ、これが確かに!)、字幕を見れない位置だったので、浄瑠璃を聴き逃すまいと必死で聴いた、などの効果もあり、どっぷりと文楽の世界に引きずり込まれた。やっぱり、前の方のイイ席で見ると、感じ方が全く違いますな、これまで何度も見てる演目なのにね。

『妹背山婦女庭訓』は、文楽演目の中でも人気のある作品。中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我入鹿を打倒した「大化の改新」を題材に、時代や史実の人物名を置き換えた歴史物語。ここに大和地方の四季の風景や伝説が織り込まれ、話は壮大なスケールで展開してゆく。

前半は久我之助と雛鳥という、敵対する家の子同志の悲恋の物語を中心に物語が展開してゆく。とりわけ、前半部のクライマックス、「妹背山の段」は、その豪華な舞台セットや上手・下手での床の掛け合いなどもあって、人気も高い。続く「鹿殺しの段」から始まる後半部は、入鹿政権打倒に燃える藤原鎌足・淡海親子、淡海に心を寄せる(ってか、淡海がうまく利用した)二人の女性などを中心に話が進み、いよいよ大団円へ、という展開。

今回は、大詰めの「杉酒屋の段」から「金殿の段」までを公演。中心人物は求馬(実は藤原淡海)、橘姫、三輪の里は杉酒屋の娘、お三輪の3人。なんとなくわかるかもしれないけど、このお三輪さんのストーリーが、悲しいのである、そして怖いのである。怖いと言っても化けて出るとかそんなんじゃなく、女として怖い、品よく言えば「情熱的」か…。

妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)

■初演:明和8年(1771)1月、大坂竹田新松座(竹本座)
■作者:近松半二ほかによる合作


「井戸替の段」

三輪の里は杉酒屋の「井戸替=井戸掃除」から始まる。この場面、文楽劇場では平成6年(1994)以来の公演。

井戸替の手伝いにやって来た、近所の男衆たちのにぎやかな掛け声から始まる。床は千歳大夫、團七。こういうわさわさとした場に、千歳大夫の声はよく似合い、力量を発揮する。家主から、「鎌足の息子=淡海を見つければ、入鹿から賞金が出る!」と聴き、「これはエエ話聞いた!」とウキウキしながら家主の家へ向かう、お三輪の母親=杉酒屋女主人の表現もGood!

「杉酒屋の段」
英大夫、清介

英はん、出だしは良かったけど、次第に「小慣れた」感じになってしまったかな。とは言え、その「小慣れた感」に英はんの味を感じることもあるだけに、その評価は大きく分かれるところ。

杉酒屋の隣家に住まうは、烏帽子折の其原求馬その実は藤原淡海。三輪の里に潜伏し、入鹿から三種の神器の一つ、十握の宝剣(とつかのほうけん)を奪い返すべく、チャンスをうかがっている。杉酒屋の娘、お三輪さんは求馬に惚れている。その辺の事情を知る、丁稚の子太郎が求馬のところへ美人が入って行くのを目撃!

「お三輪御嬢さん、えらいことでっせ!」。さっそく子太郎に求馬を呼びにやったお三輪さん、求馬に「どういうこと?」と詰め寄ると、「いやいや、あれは春日の巫女さん。あたしのお三輪さんへの思いは変わりませぬ」。お三輪さん、一安心…。

お三輪を勘十郎、美人実は入鹿の妹・橘姫を清十郎が遣う。勘十郎は、お三輪の求馬への一途な恋心を、幼い乙女の仕草で見事に表現。一方、清十郎はいつもながら、「ナントカ姫」という役がピッタリはまる。求馬は和生で。「モテ男、実は魂胆様々」な求馬だから、いろんな心情が仕草に表れていて、難しい役どころ。

「これが二人の愛の証しよ」とばかりに、求馬に赤い苧環(おだまき)を渡すお三輪さん。七夕には、白い糸を男、赤い糸を女に見立てて、男心の変わらぬようにと苧環に針をつけて結び合わせる風習があるとやらで。さあ、そこへ例の美人=橘姫が現れて一騒動。求馬争奪戦の開始。求馬を淡海とみているお三輪の母親も帰ってきて、求馬を捕まえてやろうと、騒ぎは拡大の一途。機転がきく丁稚子太郎によって、お三輪、橘姫、求馬は 三人門へ遅れじと、同じ思いを後や先、道を慕ふて 杉酒屋を離れて行く…。

20070523-02ちなみに、苧環(おだまき)ってこういうやつ。糸巻きですな。『伊勢物語』の三十二段に「いにしへの しづのをだまき 繰りかへし 昔を今に なすよしもがな」ってのがあり、これを本歌にして、静御前が鶴岡八幡で白拍子を舞ったときに「しづやしづ しづのをだまき 繰りかへし昔を今に なすよしもがな」と、義経を慕って歌い、頼朝を激怒させますな。「しづのをだまき」については、話し出すとアタシは長くなるので、別の機会にってことで(笑)。

「道行恋苧環の段」(みちゆき こいの おだまき)

太夫、三味線がずらりと床に並ぶ。お三輪・呂勢、求馬・咲甫、橘姫・芳穂を中心に咲寿、小住。三味線は清治以下、清志郎、清丈、龍爾、清允。若い咲寿、小住がよく声を出していて好印象。こういう若い太夫の若々しい語りっぷりは、気持ちが良い。三味線の清允は、今春初舞台の新人さん。彼をはじめ4人の研修生の「研修生発表会」「修了発表会」を見ているので、思い入れも深い。

人形は先の段に続き、安心と信頼の3人で。ため息の出る美しさ。

三輪の里から逃れた求馬に必死で追いついた橘姫。「はて、アナタ、夜な夜なアタシをお尋ねになってますが、一体、どちらのどなたさん?」と尋ねるも、そこは入鹿の妹と明かせぬ苦しい胸の内。そこへ、さらに必死のパッチでお三輪さんも追いつく。「ワタシの求馬さんを横取りするな~!」と橘姫を責めて、またもや求馬争奪戦に。と、そこへ明けの鐘がゴ~ン。橘姫は慌てて立ち去ってゆく。「怪しい、実に怪しい」と求馬、苧環の針を姫の裾につけて後を追って行く。お三輪さんも求馬の裾に針をつけて追うが、糸が切れてしまう。「運命の糸」が途切れようとも、好きな人は手放すものか、あんな怪しい姫にやるものか!と 知らず印の糸筋を、慕ひ慕うて さらに必死のパッチで追いかけて行く…。

「鱶七上使段(ふかしち じょうし)

舞台は三笠山に新築された入鹿の御殿。

端場は、始大夫と清馗が御簾内にて、仕丁らの地口(ダジャレの言い合い的なこと)を。故にもうちょい、軽快さが欲しかったが…。その点、奥の津駒大夫と寛治は、そつがないと言うか、「お任せしますよ!」ってところ。寛治師匠の三味線の音に心を委ねるもよし、津駒師の語りに神経を集中させるもよし。ここらが出てくると、急に床が引き締まるから値打ちがある。

人形では、鱶七の玉也、入鹿の玉輝に重厚感。玉輝がちょっと勝ってたかな…。う~ん、この辺はどっちに重きを置いて芝居を見るか、見物の気持ち次第というところかも。

入鹿のもとに、鎌足の使いという鱶七なる漁師が乗り込んできて、ああ言えばこう言うのやり取りあった後、鱶七自ら、囚われの身となる。

「姫戻りの段」

橘姫、入鹿の御殿に御帰還。官女、姫の裾についた糸を手繰り寄せれば、求馬登場。実は橘姫も求馬の正体は知っているという。求馬は自分が藤原淡海と知られたからには、姫を生かしておけぬ、殺してしまえ!とするも、姫は淡海さんに殺されるなら本望よ…、と。淡海、「それならば命を助け夫婦になろう、が、条件があるぜ」と。「入鹿が盗んだ剣を奪え」。

恋人の頼みと兄の恩の板挟みに苦悩する橘姫…。ちょっと淡海もひどい一面があるじゃないか、いくらなんでも…。橘姫 「…、第一は天子の為、命に懸けて為果せませう」 と言う。なんと健気な…。「もし失敗したら、これがお顔の見納めでしょう。死んでも夫婦と言ってくだされ」との願いに、淡海も 「オゝ運命拙くこと顕れ、その場で空しくなるとても、尽未来際変はらぬ夫婦」 と言っちゃうけど、これ、本音?

睦大夫と喜一朗にて進む床。睦がよく語っていたと思う。

「金殿の段」(きんでん)

切場。咲大夫と燕三。絶品。これ以外、言う言葉なし。「これ、4600円でいいんですか?もっと払いますョ」と。すんません、表現が下世話で…。

糸は切れても、なんとか求馬に追いついた執念のお三輪さん、入鹿御殿に到着。豆腐箱提げたお端女(おはした)に、「23,4の色白のイケメン、来ませんでしたか?」と尋ねれば、「来た来た、お姫さんのカレシでしょ!」

「…、有無を言はせず御寝所へぐつと押し込み、上から蒲団をかぶせかけ、アヽヽヽ宵のうち内証の御祝言がある筈と、暮れぬうちから騒いでぢや。エヽけなり、こちとまで内太股がぶきぶきと、卯月あたりの弾け豆。…」

なんてまあ、凄い表現で。

「人の男を奪って、何が祝言よ!奪い返してやる!!」と息巻くところへやってきた官女たちに散々いじめられた三輪さん。「お情けない」「口惜しい」「腹立ちや」「くっそーーー!あの男め!!」。このあたりの咲さんは、実に凄かったなあ。「疑念と執着」がズサズサと伝わってくる!

で、お三輪さん、入鹿誅罰にはすでに入手済みの爪黒の鹿の血と、「疑着」の相 の女の生血が必要なんだと、鱶七こと実は鎌足の忠臣・金輪五郎今国に殺害されてしまう…。哀れなり、お三輪さん…。でも一途なお三輪さんは、「あなたのお為になる事なら、死んでも嬉しい忝い」ですってよ! ここ、咲さんの語りに加え、勘十郎の遣うお三輪さんの「疑着の相」というのが、ビシバシ伝わって来て、圧倒されたでござる。

人形に表情の変化はない。物理的には。ただ、今回の疑着の相など、人形の表情の変化を、確かに観て取れるシーンというのは、文楽にはたくさんある。そのたびに「あ~怖いなあ」と感じる。特に女性ね。今回のお三輪さんはそこを見せてこそ、このストーリーが成り立つと言ってもいいだけに、これを見事に表現した勘十郎とその心根を語った咲大夫に拍手喝采を送りたい。ここ数公演の中でも、満足度はトップじゃないかと…。

赤い糸にしろ、白い糸にしろ、「幸せの糸で結ばれた二人は、ここに晴れの挙式を…」。やっぱり、結婚式では言えないな…。

(平成25年8月3日 日本橋国立文楽劇場)


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